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アニメとGAMEとマンガな日々
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おっさん天国! ~マグニフィセント・セブン

知らない人はいない(と思う)、かの「荒野の七人」のリメイクです。
「荒野の七人」は大元の「七人の侍」同様、依頼をしてくるのは農民、戦うのは盗賊団でしたが、「マグニフィセント・セブン」は、金鉱を狙う実業家が敵、街をのっとろうとする彼と戦う街の人たちが依頼人でした。

南北戦争時、北軍で戦っていたサム・チザムが、夫を殺されたカレンと出会い、街を救ってほしいと頼まれます。
そこからサムが、いっしょに戦う人間を選んでいくわけですが、個人的にはこのあたり、「なぜ、彼らがメンバーになることを承諾したか」って部分が若干薄かったのが残念。
死ぬ前提の苛烈な戦いである切迫感とか、かなり薄い。

とはいえ、集まってくるおっさんたちが、どいつもこいつも曲者で、しかもかなり濃いキャラなので、その勢いに飲まれて、途中からそういう瑣末なこと、どーでもえーわ!になりました。

詐欺師でギャンブラーのファラデー、南北戦争で23人を狙撃で殺した伝説の男”グッドナイト”ロビショー、その朋友ナイフ使いの東洋人ビリー、インディアンハンターの山男ジャック・ホーン、賞金首のメキシコ人ヴァスケス、そして孤高のネイティブアメリカン レッドハーベスト。

全員集まったところから、もう目が離せない状態。
だって!

むさくるしいおっさんたちが、

きゃっきゃっうふふしながら

銃撃戦 ですよ!!!


ファデラーとヴァスケスの掛け合いもすっごくいいし、ロビショーとビリーのいちゃこら具合は素晴らしすぎてもだえるレベル。
ロビショーのふたつ名が、グッドナイトですよ!!
スナイパーで23人、「おやすみ」させちゃった男って、恐れられてる。
ジャック・ホーンに至っては、熊の妖精さんですよ!!!
馬に体当たりして、人間投げ飛ばしますからね!!!

そしてさらにこの映画、敵もおっさん天国!!!
ガトリングガンぶちかますおっさんとか、片目の渋いおっさんで、台詞ないのにすごいインパクトあります。

そして今回、依頼した人たちも、ただ見てるだけじゃない。
カレンなんて、自ら銃とって戦います。
怪我した男、守ろうとして、その前に立つほど。
すばらしい・・・

情に流すシーンが皆無なのも大変よろしい。
何気ないシーンにも、はっとするようなものが内包されてるのも素晴らしいです。

例えば、カレンが撃ったライフルを、サムが何も言わずにとりあげるシーン。
大事な人を奴に殺された者同士しかわからない、言葉のない語らいの一瞬でした。
人々が無残に殺されていくのを、怯えながら見つめていた少年が、7人の男たちが戦うのを見つめ、そして最後、去っていく彼らの後姿を見つめるシーン、まさに、真の漢の背中を見つめて、少年が彼らの意志を継いでいくだろう、未来を予感させる一瞬でした。
トラウマのために、人を撃つことができなくなっていたロビショーが、誰かを守るために引き金を引くことができるようになったのがわかるシーンとか、熊の妖精さんが「お前らと戦えるなら、明日が最後でもいい」みたいなこと言うシーンとか。

クレジットにはいったら、あの「荒野の七人」のテーマ音楽が流れて、うっかり私、泣いちゃいました。
いやもうね。
幼稚園の頃から、西部劇、マカロニウェスタン好きの両親からやまほど映画見せられて育って、某西部劇マニアの書籍に記載されていたそっち系の映画、見ていなかったのは1本だけだったって自分にとって、「荒野の七人」は永遠のヒーローなものですから。

アメリカでは、興行成績悪かったらしいですが、日本ではけっこう話題になっているようで、よかったよかった。
レイトショーで見ましたが、館内、私含めて女性3人だけでした。
ありゃ(笑)

おっさんスキーな皆様。
今からでも遅くはありません。
行くべし。
おっさんスキーには、たまらぬ一作、会心の一作、おいしい一作です。

それは誰の”沈黙”なのか ~沈黙 サイレンス



原作を読んだのは中学1年生の時。
あらすじは覚えていましたが、詳細、きれいさっぱり忘れてました。

まず、スコセッシ監督の偉大さに感服。
ハリウッドのナンチャッテ日本をさんざん見てきた身としては、ここまできっちりかっちり、当時の日本を描いたというのがすごい。
日本人が見ても、違和感がないというのが、とにかくすごい。
さらに、この映画を作るには、日本人にしかない独特の宗教観を理解しないと無理で、それもきっちり理解されての製作と思われ。
そこ、たぶん、西洋人には一番難しい部分と思っていましたが、完全クリアでした。

