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アニメとGAMEとマンガな日々
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チャンバラ活劇! ~無限の住人



原作未読。
予告編見て、これは見よう!とずっと楽しみにしていたけれど、実は期待まったくしてませんでした。

ごめんなさい!!!
すっげー面白かったですっっっ!!!


かつて、自分の過ちが発端で、妹を狂気に追いやった挙句に惨殺にまで追い込んだ万次。
死にかけていた彼に、不死の尼僧 八百比丘尼が虫を仕込み、万次を不死、不死身の身体に変えます。
それから50年。
逸刀流に父を殺され、母を連れ去られ、復讐を誓う凛は、万次に用心棒を依頼。
依頼を受けた万次は、壮絶な戦いの渦中へと身を投じます。

この映画のいちばんの見所は、キムタクこと、木村拓哉。
さっぱり興味なかったうえに、「宇宙戦艦ヤマト」映画で、激怒モードはいっていたので(キムタクに罪はないが)、実はもっとも期待していない配役でありました。
とはいっても、万次の役にはあってるよな・・・とは思ってた。

そしたら!!!

あってるどころじゃないよ!!!
超ハマリ役だった!!!
面倒くさそうで、ナナメな態度、情に厚い癖に、素直じゃないおっさん!!!
キムタク、万次そのもの!!!
さらに、着流しが滅茶苦茶かっこえー!!!
それで、決めの台詞言うところで、キムタク、目線がすっげーかっこいいんですよ!!!
上手いんですよ!!!

ちゃんばら歴史が長すぎて、普段はいろいろ突っ込んでしまうんですが、今回、それもほとんどなくて、楽しく見れました。
いやね、剣劇とか、腰はいってないとだめでしょ?
そこんとこも、すごくうまく作ってました。
実は万次も逸刀流も、「流派の型、ねぇよね?」な感じなんですが、実戦派と考えたら、それもありじゃんって、勝手に思ってた。
そのあたりも、実はさらっと、背景がわかるような台詞があります。

惜しむらくは、前半、個性豊かな敵役とのやりあいが、かなりあっさりしちゃってるところ。
ガチでもったいないと思いました。
あんまりにもあっさりやられすぎて、逸刀流十本指にはいるくらいの強さとか言われても、「うっそー(笑)」ってな感じになっちゃってるんですが、これ、ネット配信ドラマとかでがっつりやったとしたら、死闘レベルで描けるエピソード。
ほんっとに、尺の問題とは思いますが、もったいないくらい、あっさり敵がやられちゃってる。。。
そこを、「つまんない」にしてないのが、すごい。
癖のあるすごい俳優を配しているのが、ものすごい効果を出してると思いました。

あとこの映画、私の大好物な、『おっさんが少女を守る』映画なんですよね。
レオン、アジョシ、トゥルーグリット、カリオストロの城、そしてまもなく公開のローガンと、がっちりその流れの中の一作。
この種の映画の共通点は、守られる少女たちが、無力でただ守られるだけのいたいけな存在になってないところ。
彼女たちはみんな、実はおっさんにすら頼る気は全然なくて、てめぇの力だけでなんとかしようとします。
いやもう、微力どころか、「お前、何考えてんの?」なんですが、彼女たちは真剣で真摯で、本気で命かけちゃう。
強きおっさんたちはそれを見て、「くっそ、面倒くせー!でも、あの馬鹿、見捨てておけねー!」って立ち上がっちゃう。
そして、少女たちは、守ってもらうためのものじゃないんですよね。
彼女たちのその存在そのものが、おっさんたちの生きる意味、戦う意義になってく。
彼女たちは、おっさんに依存してないのです。
そこがよい。

キムタク、そのあたりも見事でした。
いやぁ・・・・・・・面倒くさそうなのが、とくにいいのなー!!! 

あのねー、もうねー、いいです、これねー、キムタクの映画。
いやいやいやいや、もうねー、個人的にはこれ、キムタクの代表作な感じ。

個人的には、切られた手首、「あ、忘れてた」ってな感じで、面倒くさそうに拾いにいくところがいちばん好きです。

三池監督は、「十三人の刺客」で、稲垣吾郎を悪役に登用しています。
吾郎ちゃん、極悪非道、人でなしな悪役を、気品をもって見事に演じていて、それがものすごく映画に厚みを与えていました。
あの映画の凄まじさ、非道さを、ただの”悪”で終わらせなかったのは、吾郎ちゃんの演技あったからこそと思っています。
今回の「無限の住人」は、万次をキムタクにしたところが成功の大きな鍵かと。
とにかく、キムタク以外の万次が、もうまったく考えられない。

ってことで、あと2回くらい、見たい気持ち。

続く人種問題 ~大統領の執事の涙



大統領執事として実在するユージーン・アレンの生涯をもとに製作された映画です。

綿花農場の奴隷だったセシルは、農場主によって父親を殺され、母親が廃人になったことをきっかけに、”ハウスニガー”(家の中で働く黒人)としての人生を歩み始めます。
飢えて盗みにはいったところを、そこで働く黒人男性に救われ、給仕として徹底的に教育を受けたセシルはその後、ホワイトハウスへスカウトされ、そこで執事の仕事につき、代々の大統領に仕える人生を歩みはじめます。

日本人な私には実感としてなかったのですが、奴隷としての経験を持つ人が、オバマ政権にも生存していたというのは驚きでした。
さらに、黒人差別がレーガン時代にも、給与や昇進にあからさまされていたという事実に、衝撃を受けました。

セシルが使えたのは、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソン、フォード、カーター、レーガンで、任期は34年。
それぞれの大統領の人柄や人権問題に関わる個人的な考えなど、どこまで実話に基づいているかわかりませんが、大変興味深く描かれていました。
(ちなみに、フォードとカーターに関するシーンはまったくない)

個人的にかなり衝撃だったのは、ケネディ以外の大統領すべて、人種問題に対しては差別を容認していて、それが政策にも反映されていたという部分。
これも、どこまでが事実に基づいているかわからないので、あくまでも映画においてという感想ですが、ケネディ以外の大統領全員、あからさまな黒人差別はないにしろ、明確な区別はもっていて、しかもそれが”自然なこと”であったという部分、かなりショックでした。
それが象徴的に描かれるのは、ホワイトハウスで働く黒人スタッフの給与と待遇で、なんと、レーガン政権になるまで、彼らの給与は白人の半分以下、昇進も昇給もなかったという事実。
レーガンが大統領になったのは1981年で、彼は人種問題には積極的に取り組んだ大統領でしたが、それまで、そんなあからさまな差別がよもやホワイトハウスにあったなんて・・・と、ものすごい衝撃を受けた次第。

じゃあ、それぞれの大統領たちがセシルたち黒人スタッフに対して、差別的な態度をとっていたかといえば、そういうわけではありません。
どの大統領も、彼らの仕事を認めているし、セシルに対しても絶大な信頼をおいています。
ここが、人種差別問題のとても難しいところ。
黒人に対しては、差別区別は当然と思ってるし、当たり前すぎて、「なんでこいつら、いちいちこんなにつっかかってくるんだよ」的な意識でも、セシル個人が、自分のとった言動にどう思うか、どう感じるかというところで考えた時、そこで彼らは初めて、黒人差別問題を個人レベルで考える。
自分が下した判断、自分の考え方が、セシルに対してどういうものになるのかというふうに視点が変わった時、初めて差別というものを自分の中に見ることになるわけで。

レーガン大統領の時に退職したセシルが、老齢になって、オバマ大統領を見るくだり、それがどれほどにすごいことか、アメリカの歴史においてどれほどに革新的なことか、今までとはまったく違う感覚で見ることになりました。
いやぁ、アメリカ黒人の視点から見たら、そりゃもう世界が変わっちゃったくらい、すごいことだったんだ・・・