師であるフェレイラが棄教したという知らせに、ロドリゴとガルペは、その真実を確かめるのと共に、多くの司祭や信者が殺されている日本への布教に、最後の司祭としてやってきます。
たどりついた切支丹の村で、切支丹弾圧がいかに過酷なものかをまざまざと見ることになったふたりは、その後、別々に潜伏し布教しながらフェレイラを探そうとしますが、ロドリゴは案内人のキチジローの度重なる裏切りにより、役人に拿捕されます。

すごく複雑なものを描いています。

切支丹であることを告白しないのなら、村から4人、人質をとるといわれた時。
村人ではないキチジローを、「お前は村の人間ではないから、人質にいけ、命を差し出せ」と村人たちが言い立てます。
そして、目の前で磔にされて死んでいく仲間を、黙ってみている。
関係ない人間を差し出し、仲間が殺されていくのをただ黙ってみているのは、人として許されることなのか?という部分。

ロドリゴとガルペも、同じものをつきつけられます。
自分たちがキリストの絵を踏まなければ、目の前で切支丹たちが次々と殺されていく。
踏むのか、共に死ぬのか、それとも、彼らの犠牲の前でもなお、信念と信仰を貫くのか。

逆に、踏み絵を前にした切支丹たちも描かれます。
司祭であるロドリゴがいる前では、どうしても絵を踏むことができない切支丹たち。
ロドリゴをうかがうように見る彼らの姿に、ロドリゴがそこにいなければ踏んでいたかも知れない可能性を見せてくるのは、見事でした。
殉教を覚悟しているかのように見えて、「パライソにいけば、苦労がなくなる」というふうにしか信仰を捉えていないかのように見えるモニカ。
踏み絵をしなかった身内がどうなるかを目のあたりにして、泣き叫ぶ彼女に、どれほどの理解があったのかはわかりません。
では、彼らにとって、信仰とはいったいなんだったのだろうか?という疑問。

日本人役人たちは、優しい声で笑顔で言います。
「踏み絵も形だけだ。自分たちは、お前たちを拷問にかけて虐殺するなんて、本当はしたいとは思っていない」
井上筑後守は、「キリスト教は日本にとって、危険な存在である」と言い、通詞(通訳)は、「パードレたちは、日本の文化や人々を卑しいものと見下していた」とロドリゴに話します。
自分が見下す人々に、神の愛と信仰を説くことの矛盾がそこにあります。
通詞が見た司祭たちは、日本に何を求めたのか。

そして、キチジロー。
裏切ってはコンヒサン(告解)を願う彼の姿は、「告解すれば、罪をあがなえる」というキリスト教の教えの矛盾を体言していると共に、それでも信仰は潰えないという真実も描いていて、さらにその姿には、まさに裏切り者ユダの姿が重なります。

信仰と信念が犠牲を招くしかない中、ロドリゴの叫びと悲しみ、祈りは次第に空回りを始めます。

「なぜ、神は答えてくださらないのか?
 神はなぜ、沈黙されたままなのか?」

いやぁ、これ、西洋人にはわからないだろう。。。と思いました。
とくに、キリスト教信者には、まったく理解できないだろうし、理解したくないだろうなと思いました。

私がリアルで関わった日本人信者な人々、「信者になれば、天国に行かれるから洗礼受けなさい」とか言ったり、教会に誘っても来ない人たちを「悪魔の甘言にのっている」とか言ったり、「神社やお寺にはいったら呪われる」と言ったり・・・・なにそのオカルトっぷり。。。な人が多く、あまりのことに、アメリカ人宣教師にそれを言ったら、爆笑の挙句に「それは、キリスト教とはまったく関係ないし、そもそも我々が聞いてもありえない」と真顔で言われたことがありますが。
彼らには、この映画に描かれているものなんて、さっぱりわかんねーだろうなーと、まず思いました。
逆にいえば、熱心な信者とかいっても、そういうレベルもあるわけで、信仰ってとっても曖昧でいい加減な部分があるって証明でもあると思います。

欧米のキリスト教信者にとっては、信仰は空気吸うのと同じようなもので、そういう彼らが、この映画に描かれているものを、果たして受け入れて理解しようとするかは、甚だ疑問。
恐らく、ロドリゴやフェレイラの苦悩や痛みは、まったく理解しないだろうし、むしろ石礫飛ばして終わるってだけなような気もします。
熱心な信者のアメリカ人や宣教師、神父様に知己はいますが、正直怖くて、「どう思いますか?」と聞けない。
聞けないけど、とても、すごく、知りたいです。

この映画、BGMがありません。
音楽はまったくなく、自然の音だけがずっと流れます。
そして時々、ふっと音が消える。

神は本当に沈黙していたのか。
何も言わなかったのか。
その答えは、ちゃんと映画にありました。
「神は、あなたと共にある」
それはまさに、キリスト教の信仰の根幹だと思います。

ところで。

映画の中で普通に日本語使われていますが、ハリウッド映画だから、農民も役人もわりと英語しゃべってます。
それ見て、あ!!って思ったのは、布教にやってきた宣教師たちは主にスペインやポルトガルの人たち。
なのでもしかしたら当時、彼らの話を聞くために、言葉を覚えた人は意外に多かったかもしれないと思いました。

欝展開とか言われていたのでちょっと心配しての鑑賞でしたが、欝展開ではありませんでした。
あと、泣くような映画もでなく。
ただ、あとあと地味にせまってくる映画です。

いやぁ・・・・・・スコセッシ監督、すごい映画作ったわー。。。。。(しみじみ)

それはあまりにも悲しい現実の物語 ~ヒトラーの忘れもの

第二次大戦終戦後、デンマークに残された地雷の撤去を、ドイツ捕虜兵士となった少年兵たちが動員されていたという実話を映画化したものです。
この映画の舞台は、美しい浜辺。
連合軍を上陸させないために、とてつもない数の様々な地雷が埋められていました。

地雷撤去のための訓練を受けた少年たちは、チームにわかれて、各地に派遣されます。
食べ物も与えられず、ひたすら浜辺に寝そべって、命賭けで地雷を撤去していく。
「全部撤去したら、ドイツに帰す」と言われた言葉を信じて、過酷な日々をぎりぎりの状態で生き延びていきます。

彼らを指揮する軍曹がいかなる人物か、映画の中ではほとんど描かれていません。
少年たちを殴り、罵倒し、体調を崩してふらふらの少年を休ませることもなく、少年たちを浜辺へと送り出します。
しかし、彼がただの愚かな人でなしでないことは、見ている我々にすぐにわかります。
軍曹は、彼らがまだ子供で、戦争やヒトラーの責任を負う立場にないこともきちんと理解しており、彼らの足蹴にするようなことはしません。
けれどそれは、自分の国を蹂躙し、多くの罪なき人々を虐殺したナチスドイツに対する憎しみと相容れることはなく、軍人として彼がまっとうしなければならない責務と対立することになります。

この映画は、情に訴えることをまったくしていません。
戦争という状況がなくなった時、人は敵、味方というカテゴリーを失います。
その後には、人と人との関わりだけが残る。
そうなった時、かつては敵国の兵士だった少年たちは、ただの”男の子”たちに戻ります。
彼らは軍曹にとって、”ただの普通の子供”です。
しかし、少年たちは、”ただの普通の子供”であることを失っています。

少年たちは、兄弟を、友人を、仲間を次々と失い、心を削られ、希望を失っていきます。
爆発の後、何も残さずに消えた少年の存在が鮮烈で、吹き飛ばされた少年の姿を探し求めて半狂乱になる別の少年の姿があまりにも痛ましい。
静かで美しい浜辺の情景の中で、爆発の炎だけが赤く、爆発の煙だけが黒く、その後には何も残されていないという現実が、見ている我々の心をえぐります。

生き延びた少年たちが次に送り込まれた、さらに過酷な場所で、そこに立つ少年たちの表情は、恐らくこの映画を見た人全員の心にすさまじい衝撃を与えます。
彼らには、身体を四肢散々して死ぬだけの運命しか残されていません。
この映画のラストに描かれたのは、作った人々や見ている我々の願いであり、希望であったと思います。
それはつまり、現実には決してありえなかったであろう、少年たちの運命でもあるでしょう。

涙が出るとか、泣くとか、そういうのを超えた映画でした。
近くの席にいた女性が、耐え切れずに声をあげて泣き出し、映画終了後、年配の女性が映画館のスタッフに「この映画は、もっといろいろな人が見るべきだろう」という話をしていました。
地雷撤去に借り出されたドイツ兵は約2000人、その半数以上が爆死、もしくは手足を失いました。
動員されたドイツ兵の多くが、少年兵であったことが、映画のしめくくりとして書かれています。

「奴らはドイツ兵だぞ」と言った上官に向かって、「死に掛けて、母親を呼んでいた。まだ子供だ」と返す軍曹。

この実話は、デンマークでも長い間、隠されていた話と書かれていました。
生き残ることができたドイツ人少年兵たちは、今、どうしているのだろうかと、パンフレットにある彼らの姿を見ながら、ふと、思いました。