じゃあこの映画は黒人差別、公民権運動を描いた映画かというと、まったくそうではありませんで。

セシルの長男は、公民権運動に参加し、ブラックパンサーのメンバーになります。
その過激な活動はどんどん苛烈化し、彼らが”自分たちの正義のためなら、何やったっていい”という方向に暴走していく姿も描かれています。
長男が実家に戻った際、伴った恋人は同じブラックパンサーの活動に参加していますが、露出の高い服装で、平然とげっぷをするというとんでもないマナーで、セシルの妻はそれにはっきりと「あんな失礼な女を家に連れてくるなんて許さない」とはっきり言い、父親をハウスニグロと軽蔑した長男に、「お前はそのおかげで、生活し、権利を与えられてるんだ」と激怒してふたりを追い出します。
そして次男は兄に、「兄さんは自分たちの権利ために戦う、俺は自分たちの国を守るために戦う」と言って、ベトナムへ向かう。

なんていうか、ものすごく考えさせられるシーンでした。

歴代の大統領のプライベートな姿も、ちらっと描いていますが、これもとても興味深かったです。
亡きアラン・リックマンが演じるレーガン大統領が、人情に厚く、人間味あふれる人に描かれていて、思わず笑みが浮かんでしまうほど。

アメリカの差別問題、公民権運動については、以前、英語学校の先生だったシルベスターという黒人男性と、かなりいろいろ話し合ったことがあります。
彼は南部出身でしたが、家は裕福で、本人も有名大学を出ており、IT企業で働く普通のビジネスマン、生まれてこのかた、差別というものを具体的に経験したことはないと言っていました。
けれどそのシルベスターが、「でも、僕は確実に差別されている」といって見せてくれたのが、アメリカ人なら全員もっている出生証明書。
そこには肌の色が書き込まれるのですが、はっきりと”ニグロ”と書かれていました。
驚いた私にシルベスターは、「ね?つまり僕らは、生まれた時からすでに差別されたるんだよ」と言いました。
それを、ボストン出身のアメリカ人に話してみたところ、「ニグロというのは、差別用語でもなんでもなくて、ただ色をさす単語ですよ」と笑って言っていました。

違います。
ニグロとは、日本人をジャップ、中国人をチンクと呼ぶのと同じ、差別用語です。

キング牧師が、セシルの長男に語るシーンが印象的でした。
「ハウスニグロと呼ばれる人達は、誠実に仕事をし、人々から信頼を得ている。それは、我々とは違う形での、人種差別との戦いで、彼らはその最前線の戦士たちだ。彼ら自身は恐らく、それに無自覚だろうがね」



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すべての観客が号泣していた ~LION/ライオン~25年目のただいま

アカデミー賞にもノミネートされていた作品、見てきました。
実話に基づいた映画です。

インドの小さな町で母と兄、小さな妹と3人で貧しくも幸せに暮らしていたサルーは、兄といっしょに町に稼ぎに出て、そこで乗った電車に閉じ込められ、遠いカルカッタまで運ばれて路頭に迷うことになります。
街をさまよい、浮浪者な子供となって2ヶ月、偶然出会った青年に救われ、そこからオーストラリアに養子にいき、幸せに成長します。
ところがある日、友人の家のパーティで見たインドのお菓子が、彼の遠い記憶を呼び起こします。
サルーは、自分が迷子であったこと、母や兄が自分を探しているであろうという想いに捉われ、それによって大きく人生を変えていきます。

予告見ると、大人になったサルーが自分の故郷だった場所を探す物語かと思いますが、まったくそういう映画ではありません。
前半、お兄ちゃんとサルーの仲良し兄弟が映し出され、その後は、サルーが街をさ迷い、そこで出会う人々との関わりを描いています。
この映画、この前半がすごいです。

サルーはたぶん5歳くらい。
サルーを超かわいがってる、大事にしてるおにーちゃん、そのおにーちゃんが大好きなサルーが、美しいインドの景色を背景に描かれます。
すべてサルーの視点、視線で描かれているので、視点が低い。
つまり、5歳児の背丈で見る世界が、カメラで描かれています。
そして、5歳児の視点で見る世界なので、説明がありません。
サルーが見たままの世界を、ただ我々に見せてくる。
その世界が、あまりにも過酷で、あまりにも美しく、あまりにも優しい。
カルカッタの街は、とにかく人が多いです。
その中をさ迷うサルー、押しのける人、どつく人もいます。
優しい言葉をかけ、ご飯を食べさせてくれた女性が連れてきた男。
映画にはまったく説明はありませんが、見ている我々には、それが人身売買、しかも性的幼児愛好者への売買だということがわかります。
さ迷うサルーに寝床を分けてくれたストリートチルドレン、サルーをすくってくれた青年、「オーストラリアはいい所だそうよ。あなたはとても幸運ね」と手を重ねてくれた女の子。
それらも、淡々と映像で見せるだけです。

満席だった観客席から、いっせいにすすり泣きが聞こえたのは、サルーがオーストラリアで養子にもらわれていくシーン。
養母役の二コール・キッドマンの演技が、素晴らしすぎました。
「あなたをずっと待っていたのよ」という気持ちを全身で表す演技です。
あふれんばかりの愛と母性に輝く彼女を見た瞬間、劇場内全員、完全決壊しました。
前後左右、全部泣いていた。
私も泣いた。

この部分、前半ずっと、幼いサルーの視線で世界を見せられてきたことが、絶大な効果を見せていると思います。
もう、絶賛の演出と演技でした。

後半は、大人になったサルーが、同じく養子にもらわれてきた弟との間の問題や、本当の母親を求める気持ちに悩む様子が描かれます。
少しづついろいろな事を思い出していくサルーですが、故郷の場所はわかりません。
「2、3日、電車に乗ってカルカッタについた」と言ったサルーに、「だったら、当時の列車の時速から距離を割り出せば、場所は特定できるよ」と言ったインド人の同級生。。。思わず「くっそー、インド人めぇ~」ってなった、数字に弱い私です(苦笑)
→インド人の理数系の才能はかなりすごい

映画は最後の最後まで、席をたたないように。
最後に、これまた号泣なシーンがあります。
この映画、今年いちばんかもしれません。

で、ここでは書いちゃいけないネタバレな感想を隠します。

新しいホラー映画 ~ステイク・ランド

Netflix で世界の終わりな映画ばっかり見ていたら、なんか精神やられそうになってしまいました。
そんな中、ホラー映画ファン絶賛の「ステイク・ランド」見ました。

物語は、ゾンビ型吸血鬼が人々を襲い、狂信的な新興宗教組織が人々を襲うようになった終末的世界。
家族を吸血鬼に殺された少年マーティンが、彼を救ってくれた”ミスター”と呼ばれる男と、北にある安全な町をめざして旅する物語です。

超血なまぐさいし、とにかく次々人は死ぬしで、確実にホラー映画なんですが、今までにあったホラー映画とは確実に一線違うのは、この映画、世界の終わり、ゾンビが人を襲う世界を舞台にしたロードムービーなのです。
ゾンビ吸血鬼とも戦うし、もちろんサバイバルなんだけど、それがメインテーマじゃないところが新鮮。
そして、かなりじっくり見せてくる映画でした。

”ミスター”に鍛えられ、教えを受けて成長していくマーティンと、ふたりの旅に随行する数人の人達の運命、彼らに関わる人々がいて、それぞれの生死があります。
はっきりいって、滅茶苦茶暗い。
無残な死どころの騒ぎじゃない、放心状態になりそうなシーンとかもあります。
とにかく容赦ない物語が続くのですが、映画はそれを見つめるマーティンの視点で描かれていて、いちいちそういうのを台詞にしないし、説明もしません。
結果、見ている私たちは、マーティンの気持ちでそれを見ることになります。

”ミスター”が何者かも、映画の中にはいっさい出てきません。
吸血鬼と戦い、弱き者を助け、容赦のない冷徹な部分も見せます。
彼とマーティンの関係は、父と子、師と弟子な感じで、そこも見どころ。

最近、続編が製作されたそうで、再びマーティンと”ミスター”が再会するそうです。
ホラー映画ファンは、劇場公開されない新作をDVD購入してみているらしく、そこからあがってくる情報がとてもありがたい今日この頃。
Nteflix は、ホラー映画とドキュメンタリー映画が充実していて、しばらくはそれを楽しめそうな感じがしています。



拍手コメントのお返事

腐女子、必見!! ~ムーンライト



アカデミー作品賞受賞作品です。
すっごく地味な映画だし、アカデミー賞とらなかったら、日本で上映にならなかったかも。
で、とりあえず先に言いたいのは、これ!

腐女子諸君、速攻見に行くべし!!!

問答無用で、必見!!!


腐女子遺伝子がまったくない私でも、「こ、これはっっっ!」となるレベルの、ゲイ少年の成長と純愛の映画です。

ここから若干ネタバレな感想。

父親のいないシャロンは、”リトル”と仇名されるいじめられっこ。
その彼を偶然助けたドラッグディーラーのフィンは、その後もシャロンをかわいがります。
シャロンの母親は麻薬中毒者で男に溺れ、生活は破綻状態。
孤独なシャロンにフィンは、「人に人生を決めさせるな。自分で選択し、自分で決めるんだ」と言います。

次の章は高校生のシャロン。
オカマと呼ばれ、家庭は完全に崩壊し、学校でも陰湿ないじめにあうシャロンの心のよりどころは、フィンの恋人だったテレサと同級生のケヴィン。
そのケヴィンと気持ちを通わせた直後、壮絶ないじめに追い詰められたシャロンはついに暴走してしまいます。

最後は青年期。
少年院から出所した後、シャロンは麻薬ディーラーになり、高級車を乗りまわすほどに成功していました。
麻薬中毒から脱して施設にいる母親と和解、そこへ、かつて想いを寄せていたケヴィンから連絡がはいります。
シャロンはケヴィンに会いに、彼が働くレストランへ向かいます。

腐った視線で宣伝するならば、ガチマッチョ麻薬ディーラーが受け! 
まず、そこね。
シャロンとケヴィンが気持ちを通わせるシーンとか、本当にきれいで、ふたりの想いが自然ですごくいい。
あからさまにエロいシーンはありませんが、それっぽいシーンはあります。
そのシーンが、月夜の浜辺とかで、なにそれ!乙女ロマン全開やん!!でした。
ふたりが傷や人生を乗り越えて、お互いの気持ちを確認するシーンとか、しみじみしていてとてもよい。
そして、ラストでシャロンがケヴィンに告白するシーンの台詞がね!!!
もう、すごいから。
腐ったソウルが吹っ飛ぶレベルですから。

ただこれ、ゲイ映画じゃありません。
黒人でゲイな少年の成長の物語です。

少年のシャロンがフィンに、「おかまってどういう意味?」と尋ねるシーンがあります。
その瞬間、フィンは苦い表情を浮かべて、そして言います。
「ゲイの人たちを不快にさせる言葉だ」
このシーン、すごいなと思いました。
フィンも、彼のガールフレンドのテレサも、シャロンがゲイであろうことに気がついています。
でも、まだ少年のシャロンに自覚はありません。
フィンは、「どうしたら、ゲイだってわかるの?」と尋ねるシャロンに、「お前はまだ知らなくていい、いつか自分でわかるときがくる」と言います。
フィンは、シャロンにとって赤の他人、そして、麻薬ディーラーです。
その人が、孤独な少年のシャロンにかける言葉の暖かさ、深さは、愛情以外のなにものでもない。
人間の複雑さ、深さが表現されているすごいシーンだと思いました。

すごく地味なんですが、見てよかったです。
染み渡るような、映画でした。

だがしかし。

私の隣とその隣にいた、明らかにオーバー60歳なおっさんたち、この物語をどう見たのであろうか(笑)

怪獣映画だったぞ!~キングコング髑髏島の巨神



Twitterで怪獣映画好きな人たちが大騒ぎしていたのですが、本当に怪獣映画でありました。
コングだけじゃなくて、とにかくいろいろ、どいつもこいつもでかい。
水牛とか、蜘蛛とか、蟻とか、蛸とか。
普通の鳥とかもいますが、恐竜みたいな鳥もおりまして、ふつーにふつーなのは人間だけという・・・まさに、この島では最弱なのは人間!!
宣伝に偽りなし!!!

キングコングといえば、美女を片手に高層ビルのぼっちゃうってのが定番ですが、当然、コングの地元にはそんなものはないので、従来のキングコングとは違います。
しかも今回のコング、昭和のおっさんっぽい渋さで、「俺のシマ、荒らす奴は許さねぇ!」で大暴れなさいます。

我らが貴公子 トム・ヒドルストンと、我らが叔父貴 サミュエル L ジャクソンが出演しているんですが、完全に脇です。
なんたって、人間最弱なんで仕方ない。

主役はコングと、コングが戦う怪獣です。
はっきりいってこれ、怪獣映画。
考えてみたら、今日本では怪獣映画ってないんですよね。
ほぼ、絶滅状態。
シン・ゴジラは怪獣でてくるけど、あれは怪獣映画ではないと思うし。
んで、なぜかアメリカ人、怪獣映画好きな人が多いです。
シン・ゴジラ見て、キングギドラとモスラとメカゴジラが出てくれたらサイコーだったのにね!とか、真顔で言っちゃうくらい好きな人が多い→これ、Youtubeで見れる動画にある
んで、日本では絶滅しかけている怪獣映画を、ハリウッドが継承してるんじゃないのか?と、この映画を見て思いました。

そして今回、ちょっと驚いたのが、製作に中国の映画会社がはいっていたところ。
最近のハリウッド、中国市場が大きく影響しているので、中国を舞台にしたり、登場人物に出したりしていますし、中国での上映用に特別に編集した中国版を作っているほどだそうですが、今回のコングはその部分への比重がかなり大きいかもしれません。

登場人物に日本人が出てくるんですが、零戦乗ってる兵士が日本刀持っていたり、その刀に鍔がなかったり、「あり???」ってな部分に笑いそうになりましたが、このキャラは、最後の超かっこいい台詞にかかってくるので、笑ってはいけないのであります。

そして、これからこの映画を見る人に、ぜひぜひぜひとも言っておかなければならないことがある。

テロップが流れても、席を立つな!
最後の最後まで見ろ!!


はっきりいって、テロップがすべて流れた後が、この映画の一番重要な部分といっても過言ではありません。
私がこの映画見た時、最後のこのシーンで場内から声があがりました。

ってことで、怪獣大好きな人は、コングへGOです!!!