ローグワン追記

大事なこと、忘れてた。

「フォースとともにあらんことを」という有名な台詞、英語だと May the force be with us なんですが。

最後、ラムザ提督が、ローグワンのすべての人たちにひとこといいます。

May the force be with you

泣くからね、ここね、号泣。

漢泣きの映画 ~ローグワン

スターウォーズは全部見ていますが、とくに好きってわけでもなく、思い入れもないシリーズです。
見るのは、惰性が半分、上映時間内きっちり楽しませてくれるとわかっているので、安心して見れる映画だからってのが半分。
なので、「ローグワン」もその流れで見に行きました。

物語は、エピソード4の前。
デススターの設計図を盗み出した人々の物語です。

実は私、エピソード4見た時、確かレイア姫だったかが、「デススターの設計図を盗み出した者たちがいて」って話をしているくだりがあって、「その人たちはどうなったんだろう」って思った記憶がありました。
いやだってさ、そんなもん、盗み出すくらいなら、それこそ英雄だし、なんでその人たちがそこにいないのかって疑問だったのです。
そしてその理由が、この「ローグワン」に全部つっこんでありました。

いやぁ、申し訳ないんだけど、とくに期待してなかったよ。
ふつーに面白く楽しく見れればいいと思ってました。
とんでもなかったです。
いやもうなに、大泣き。
号泣。
隣の知らないおっさんも、いっしょに号泣。

デススターが完成するというところで、実は反乱軍は降伏を考えていたところで、一部の兵士たちが、命令を無視して一小隊を自分たちで編成し、文字通り、命をかけてデススターの設計図を盗み出す話でしたがね。
なんたってもう、スターウォーズ史上初、大量の人間の死ぬシーンがあります。
敵も味方もがんがん死んでいく。
反乱軍の人たちの多くは、その死ぬ覚悟とか死ぬ瞬間とかを見せる場面があって、余計に胸にせまります。

なんていうかね。
物語としては、今までにもよくあった系の話なんですけど、もうなんていうか、熱いんですよ!!
むっちゃ、熱いの。
熱苦しすぎるくらい、熱いの。
ちきしょー!ってくらい。

ローグワンの中には、フォースの戦士はいません。
ダースベーダーだけ。
ただひとり、それとは別に、盲目の僧兵がでてきます。
ドニー・イェン演じるこの僧兵が、すごい。
フォースを信じる彼が、特殊な力を持つことなくあそこまでの心眼を持つにいたったのが、とにかくすごい。
誰もジンを信じようとしない、彼女の考えを「無理だ」と決め付ける中、彼だけがその心眼をもって、彼女を信じています。
何も言わずに彼女の手を握るシーン、胸熱すぎて泣きました。

みんながみんな、戦うのに理由があります。
それぞれの想いを胸に、自由のために、本当の平和のために、戦う事を選び、命を捨てる。
ローグワンはそういう映画でした。
ラスト、「いやこれ、ディズニーだろ?スターウォーズだろ?」って終わり方でした。
ある意味、衝撃的。

マニアックですが、「攻撃を!提督は?」って司令部で誰かが言ったら、「もう出撃しちゃってます」みたいな答えが返ってきたシーン。
ラムザ提督!!!
憶えてる!!
4でも出てた!!
すっげー大好きなキャラだった!!!
むっちゃ熱いおっさんな提督だった!!
そのシーンで、「え!マジ、さっさと出撃しちゃってたんかよ!ひゃっふーーーー!!」ってなって、ここでも泣きました。
提督の出撃がなかったら、あのミッションは成功してなかったと思う。

ってことで、超ハイパー胸熱映画なので、また見に行くつもりです。

まったく新しい物語 ~ファンタスティックビーストと魔法使いの旅

実は、ハリーポッターシリーズが苦手でありました。
ハリー中心に都合よく作られた世界な感じがしてて、選ばれし人が苦手なのもあって、映画は2作目までしか見ておらず、原作は未読。
なのになんで最新作見にいったかっていうと、エディ・レッドメイン主演だったからです(笑)



結果から言えば、面白かったし、とても楽しめました。
ハリーポッターは子供向けだと思いますが、ファンタスティックビーストはその枠をはずした感じ。
とはいっても、もちろん子供も楽しめるし、ハリーの世界がベースになっているので、知ってる単語とか人とか、わりと出てきたりしてました。
アメリカとイギリスでは、魔法を使えない人たちをあらわす単語が違っていたり、小技もあったりします。

主人公のニュート、ヒーローっぽくないんですが、おさえるところはきちんとおさえているし、魔法動物についての書物を書いた人らしく、ちょっと内向きな感じで、好感もてました。
そして個人的に大ヒットだったのは、そのニュートと偶然の出来事から友人になるジェイコブ。
この人がねー、超いい人!!!
ニュートが「君はみんなに好かれるだろう」っていう台詞がありましたが、ほんとに、そういう人柄を100%出したキャラで、彼が映画全体の雰囲気をなごやかにしてくれます。
そして、本人の意図しない形で、モテモテなティナの妹クイニーが、これまたすごく良いキャラで、彼女がジェイコブのことを大好きになっていく様子がなんとも微笑ましい。
ティナは、最初は「なんだこの女は」的な登場の仕方ですが、真面目で不器用で、でもとても優しい人なのがだんだんわかってきます。