希望の映画 ~シング



字幕で見てきました。

6歳の時にみた素晴らしい歌声のステージを見て、それにあこがれて劇場のオーナーとなったコアラのバスター・ムーンでしたが、興行がうまくいかず、借金まみれの状況に陥っていました。
それを打破すべく、バスターが企画したのが、アマチュアの歌のコンテスト。
秘書のミス・クローリーのミスで、高額賞金が出されると告知されてしまったコンテストには、ものすごい人数の応募者が現れます。

最終的に残るのは、ゴリラのジョニー、象のミーナ、豚のグンターとロジータ、ねずみのマイク、ヤマアラシのアッシュです。
興行には失敗続きのバスターですが、オーディションの時の彼のコメント、彼の目は、確かなものがあります。
オーディションの時、アッシュはあくまでも恋人のコーラス、サポートでしかありませんでしたが、バスターはその恋人の方を落とし、彼女だけを合格させています。
さらに、ロジータの才能を認めながら、「華がない」として、グンターと組ませる。
そこまで出来るのに、なんで興行失敗しまくってたんだ?と疑問になるほど。

どんな形の歌があるかもいろいろ見せてくれて、中には日本のAKBもどきなのも登場。
字幕版だと、バスターの声をやってるマシュー・マコノヒーがベタで日本語使っていて、ここはもう爆笑のシーンでした。

バスター・ムーンというキャラクターが、とにかくすごい。
私は、むやみやたらなポジティブシンキングがクソ大嫌いなのですが、この映画、常に明るく前向きですが、”むやみやたらなポジティブシンキング”がまったくありません。
素晴らしい才能を持っているのに、内気すぎて人前で歌えないミーナに、バスターがかける言葉や、父親を助けるために盗みをしようとしたジョニーが、バスターの残した言葉にそれをやめるシーンとか、「君なら出来るよ!」「絶対にうまくいくさ!」じゃないのがすごい。
バスターが合格メンバーや見ている私たちに示すのは、希望と自信です。

そのバスター自身が、希望を失った時、いきなり燦然と輝くのが、彼の友人の羊のエディ。
資産家の息子で、親がバスターに融資しているどら息子ですが、バスターが地の底までおっこちた時、エディは「金をだす」ことはしません。
「お前のために、お前といっしょにやる」ことを、迷うことなく選択します。
すっげーいい奴!!!
友達の鑑みたいな人!!!

この映画、ひじょうに緻密に作られています。
うっかりすると、なにげにスルーしてしまうシーンに、実はものすごい意味がある。

冒頭、エディとバスターが高級レストランで食事するシーン。
お金のないバスターは、サンドイッチ持参です →ありえん!って爆笑シーン
エディは払えても、自分は払えないからです。
つまり、バスターはそこの支払いを、裕福なエディに払わせる気はまったくない。
さらには、バスター自身が、お金に価値を置いて仕事をしているわけじゃないのもわかります。

ミス・クローリーは、おばあさんです。
いろいろな所でいろいろダメなことしますが、バスターは一度も彼女にイラつきません。
彼女の誠実さ、正直さ、やさしい真面目な仕事ぶりを信頼していることが、途中からわかってきます。

ダメンズに尽くして才能を棒にしていたアッシュに、「君はすごいよ」と伝えるのもバスターです。
その伝え方がすてきでダサい(笑)
アッシュがバスターの言葉に、どんどん磨かれて才能を発揮していく様は、本当に素晴らしいです。

ねずみのマイクは、この映画の中で唯一、死ぬほど嫌な奴です。
自分の才能を自慢し、他人をあしざまにこきおろす。
しかし、バスターは一度も彼を嫌うことはないし、常に誉めます。
その才能が素晴らしいからです。

そしてそのマイクが、たったひとりだけ、その歌に感動するシーンがあります。
彼はそれを隠そうともせず、それこそ目に涙を浮かべてるみたいにして、賞賛の表情でその人を見ます。
つまり彼は、真に才能のある人に対しては、きちんと評価する力ももっているということです。

バスターの他に、個人的に超注目したのは、豚のグンターでした。
予告にも出てくる、超派手な衣装でパフォーマンスする彼です。
もうね、これ、言いたい。

すっごいいい人だから!!!
一家にひとり、グンター!!ってくらい、いい人だから!!!
この映画の中で、いちばん好きだからっ!!!


ちなみに、吹替も、きちんと歌える素晴らしい配役だそうで、機会があったらこちらも見たいと思います。
字幕も、素晴らしかったので、どちらを見ても損はなし。

人生どどーん!と落ちた時、この映画を見ればいい!って思いました。
バスターが大きな声で 「 Up!!」って言ってくれます。

見た者すべてを地獄に叩き落す怪作~哭声/コクソン

ホラーマニアな方々が声をそろえて大推薦していた韓国映画「哭声/コクソン」、見てきました。
一般受けはしない映画なので、関東圏でも上映館はとても少なく、いつまで上映しているかわからないので、初日定額で観ましたが、なんとほぼ満席。

地方の山村で、連続殺人事件が起こりますが、犯人はそれぞれ被害者の家族。
現場はどれも血まみれで凄惨な状況、犯人は全員、得たいの知れない皮膚病を患っており、恐ろしいほどの凶暴になっているという共通点をもっていましたが、原因は不明のまま。
人々の間で、「事件には、山奥にひとりで住む日本人が関わっているらしい」という噂が流れ出します、
そんな中、事件を調査する警官の娘の身体にも、犯行に及んだ人々と同じ皮膚病の兆しが現れます。

子煩悩で平凡なひとりの警官が、地元に起こる得たいの知れない血なまぐさい事件に、「いったい何がおきてるんだ?」と疑問に思いつつ、妻、母、娘と平和に平凡に日々すごす生活が描かれますが、娘の身体に加害者たちと同じ皮膚病が現れ、凄まじい凶暴性を見せ出すあたりから、一気にホラー感が増します。

それまでは、人々の噂に「何言ってるんだ」という冷静な態度を示していた彼が、得たいの知れない日本人が原因らしいという噂に捉われ出し、悪霊に憑かれているという霊媒師の言葉を信じ、それは呪いなんじゃないかという言葉に、謎の日本人を原因だと確信するまでの流れは、明らかに常軌を逸していくようにも見えますが、目の前に繰り広げられる凄惨な事件と、それと同じ状態になった娘を前にした父親の彼がそうなってしまうのも無理はないという見事な演出。

「シン・ゴジラ」でも名演を見せた國村準が演じる謎の日本人、強い力を持つ霊媒師、日本語の通訳を勤める見習いの神父、事件の現場に現れる謎の女が、主人公の警官にそれぞれ違うことを語ります。
村の人々が語ることも、真実なのかどうかわからない。
警官は何を信じ、何が本当かわからなくなる中で、娘を救いたい一心で東西奔走し、その結果、彼自身が狂気の世界へと足を踏み入れることになっていく。
そして後半、怒涛の展開。
もう、呼吸するのも忘れるレベルでした。

いやぁ、もう、なんていうか、地獄を通り抜けたらまた地獄、しかもどんどん深い地獄に落ちていく・・・みたいな映画で、終わった後、そこにいた人全員放心状態って映画でした。
ひじょうに難解で、しかも観ている我々も何が真実かわからないまま(ラストはきっちりあるので、物語としてはまとまってる)放置されるし、「じゃあ、あの時のあれはなんだったの?」とか、「誰が真実を言ってたの?」とか、疑問や疑惑が残されるので、「全然意味わからなかったよ」って人もけっこういたようです。
しかし実は、それがこの映画の最大の恐ろしさでもある。

いきなりふってきた恐怖って、たいていは何がなんだかわからない。
意味なんてない。
だからこその恐怖で、何が本当で、何が真実で、何がおきてるのかなんてわからないからこそ、怖いわけで。
人によっては「先祖の呪い」っていうのを信じるだろうし、「物の怪が出た」を信じる人もいるだろうし、「神様の罰」を考える人もいるでしょう。
実際、おきてる怪異の理由や真相なんて、我々にはわからないわけです。

さらにこの映画、社会における恐怖も描いています。
小さな村で起きる怪事件に、よそものが吊るし上げられる。
「あいつが犯人だ」という噂に、何の根拠もありません。
霊媒師が「これは凶悪な物の怪の仕業だ」と言ったことを、即座に「あの日本人に違いない」と襲撃にいく人々。
それは悪霊とは違う、別の恐ろしさがあります。

この映画、キリスト教、新興宗教、土着信仰、心霊、物の怪、凶悪殺人、奇病、ゾンビと、とにかくありとあらゆるホラー要素ぶっこんできていて、しかしまったく違和感がなく、そして、今まで見たこともなかったような恐怖を生み出しています。
しかし、見終わった人たちの中には、「これ、ホラー映画だったのか?」と疑問を持つ人も多数。
すさまじい恐怖と狂気を描いていながら、観た人に残されるのは、”疑問”のほうが大きい。
そして、その”疑問”すらも、さらなり恐怖につながるオソロシ展開です。
そっちの向きで知識がある人だと、そこに秘められた意味がわかって、「!!!」ってなるシーンも多く、一瞬見せるシーンに「!!!」って箇所があったりで、緻密に作られているのがわかります。

監督は、「自分をとりまく社会を描きたかった」そうで、長い時間をかけて脚本を作り上げたそうです。
俳優陣も素晴らしい演技で、ただホラー映画として片付けてしまうにはもったいない、重厚な映画でした。

とはいえ。

すさまじく後味悪く、ホラー耐性弱い人だと、ガチで夜眠れなくなるレベルで怖い映画です。
血に弱い人とかは、絶対に見ちゃだめ。
あと、こういう言い方すると不快に思われる方もいるとは思いますが、わかりやすい映画が好きな人だと、「なにこれ?意味わかんないし」とか激怒モードはいる、「てめぇの頭で考えろ」な映画なのでまったくお勧めしません。
逆に、ホラー好きな人には、「何があっても絶対に見るべし!」と、超推薦します。
あと、カップルでいったら地獄見るだけで終わるので、やめたほうがいいです。

個人的には現時点で、今年いちばんの映画となりました。
もう一度みたいレベル。
韓国ホラー映画、すげーです。
未だに頭から離れません。

もう一度言いますが。

生半可な気持ちでみにいったら、数日、悪夢にうなされると思うレベルの映画なので、覚悟をもって見に行ってください。
それでいったら、期待以上のものが見れます。

形なんてどうだっていい ~彼らが本気で編む時は



編み物の映画キター!!!って見に行ってきました。
監督は、絶大な人気を今もって誇る「かもめ食堂」の荻上直子さん。

小学生の娘を置き去りに母が家出した後、トモは叔父のマキオのもとに身を寄せます。
叔父には、同居している恋人がいて、名前はリンコ。
元は男性だった人でした。

生田斗真がトランスジェンダーの女性リンコさんを演じた映画ですが、トランスジェンダーを描いた映画ではありません。
形なんて、どうでもいいじゃないか。
規範ってなんなんだよ、そんなの関係ないよ。
普通とか普通じゃないって何?それ、いったい何の決まり?
・・・っていう映画です。

この映画に出てくるお母さんたちは、全員シングルマザーです。
父親の存在はありません。

トモの母親は、母親としての責務を負うことはできていません。
コンビ二のおにぎりを食べさせておけばいいと本当に思っていて、小学生の娘をひとり残して、男を追いかけて家出をすることをくり返している。

トモのおばあちゃん、マキオの母親は、浮気を繰り返し、ついには女のところにいってしまった夫を恨みながら、その想いを編み物にぶつけていました。
夫がいなくなった後、残された息子の面倒を見ることに生きていたような彼女、マキオはそれを拒絶することも出来ず、のしかかる母親の重さに耐える日々を送っていたと語っています。

リンコさんの母親は、男の身体で産まれてきてしまった娘を理解し、励まします。
小学生のトモにすら、「リンコを傷つけたら、絶対に許さないから」といいます。

恐らくはゲイのカイ少年の母親は、彼女が思う”普通”と違うことを、絶対に許すことも出来ないし、認めることもできない。
だから、リンコをおかしな人間と見るし、息子が別の少年に書いたラブレターを異常な行為として、リンコさんやトモ、息子を追い詰めます。

リンコさんは、もともとは男性でした。
でも、孤独な子供だったトモを心から愛し、大事にし、抱きしめます。

トモを引き取りたいと言ったリンコさんに、トモの母親が叫びます。
「あなた、何言ってるの?あなた、女じゃないじゃない!母親になれると思ってるの?トモが生理になったら、胸がふくらんできたら、あなた、相談にのってやれるの?」
子供ひとり置き去りにして、1ヶ月以上家をあける女に、母親の資格があるかって、そこを問いたい台詞です。
しかし、マキオの言葉から、その彼女も、周囲の反対を押し切って、ひとりでトモを産んだ背景があることがわかります。
トモの母親は、トモに向かって叫びます。
「私にだってわからない。女でありたい時だってある。逃げてしまいたい時もある」

ぶっちゃけ、セックスすりゃあ子供が生まれる可能性はあるわけで、その行為だけに限定すれば、能力は資質を問われることなく、女性はおおむねみんな、母親になれます。
逆に言えば、子供を産んでいないから母親の資格がないとか、女としてだめだとかいう理由にもならない。
そもそも、資質や資格があって、妊娠、出産してるわけじゃないんだから。

リンコさんは、とっても優しい、誠実な女性です。
リンコさんによって、トモは、手作りのご飯が並ぶ食卓を知り、愛情のこもったお弁当を知り、毎朝髪をしばってくれる優しい手を知り、抱きしめてくれる暖かさを知る。
だからトモは、怖いことがあると、悲しいことがあると、どうしようもなくなると、リンコさんのところに飛んでいって、抱きしめてもらうようになる。

カイの母親が連絡して、幼児虐待を疑う役所の人が、マキオの家にやってくるシーンがあります。
こわばった顔で、担当の女性のチェックを受けたトモは、終わったやいなや、リンコさんのところにすっ飛んでいって抱きつく。
それを見た役所の女性が、うっすらと笑顔を浮かべます。
このシーン、ゲイのカップルがダウン症の子供を引き取ろうとした物語「チョコレート・ドーナツ」を思い起こさせるシーンでした。
「チョコレート・ドーナツ」では、まだゲイの差別が激しい時代、ゲイカップルが子供を養育することを容認しなかった人々に対し、その調査にあたった役人の女性が、「調査の結果、同居しているふたりの男性は、愛情をもって子供に接し、彼の養育にふさわしい環境と状況をもちえている判断します」と冷静に裁判で語っています。

リンコさんは子供が産めないかもしれないけれど、短い間だけだったかもしれないけれど、確実に、トモにとって、おかあさんだったときがあったはず。

そしてこの映画、他の部分でも、ブレイクスルーを何気なく投入しています。

リンコさんの恋人のマキオは、ゲイではありません、普通の男性です。
けれど、姉は「あんたの性的嗜好は・・・」という台詞を吐く。
リンコさんを女性と見ない社会のありよう、人の視線の中で、マキオは、「リンコさんみたいな人を好きになっちゃうと、他のことなんてどうでもよくなっちゃうんだよ」と言っています。
もとは男性だったこと、子供が産めない身体であること、女性としての身体は人工的に造形されたものであること。
そんなこと、どーだっていいじゃん!とはっきり言ってる。

リンコの母親の夫は、明らかにかなり年下です。
彼が何をして、ふたりがどうやって知り合ったかはわかりません。
彼は、トランスジェンダーの娘(もしかしたら、リンコさんとたいして年齢が変わらないかもしれない)がいる、かなり年上の女性と結婚していることだけが描かれています。
彼は、厳しい言葉を小学生に放った妻をさりげなく諭し、集まった家族のためにお鍋を作ります。
そこにもやっぱり、世間でいうところの、”普通”ってものはありません。

形や規範なんて、その人が幸せになるのに関係ないし、必要ない。
その人なりの幸せのあり方を、他人がジャッジする権利なんてない。

この映画はそういうものを、どっさりつっこんで、優しく描いていたように思います。

生田斗真が、とても丁寧にリンコさんを演じていて、心がほんわかしました。

ちなみに。
肝心の編み物ですが。

ちんこ と おっぱい しか編んでなかったよ!!!(爆)