個人的には、魔法動物がたくさんでてきて、楽しかったでした。
クリーチャー大好きなので、造形とかいろいろわくわくしました。

物語は悲しい話ですが、最後もジェイコブがしめてくれます。
いやもうなに、ジェイコブの笑顔がすてきすぎて、ばたばたしたくなるほど。

エディ・レッドメインの繊細な演技が、ニュート・スキャマンダーというあまり笑わない、主人公にしてはほとんど自己主張しないキャラクターに深みを与えていて、ニュートをちょっと陰のある複雑な、でも誠実で真面目な人物にしていました。
いやー、あの視線とか、エディらしい。

映画見て、原作も読んでみたいと思ったのですが、これは原作ないんですね。
シリーズとして続くそうで、新作が今から楽しみです。

そこにある幸せと、そこにある悲しみ ~この世界の片隅に



実は、原作のこうの史代さんのマンガが微妙に苦手で、1冊読んだ後は遠のいていたのもあり、この映画は見るつもりまったくありませんでした。
ところが、萌え友が見て絶賛、Twitterでも絶賛の声がたくさんあがっていて、「これは好みとか関係なく、とりあえず見てみよう」と思いまして。
ところがびっくり、近くの映画館でも都心部でもほとんどやっていなくて、いつもは行かない映画館でチケットを取りました。
するとその映画館が、満席だった。

私の隣の席の子連れの男性が、声を殺して号泣。
明るくなるまで誰も席を立たず、劇場出口で、思わず泣き出す壮年の女性。
私は、そのままどこかでひとりになって、わーわー声をあげて泣きたい気持ちのまま、帰途につきました。

すずさんは、のんびりを通り越して、ちょっとぼーっとしたところがある女の人です。
海苔を作るおうちに生まれた彼女は、兄と妹の3人兄妹。
ほのかな気持ちを寄せる同級生はいたものの、19歳になった彼女は、嫁にと乞われて、広島から呉へと、見知らぬ相手に嫁ぎます。

すずさんは自己主張もしないし、流れに身をまかせるようにして生きています。
足の悪い義母にかわり家のことをこなし、配給をもらいにいき、畑に出る。
性格がちょっときつい義姉にどやされ、その娘とふたりで空を見上げ、義父と夫の帰りを待ち、近所の人たちと語り合う。

穏やかでおっとりとした性格のすずさんは、世界を優しく見つめていて、人の中にある黒い部分や世の中にある汚い部分も、濾過したようにして見つめています。
だから、近所の人たちの喧嘩も、迷い込んだすずさんに対する娼婦たちのささやかな意地悪も、出戻ってきた義姉のきつい言葉も、すずさんは優しくちょっと笑いながら見つめている。
すずさんの生きる世界は、穏やかで、静かで、そして小さな幸せにあふれているように、見ている我々には感じられます。

しかし、その中に、戦争というものが少しづつ侵食してきます。
これは、個人が選んだ出来事ではありません。
そして、すずさん以外のすべての人たちの人生にも、大きく影響します。

突然鳴り出す空襲警報。
山の向こうから飛来する飛行機の群れ。
すさまじい爆撃音。
防空壕からでた時には、すっかりかわってしまっている街並み。
そうやって、すずさんの穏やかな日常は、厳しい現実に削りとられていきます。

この映画、イマドキにありがちな、やたらと冗長で説明ったらしい台詞や演出はいっさいありません。
だけど、一瞬の絵や描写に、言葉の端に、大きな意味を持つシーンがたくさんあります。
りんさんが生きる世界が何なのか、妹がその後どうなるのか、あの光がなんだったのか、そこで何が起きたのか、道を歩く黒い人たちがどんな状態なのか、私たちは知ってる。
だからこそ、そこに”日常”として描かれているものに存在する悲劇を、私たちは暗に感じることができます。

絵が好きだったすずさんが、絵を描く時間を失い、最後には永遠に絵を描くことができなくなります。
そしてその時、世界は一変する。
いつも笑顔だったすずさんの顔から、笑顔が消えます。

広島に原爆が投下された時、「息子が広島にいるが、大丈夫だろうか」と話す近所の人がいます。
そしてその家の軒下に、ぼろをまとった異様な黒い人が座りこんでいるのが一瞬映ります。
「死んだらしいが、どこの人間かわからない」という台詞が誰かの口から出る。
そしてしばらく後、その近所の人がすずさんに言います。
「あれは息子だった。私は自分の息子もわからなかった」