極上のホラー ~プリースト 悪魔を葬る者



Twitterでフォローしているホラー映画好きな方がお勧めにあげられていたので、探してみたところ、SP4でレンタルできたので見ました。

個人的に、エクソシズムにとても興味があり、関連書籍もいろいろ読んだりしています。
韓国はキリスト教信者が多いと聞いてはいましたが、韓国映画とエクソシスト映画っていうのがどうマッチングしてるのか、全然想像つかず、お勧めはいただいたものの、「どんなもんなんだろーかねー?」って感じでした。

見てびっくり。
ガチでエクソシストの映画で、極上のホラー映画でした。
すごかったし、素晴らしかったです。

悪魔にとり憑かれた女子高校生がいるという話が、教会上層部で話し合われる中、公式では否定されている悪魔祓いに、キム神父が向かうことになります。
彼の師は死の床にあり、助手は10人以上も逃げ去っている中、キム神父は神父学校に依頼をし、新しい助手を求めます。
選ばれたアガトは、学校内の問題児で、大きなトラウマを抱えていました。
記録を引き継ぐべく、前任者のもとを訪れたアガトは、前任者の異様な怯えを見、他の神父からは「気をつけろ」と警告を受けます。
そして、詳細を何も知らされないまま、アガトはキム神父とともに、悪魔にとり憑かれた少女のもとへと向かいます。

何知らない状態でも、十分ホラー映画として楽しめるんですが、エクソシストに関しての知識がちょっとでもあると、この映画、さらに面白くなります。
とにかく細かいところまで、きっちりかっちり、悪魔祓いが行われる際に起こることや、儀式の詳細などが描かれています。
しかも、字幕で出てこない韓国語の部分や、何気ない数字の表記、祈りの言葉の意味など、それぞれ符号があって、それに気がつくかどうかで、この映画の面白さが格段違ってきます。
ちなみに私は見た後、それについて解説してくれているブログでそれを見ました → ここ

前半、アガトがキム神父に会うまでは、ホラー要素はかなり薄いです。
薄いですが、散りばめられた断片が、後半部にすべてつながるので、ここでそれに気がつくかどうかが、後半の恐怖の幅を広げることになります。 
例えば冒頭、どうやらイタリアから派遣されたらしいカソリック神父たちが悪魔祓いをした後、なぜかカーチェイスになっています。
これ、この時点では何がなんだかわかりません。
わかりませんが、この時、彼らが車で引いた人間が、その後出てくる悪魔に憑かれた女の子です。
このシーン、祓われかけている悪魔が、その能力のすべてを賭けて、神父たちに戦いを挑んでおり、その信仰を試しているシーンだとわかるのは、映画の最後。
冒頭の神父たちは、結果的に女子高生を見殺しにしたことで、神への信仰に背くこととなり、悪魔祓いは失敗することになります。

また、アガトの前任者の助手が、いろいろ意味不明なことを言いますが、アガトが去るシーンで、彼の背中に赤黒い痣がたくさん浮き出ているのが映されます。
これが何を意味するのかも、悪魔祓いのシーンで明かされる。

一度逃げ出したアガトが、過去の自分、死んだ妹と対峙するシーン。
妹が死ぬ時、逃げ出したアガトは、靴を片方なくしていますが、悪魔祓いから逃げ出したアガトの両足には、靴がありません。
これも象徴的なシーンで、見ていて思わず「すごい」と言葉にしてしまいました。

エクソシストのシーンは、過去製作されたそっち系の映画のものとは、またちょっと違っています。
そこがけっこう斬新でした。
使われるアイテム、儀式の方式などアレンジされています。
こういうところ、欧米だとほとんど同じ描写になりますが、韓国という違う国での製作ということもあり、そういう宗教的には大胆なアレンジもできたんじゃないかと。

悪魔祓いのシーンは、一見の価値があるほどに凄惨、かつ実際のエクソシストの記録にあるものを踏襲しています。
これ、本当にすごい。
いやぁ、韓国映画、すげーわ・・・・・・と、感動するレベルでした。
怖いのが苦手な人だと、たぶんトラウマになるレベル。
そっちの向きが苦手な人は、夜見ないほうがいいです。

エクソシストというのは、その信仰心を試され、人としての善良さで戦います。
この映画でも、それがあちらこちらに出てきます。
かつて、イタリア人神父たちがたどりつけなかった場所へ、アガトがたどりつくのは、彼がその道程で誰も犠牲にせず、任務遂行のために何をしても許されるという欺瞞を持たなかったからです(それが冒頭につながるので、見ている人は気づく展開)。
そして、逮捕され連行される中、アガトのために「神の御使いをもってご加護を」と祈るキム神父、その祈りが、アガトの乗ったタクシーの運転手さんによって成されていたのを知ったのは、リンクに貼ったブログの方の解説を見てからです。
(ちなみに、タクシー車の番号も、聖書の一節に符号しているとのこと)

憑かれた女子高校生が、凄惨な悪魔祓いの最中に、朦朧とした意識の中でキム神父に言います。

「大丈夫。私がおさえているから」

いやぁ・・・・もうこの言葉に、思わず泣きましたよ。
この言葉は、「エミリーローズ」見ている人だったら、絶対泣けます。

そして、この言葉も、映画の中に出てくる「悪魔は犯罪者のように、その身を隠し、逃げる。なぜなら、自分の存在が知られることは、つまり、神の存在を浮き立たせ、人々の心をそちらに向けることになるからだ」という台詞につながっています。
これは、「エミリーローズ」のラスト、エミリーが聖母マリアに「なぜ、自分がこんな目にあうのか」と問うた時に、聖母マリアが彼女に答えたそれにつながっています。

個人的には、悪魔祓いに使われた子豚も、アガトに引き取られるまで、別の修道士にとてもかわいがってもらい、大事にされていたことも、悪魔祓いを成功させる大きな鍵になってるような気がしました。

予想をはるかに超えて面白く、そして素晴らしい映画でした。
ちなみに、悪魔に憑かれた女子高校生を演じた女優さんは、その年、助演女優賞を受賞しているんだそうです。
いやー、DVD買っちゃおうかなー。
もういちど、見たいなー。

おっさん天国! ~マグニフィセント・セブン

知らない人はいない(と思う)、かの「荒野の七人」のリメイクです。
「荒野の七人」は大元の「七人の侍」同様、依頼をしてくるのは農民、戦うのは盗賊団でしたが、「マグニフィセント・セブン」は、金鉱を狙う実業家が敵、街をのっとろうとする彼と戦う街の人たちが依頼人でした。

南北戦争時、北軍で戦っていたサム・チザムが、夫を殺されたカレンと出会い、街を救ってほしいと頼まれます。
そこからサムが、いっしょに戦う人間を選んでいくわけですが、個人的にはこのあたり、「なぜ、彼らがメンバーになることを承諾したか」って部分が若干薄かったのが残念。
死ぬ前提の苛烈な戦いである切迫感とか、かなり薄い。

とはいえ、集まってくるおっさんたちが、どいつもこいつも曲者で、しかもかなり濃いキャラなので、その勢いに飲まれて、途中からそういう瑣末なこと、どーでもえーわ!になりました。

詐欺師でギャンブラーのファラデー、南北戦争で23人を狙撃で殺した伝説の男”グッドナイト”ロビショー、その朋友ナイフ使いの東洋人ビリー、インディアンハンターの山男ジャック・ホーン、賞金首のメキシコ人ヴァスケス、そして孤高のネイティブアメリカン レッドハーベスト。

全員集まったところから、もう目が離せない状態。
だって!

むさくるしいおっさんたちが、

きゃっきゃっうふふしながら

銃撃戦 ですよ!!!


ファデラーとヴァスケスの掛け合いもすっごくいいし、ロビショーとビリーのいちゃこら具合は素晴らしすぎてもだえるレベル。
ロビショーのふたつ名が、グッドナイトですよ!!
スナイパーで23人、「おやすみ」させちゃった男って、恐れられてる。
ジャック・ホーンに至っては、熊の妖精さんですよ!!!
馬に体当たりして、人間投げ飛ばしますからね!!!

そしてさらにこの映画、敵もおっさん天国!!!
ガトリングガンぶちかますおっさんとか、片目の渋いおっさんで、台詞ないのにすごいインパクトあります。

そして今回、依頼した人たちも、ただ見てるだけじゃない。
カレンなんて、自ら銃とって戦います。
怪我した男、守ろうとして、その前に立つほど。
すばらしい・・・

情に流すシーンが皆無なのも大変よろしい。
何気ないシーンにも、はっとするようなものが内包されてるのも素晴らしいです。

例えば、カレンが撃ったライフルを、サムが何も言わずにとりあげるシーン。
大事な人を奴に殺された者同士しかわからない、言葉のない語らいの一瞬でした。
人々が無残に殺されていくのを、怯えながら見つめていた少年が、7人の男たちが戦うのを見つめ、そして最後、去っていく彼らの後姿を見つめるシーン、まさに、真の漢の背中を見つめて、少年が彼らの意志を継いでいくだろう、未来を予感させる一瞬でした。
トラウマのために、人を撃つことができなくなっていたロビショーが、誰かを守るために引き金を引くことができるようになったのがわかるシーンとか、熊の妖精さんが「お前らと戦えるなら、明日が最後でもいい」みたいなこと言うシーンとか。

クレジットにはいったら、あの「荒野の七人」のテーマ音楽が流れて、うっかり私、泣いちゃいました。
いやもうね。
幼稚園の頃から、西部劇、マカロニウェスタン好きの両親からやまほど映画見せられて育って、某西部劇マニアの書籍に記載されていたそっち系の映画、見ていなかったのは1本だけだったって自分にとって、「荒野の七人」は永遠のヒーローなものですから。

アメリカでは、興行成績悪かったらしいですが、日本ではけっこう話題になっているようで、よかったよかった。
レイトショーで見ましたが、館内、私含めて女性3人だけでした。
ありゃ(笑)

おっさんスキーな皆様。
今からでも遅くはありません。
行くべし。
おっさんスキーには、たまらぬ一作、会心の一作、おいしい一作です。

それは誰の”沈黙”なのか ~沈黙 サイレンス



原作を読んだのは中学1年生の時。
あらすじは覚えていましたが、詳細、きれいさっぱり忘れてました。

まず、スコセッシ監督の偉大さに感服。
ハリウッドのナンチャッテ日本をさんざん見てきた身としては、ここまできっちりかっちり、当時の日本を描いたというのがすごい。
日本人が見ても、違和感がないというのが、とにかくすごい。
さらに、この映画を作るには、日本人にしかない独特の宗教観を理解しないと無理で、それもきっちり理解されての製作と思われ。
そこ、たぶん、西洋人には一番難しい部分と思っていましたが、完全クリアでした。

師であるフェレイラが棄教したという知らせに、ロドリゴとガルペは、その真実を確かめるのと共に、多くの司祭や信者が殺されている日本への布教に、最後の司祭としてやってきます。
たどりついた切支丹の村で、切支丹弾圧がいかに過酷なものかをまざまざと見ることになったふたりは、その後、別々に潜伏し布教しながらフェレイラを探そうとしますが、ロドリゴは案内人のキチジローの度重なる裏切りにより、役人に拿捕されます。

すごく複雑なものを描いています。

切支丹であることを告白しないのなら、村から4人、人質をとるといわれた時。
村人ではないキチジローを、「お前は村の人間ではないから、人質にいけ、命を差し出せ」と村人たちが言い立てます。
そして、目の前で磔にされて死んでいく仲間を、黙ってみている。
関係ない人間を差し出し、仲間が殺されていくのをただ黙ってみているのは、人として許されることなのか?という部分。

ロドリゴとガルペも、同じものをつきつけられます。
自分たちがキリストの絵を踏まなければ、目の前で切支丹たちが次々と殺されていく。
踏むのか、共に死ぬのか、それとも、彼らの犠牲の前でもなお、信念と信仰を貫くのか。

逆に、踏み絵を前にした切支丹たちも描かれます。
司祭であるロドリゴがいる前では、どうしても絵を踏むことができない切支丹たち。
ロドリゴをうかがうように見る彼らの姿に、ロドリゴがそこにいなければ踏んでいたかも知れない可能性を見せてくるのは、見事でした。
殉教を覚悟しているかのように見えて、「パライソにいけば、苦労がなくなる」というふうにしか信仰を捉えていないかのように見えるモニカ。
踏み絵をしなかった身内がどうなるかを目のあたりにして、泣き叫ぶ彼女に、どれほどの理解があったのかはわかりません。
では、彼らにとって、信仰とはいったいなんだったのだろうか?という疑問。

日本人役人たちは、優しい声で笑顔で言います。
「踏み絵も形だけだ。自分たちは、お前たちを拷問にかけて虐殺するなんて、本当はしたいとは思っていない」
井上筑後守は、「キリスト教は日本にとって、危険な存在である」と言い、通詞(通訳)は、「パードレたちは、日本の文化や人々を卑しいものと見下していた」とロドリゴに話します。
自分が見下す人々に、神の愛と信仰を説くことの矛盾がそこにあります。
通詞が見た司祭たちは、日本に何を求めたのか。

そして、キチジロー。
裏切ってはコンヒサン(告解)を願う彼の姿は、「告解すれば、罪をあがなえる」というキリスト教の教えの矛盾を体言していると共に、それでも信仰は潰えないという真実も描いていて、さらにその姿には、まさに裏切り者ユダの姿が重なります。

信仰と信念が犠牲を招くしかない中、ロドリゴの叫びと悲しみ、祈りは次第に空回りを始めます。

「なぜ、神は答えてくださらないのか?
 神はなぜ、沈黙されたままなのか?」

いやぁ、これ、西洋人にはわからないだろう。。。と思いました。
とくに、キリスト教信者には、まったく理解できないだろうし、理解したくないだろうなと思いました。

私がリアルで関わった日本人信者な人々、「信者になれば、天国に行かれるから洗礼受けなさい」とか言ったり、教会に誘っても来ない人たちを「悪魔の甘言にのっている」とか言ったり、「神社やお寺にはいったら呪われる」と言ったり・・・・なにそのオカルトっぷり。。。な人が多く、あまりのことに、アメリカ人宣教師にそれを言ったら、爆笑の挙句に「それは、キリスト教とはまったく関係ないし、そもそも我々が聞いてもありえない」と真顔で言われたことがありますが。
彼らには、この映画に描かれているものなんて、さっぱりわかんねーだろうなーと、まず思いました。
逆にいえば、熱心な信者とかいっても、そういうレベルもあるわけで、信仰ってとっても曖昧でいい加減な部分があるって証明でもあると思います。

欧米のキリスト教信者にとっては、信仰は空気吸うのと同じようなもので、そういう彼らが、この映画に描かれているものを、果たして受け入れて理解しようとするかは、甚だ疑問。
恐らく、ロドリゴやフェレイラの苦悩や痛みは、まったく理解しないだろうし、むしろ石礫飛ばして終わるってだけなような気もします。
熱心な信者のアメリカ人や宣教師、神父様に知己はいますが、正直怖くて、「どう思いますか?」と聞けない。
聞けないけど、とても、すごく、知りたいです。

この映画、BGMがありません。
音楽はまったくなく、自然の音だけがずっと流れます。
そして時々、ふっと音が消える。

神は本当に沈黙していたのか。
何も言わなかったのか。
その答えは、ちゃんと映画にありました。
「神は、あなたと共にある」
それはまさに、キリスト教の信仰の根幹だと思います。