穏やかな時間や平穏な日々の中には、輝くような幸せがたくさんあって、でもそれは、一瞬にして失われて、そして永遠に戻ることはないというのを、この映画は静かに描いていました。
けれど人は、それを乗り越え、それを胸に秘めて、その先もずっと生きていくのです。
その先にはまた、新しい輝きが、新しい笑顔が、必ずどこかにある。

残念だった ~ミュージアム


予告見て、期待していたので、公開早々に見に行きました。
感想、ひとことで言えば「残念だった」で、気持ち的には「早送りしたかった」です。
恐らく、ブラット・ピット主演の「セブン」を意識したつくり(というか、おおむねベースはまんま)なのですが、「セブン」と違うのは、「ミュージアム」の犯人は、けっこういろいろ自己主張してるところ。
殺人現場は、わりときちんと見せてくれてますが、残虐な描写はあまりありません。
映像は、雨のシーンが多いせいか、トーンは暗く、個人的にはこの部分はとてもいい感じに思えました。

面白くなる素材はたくさんあったと思います。
見てる途中で、「イケるか?」と期待させる部分もけっこうありましたが、最終的にはどれも「早送りしたい」になってしまって残念。
ここから、ネタバレとツッコミにはいりますので、これから見る予定の方は要注意です。



天気が悪い日が犯行の日という設定は面白いんですが、それがわかった瞬間、「犯行が見つかった日が雨な意味あるか?」と思ってしまった私。。。
さらに、お日様が出てる時には行われない犯罪なら、夜でもいいはずなんだけど、映画の中でその部分に関する台詞がないので、見てる側は犯行は雨の日って情報のみになるわけで。
でもさー、いくら日本でも、そうしょっちゅう雨降ってないよなー。

それから、次々起こる殺人事件が、内容のわりに早い。
あそこまで綿密に調べるにはかなりの時間が必要で、犯人はとりあえず全部準備してからまとめて犯行に及んだのかな?と。
どうやらそれまでも多数の猟奇殺人を犯していたようなことを言ってたし、写真も並べていたようだけれど、そこは放置プレイ。

いろいろ創意工夫された猟奇殺人なんだけど、冷静に考えるといろいろツッコめてしまう。。。
飢えた犬に食わせた → ドーベルマン使ってるくらいだから、それなりのところで入手しただろうに、入手経路でわかんねーの?
凍死 → いくら寒くても、水ぶっかけないとああいう死に方はしないのでは?と同時、あの倉庫、普段使ってないのか?(そういう説明はない)
縦まっぷたつ → 人間をきれいに縦割りにするには、相当の器具とか技術が必要だと思うんですが、どうやった?

気持ち悪さな部分はOKなんですが、その”どうやった?”部分も重要だと思うんですよ、猟奇殺人には。

そして、主人公とその妻子を殺すにあたり。
今までは殺人はアート!!って言ってて、いわゆる造形美術やってた犯人が、いきなり情に訴えた小説を作ろうとしていて、ものすごい違和感が・・・。
そこまでは、殺害方法と遺体でもってアート!って言ってた人が、いきなり、物語形式にお涙頂戴展開形式言い出して、「いや、お前、違うだろ?」ってなってしまいました。

「お前は生きたまま、妻子の心を殺した」って言ってたけど、いやぁ・・・・・・・仕事ばっかりで帰宅しない、いろいろ大変だったことも無関心だったとはいえ、それで”心を殺す”とか言われてもなぁ・・・・とか、そこで、ざっくりシラけたわたくし。
そこから突然情動展開にかわり、主人公の刑事が暴走を始め、「俺が助けてやる」でルール無視、他人巻き込み、泣き喚き・・・・すみません、この展開、アニメでも死ぬほど嫌いなんですが、アニメだと女の子キャラがやるのを、この映画では成人男子がやるので、本気で帰りたい・・・って思ってしまったのでした。

妻子の肉を食わせたとみせかけて、実は生きてましたー!で、「あーそーすか、だと思ってましたー(棒)」になり、主人公に妻子を殺させようとするシーンで、「もうアートじゃねーですよねー(棒)」になり、さらに男女3人と子供ひとりがひたすら叫ぶだけのシーンがとにかく本当にやたらと長く、「いい加減にしなさい(怒)」になったという・・・そして、もっとも早送りしたかったのがそのシーンでした、ちゃんちゃん♪
そしてラスト、凶器ももってない犯人に、大量の警察官がいっせいに銃を向け・・・・・「そこまでやる必要あんの?」で、完全にシラけきった。

・・・・・だがしかし!!!
そこで終わらないのがこの映画!!!

延々続くんです。
平和な日常取り戻すってやつが、ホームドラマ展開で。
そしてラスト、主人公の息子が、犯人と同じ、日光アレルギーらしいぞってシーンで終わる。
すみません、腐ったソウルの私、それ見て、「え?子供って、犯人の子供だったとかいうオチ?」って思っちゃった。

重度の日光アレルギーで、お日様にあたっただけで爛れて呼吸困難に陥ってしまう犯人、「それを引き起こしてるのは、あなたが心に抱える闇のせい」とか医者に言わせてるので、つまりそれ、主人公の息子が心に闇を抱えてしまったよってにおわせたのか?とか思いましたが・・・・

いや、ねーよ、それ。
日光アレルギーとか、ふつーにあるし、アトピーかもしれねーじゃん。

日常取り戻すってあたりで、フリーライターが妻子に「無実の人を死刑にした気持ちはどうですか?」とか言ってくるんですが、そこ普通「猟奇殺人犯に拉致監禁されていたことについて、お話お聞かせ願えますか?」でしょ?

ってことで、予告で期待していたものが、きれいさっぱり消失して終わっただけの映画になってしまいました。
もったいねー。
犯人が主人公とその妻子にターゲット絞ったあたりから、がっくんと音をたててお涙頂戴したいの懇願な、無駄にやたらと長いシーンの連続になるので、個人的には後半、苦痛でした。
最後までいたのは、どうやって決着つけるのかってのを見たかったから。

ほっぺの肉だけでは、3キロにならないと思うので、あと、どのあたりの肉削ったのかなと、今さら考えていたりします。

GEHENNA 日本公開



以前からここでも何度か書いていた友人のヒロシ君の映画が、日本で上映されることになりました。
なんと、コミコンですって!!!

劇場でも公開になるといいなぁ。

人間は複雑な生き物 ~手紙は憶えている

高級老人ホームで暮らすゼフは、妻のルースが亡くなった1週間後、同じホームでいる友人のマックスから手紙を渡されます。
ふたりは、アウシュビッツの生き残り。
手紙は、痴呆症が進行しつつあるゼフが行うべき復讐の旅を、彼が忘れないように克明に記されたものでした。

衝撃のラスト!と宣伝されていますが、私は途中で真実に気づきました。
大どんでん返しが目的の映画ではないので、同じように気づいた人はたくさんいるようです。
あえて隠してラストにすべてを集約する意図で作られた映画でもないので、そのあたりは宣伝はちょっと違うかと。

感想を書くには、どうしてもそのあたり、ネタバレせざるをえないので、ここからネタバレになります。



以下:

大阪編、ついに映像化!~GANTZ O



GANTZ、大好きでした!
途中まで!!!(笑)

ってことで、その中でいちばん好きな大阪編がCGにより映画化ということで、超楽しみにしていました。
あれはもう、CGじゃないと無理だと思っていたけれど、本当に作ってくれるとは思っていなかったー。

ひじょーによく出来ていました。
GANTZの世界がしっかりと映像化しているし、戦闘シーンも素晴らしい。
メカ関係は、とにかくかっこいいです。

残念ながら、敵も味方も、キャラは間引きされていました。
筋肉ライダーと子供、チェリーと先輩、ホスト侍、エロ桑原、花木君とめがね君に、鬼面と能面、犬様もいない。
これはもう、仕方ないです。
筋肉ライダーの格闘や、ホスト侍と鬼面たちの刀での戦いとか見たかったけど、それいれたら、尺に収まらない。

女性キャラが巨乳揺らすだけでほとんど戦ってない、役にたってないのは原作もそうなので文句言えないんだけど、映画としてみるとウザさが増してました。
映画では、少しは戦ってもよかったんじゃないかなーとか思うんですが、これも仕方ない。

あと気になったのは、戦闘中の間。
いや、そこでそんなに間あける?ぼんやりする?とかいう部分があって、個人的には戦闘シーンで思いっきり削がれました。
目の前に敵がいて、襲われている人を助けようとしてたりとか、あるいは味方に加勢しようとしてたり、もしくは超やばい!ってところで、ほんわー・・・・って見てるだけのシーンがけっこうあって、「いや、それ、ないし」と思った次第。
あと、どの人も射撃(というか光線?)が当たらなさ過ぎて、せめてそれまで戦闘に出ていたレイカや鈴木さん、もうちょっと当ててください。
東京チーム、加藤以外は、西君しか戦える人間がいないじゃないか!!