ところで。

映画の中で普通に日本語使われていますが、ハリウッド映画だから、農民も役人もわりと英語しゃべってます。
それ見て、あ!!って思ったのは、布教にやってきた宣教師たちは主にスペインやポルトガルの人たち。
なのでもしかしたら当時、彼らの話を聞くために、言葉を覚えた人は意外に多かったかもしれないと思いました。

欝展開とか言われていたのでちょっと心配しての鑑賞でしたが、欝展開ではありませんでした。
あと、泣くような映画もでなく。
ただ、あとあと地味にせまってくる映画です。

いやぁ・・・・・・スコセッシ監督、すごい映画作ったわー。。。。。(しみじみ)

それはあまりにも悲しい現実の物語 ~ヒトラーの忘れもの

第二次大戦終戦後、デンマークに残された地雷の撤去を、ドイツ捕虜兵士となった少年兵たちが動員されていたという実話を映画化したものです。
この映画の舞台は、美しい浜辺。
連合軍を上陸させないために、とてつもない数の様々な地雷が埋められていました。

地雷撤去のための訓練を受けた少年たちは、チームにわかれて、各地に派遣されます。
食べ物も与えられず、ひたすら浜辺に寝そべって、命賭けで地雷を撤去していく。
「全部撤去したら、ドイツに帰す」と言われた言葉を信じて、過酷な日々をぎりぎりの状態で生き延びていきます。

彼らを指揮する軍曹がいかなる人物か、映画の中ではほとんど描かれていません。
少年たちを殴り、罵倒し、体調を崩してふらふらの少年を休ませることもなく、少年たちを浜辺へと送り出します。
しかし、彼がただの愚かな人でなしでないことは、見ている我々にすぐにわかります。
軍曹は、彼らがまだ子供で、戦争やヒトラーの責任を負う立場にないこともきちんと理解しており、彼らの足蹴にするようなことはしません。
けれどそれは、自分の国を蹂躙し、多くの罪なき人々を虐殺したナチスドイツに対する憎しみと相容れることはなく、軍人として彼がまっとうしなければならない責務と対立することになります。

この映画は、情に訴えることをまったくしていません。
戦争という状況がなくなった時、人は敵、味方というカテゴリーを失います。
その後には、人と人との関わりだけが残る。
そうなった時、かつては敵国の兵士だった少年たちは、ただの”男の子”たちに戻ります。
彼らは軍曹にとって、”ただの普通の子供”です。
しかし、少年たちは、”ただの普通の子供”であることを失っています。

少年たちは、兄弟を、友人を、仲間を次々と失い、心を削られ、希望を失っていきます。
爆発の後、何も残さずに消えた少年の存在が鮮烈で、吹き飛ばされた少年の姿を探し求めて半狂乱になる別の少年の姿があまりにも痛ましい。
静かで美しい浜辺の情景の中で、爆発の炎だけが赤く、爆発の煙だけが黒く、その後には何も残されていないという現実が、見ている我々の心をえぐります。

生き延びた少年たちが次に送り込まれた、さらに過酷な場所で、そこに立つ少年たちの表情は、恐らくこの映画を見た人全員の心にすさまじい衝撃を与えます。
彼らには、身体を四肢散々して死ぬだけの運命しか残されていません。
この映画のラストに描かれたのは、作った人々や見ている我々の願いであり、希望であったと思います。
それはつまり、現実には決してありえなかったであろう、少年たちの運命でもあるでしょう。

涙が出るとか、泣くとか、そういうのを超えた映画でした。
近くの席にいた女性が、耐え切れずに声をあげて泣き出し、映画終了後、年配の女性が映画館のスタッフに「この映画は、もっといろいろな人が見るべきだろう」という話をしていました。
地雷撤去に借り出されたドイツ兵は約2000人、その半数以上が爆死、もしくは手足を失いました。
動員されたドイツ兵の多くが、少年兵であったことが、映画のしめくくりとして書かれています。

「奴らはドイツ兵だぞ」と言った上官に向かって、「死に掛けて、母親を呼んでいた。まだ子供だ」と返す軍曹。

この実話は、デンマークでも長い間、隠されていた話と書かれていました。
生き残ることができたドイツ人少年兵たちは、今、どうしているのだろうかと、パンフレットにある彼らの姿を見ながら、ふと、思いました。

ローグワン追記

大事なこと、忘れてた。

「フォースとともにあらんことを」という有名な台詞、英語だと May the force be with us なんですが。

最後、ラムザ提督が、ローグワンのすべての人たちにひとこといいます。

May the force be with you

泣くからね、ここね、号泣。

漢泣きの映画 ~ローグワン

スターウォーズは全部見ていますが、とくに好きってわけでもなく、思い入れもないシリーズです。
見るのは、惰性が半分、上映時間内きっちり楽しませてくれるとわかっているので、安心して見れる映画だからってのが半分。
なので、「ローグワン」もその流れで見に行きました。

物語は、エピソード4の前。
デススターの設計図を盗み出した人々の物語です。

実は私、エピソード4見た時、確かレイア姫だったかが、「デススターの設計図を盗み出した者たちがいて」って話をしているくだりがあって、「その人たちはどうなったんだろう」って思った記憶がありました。
いやだってさ、そんなもん、盗み出すくらいなら、それこそ英雄だし、なんでその人たちがそこにいないのかって疑問だったのです。
そしてその理由が、この「ローグワン」に全部つっこんでありました。

いやぁ、申し訳ないんだけど、とくに期待してなかったよ。
ふつーに面白く楽しく見れればいいと思ってました。
とんでもなかったです。
いやもうなに、大泣き。
号泣。
隣の知らないおっさんも、いっしょに号泣。

デススターが完成するというところで、実は反乱軍は降伏を考えていたところで、一部の兵士たちが、命令を無視して一小隊を自分たちで編成し、文字通り、命をかけてデススターの設計図を盗み出す話でしたがね。
なんたってもう、スターウォーズ史上初、大量の人間の死ぬシーンがあります。
敵も味方もがんがん死んでいく。
反乱軍の人たちの多くは、その死ぬ覚悟とか死ぬ瞬間とかを見せる場面があって、余計に胸にせまります。

なんていうかね。
物語としては、今までにもよくあった系の話なんですけど、もうなんていうか、熱いんですよ!!
むっちゃ、熱いの。
熱苦しすぎるくらい、熱いの。
ちきしょー!ってくらい。

ローグワンの中には、フォースの戦士はいません。
ダースベーダーだけ。
ただひとり、それとは別に、盲目の僧兵がでてきます。
ドニー・イェン演じるこの僧兵が、すごい。
フォースを信じる彼が、特殊な力を持つことなくあそこまでの心眼を持つにいたったのが、とにかくすごい。
誰もジンを信じようとしない、彼女の考えを「無理だ」と決め付ける中、彼だけがその心眼をもって、彼女を信じています。
何も言わずに彼女の手を握るシーン、胸熱すぎて泣きました。

みんながみんな、戦うのに理由があります。
それぞれの想いを胸に、自由のために、本当の平和のために、戦う事を選び、命を捨てる。
ローグワンはそういう映画でした。
ラスト、「いやこれ、ディズニーだろ?スターウォーズだろ?」って終わり方でした。
ある意味、衝撃的。

マニアックですが、「攻撃を!提督は?」って司令部で誰かが言ったら、「もう出撃しちゃってます」みたいな答えが返ってきたシーン。
ラムザ提督!!!
憶えてる!!
4でも出てた!!
すっげー大好きなキャラだった!!!
むっちゃ熱いおっさんな提督だった!!
そのシーンで、「え!マジ、さっさと出撃しちゃってたんかよ!ひゃっふーーーー!!」ってなって、ここでも泣きました。
提督の出撃がなかったら、あのミッションは成功してなかったと思う。

ってことで、超ハイパー胸熱映画なので、また見に行くつもりです。

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