声のキャストですが、きちんと声優を起用してくれているのが、とにかくこの時代、賞賛に値します。
大阪チームにお笑い芸人さんが数人起用されていますが、違和感なしで上手い。
中でも、ケンドーコバヤシ氏、さすが!!
岡八郎の声なんですけども、短いシーンにインパクトありすぎでした。

個人的にいちばんの見せ場は、夜の大阪に立つ、岡八郎の巨大メカでした。
いやー、もうねー、ここねー、無茶苦茶かっこよかった。

大量に出現する妖怪も、いい感じでしたが、惜しいのは、彼らの出す声や音、もうちょっとあってもよかったかなと。
得たいの知れない音とか叫びとか鳴き声とかね。
それがほとんどないので、異様な雰囲気がほとんどない感じ。

殺戮のシーンも、映像化するにはかなり厳しい部分があったと思いますが、けっこう見せてくれてます。

GANTZファンなら、とりあえず楽しめる1作です。
ずっと夜の大阪、ネオンサインが大変よろしい。
実際に黒玉がカウントする時間が、恐らくほとんど映画でカウントされてる時間と一致していると思います。
つまり、あの映画を見ている我々は、大阪で戦うメンバーたちと同じ時間をすごしていることになる。

よくぞ作ってくださいました。
製作のみなさま、ありがとう!!


邦題大間違い ~ハドソン川の奇跡



もうね、なんでもかんでも感動もの、お涙頂戴系にしたがる日本の体質、いい加減にやめてもらいたいもんですよ。
「ハドソン川の奇跡」、原題は「サリー」です。
はっきりいって、奇跡を描いた感動大作ではありません。

私もニュースで見たので記憶に残っていますが、異常事態で飛行不能となった飛行機がハドソン川に不時着した事件を映画にしたものです。
機長の顔も覚えていますが、トム・ハンクスがよく似せてます。

乗客155人全員無事だったこと、わずか24分で全員が救助されたこと含め、世界的に注目を浴びたこの事件、機長のサリーと副操縦士は、判断ミスを問われて公聴会に出ていたという事実が、この映画のメイン。

両エンジンが完全停止していなかったのではないか、危険を冒して川に着水しなくても、ラガーディア空港に十分戻れただろうという意見が出るのとは正反対に、世間はサリーを英雄として称えます。
ところが、サリーはそのどちらにも、違和感をもっているし、良しとしません。

エンジンは止まっていた。
ラガーディアに引き換えすのは無理だ。
その判断はどこから出たものですか?という問いに、サリーは「長年の経験からの判断」と言います。

英雄と称える人々を前に、サリーの脳裏には、墜落の恐怖と乗客への責任がフラッシュバックする。

この映画、地味です。
大変地味。
墜落か?っていうシーンですら、淡々としていて、まるでドキュメンタリー見てるようです。
すごい感動シーンもないし、エモーショナルな演出もない。

けれど、淡々と描かれる映画の中で、何気ないシーンがものすごく重く、そして印象的です。
墜落か!となった瞬間、「愛してる」と言い合う母と娘。
別の席に座る息子を心配する父親。
異常事態を知っても笑顔のまま、冷静にずっと「頭をさげて、伏せて」と号令かけ続けるCAたち。

赤ちゃんを抱いた若いお母さんがちらっと出てきます。
冒頭、その赤ちゃんが投げたものを、窓際のビジネスマンが拾ってあげるシーンがある。
墜落か?という時、不安と恐怖で蒼白になっているお母さんに、そのビジネスマンが「私が抱いていましょう、私が抱いたほうがいい」と言います。

御巣鷹山に墜落した123便で見つかった遺体の中に、子供をかかえるようにして抱いた真っ黒に焦げた遺体が見つかっています。
当初、焦げた死体はひとりと思われていましたが、検死でふたりと判明、その後、ふたりは親子ではないとわかりました。
子供の遺体は、抱いた大人の身体にめりこんでいたと、報告に残っています。
その人たちが誰だったか、記載はありませんでした。

墜落となった時、見知らぬ他人の子供抱きしめ、守ろうとした人がいた。

「ハドソン川の奇跡」でも、それが描かれていました。

公聴会で、議長がすごいことを言っています。

「ボイスレコーダーを、機長と副機長と共に聞くというのは、初めてのことです」

そう。
ボイスレコーダーを聞く時、機長と副機長はすでに故人なのです。
ボイスレコーダーを聞くことになった過去の事故すべてで、ふたりとも死んでいるのです。

そして最後に、機長と副機長が言い合う言葉。

「仕事をした」

短いこの言葉に、どれほどの重みがあるか、あらためて考えていたりします。

違和感な恐怖 ~ヴィジット



「シックスセンス」のナイト・シャマラン監督の映画です。
「シックスセンス」以後、イマイチ感ありすぎてたらしいシャマラン監督、「この作品はシャマランらしい」ということでありました。

物語はいたってシンプル。
19歳の時に両親と大喧嘩して駆け落ちしちゃった母親、その時の相手と離婚して、2人の子供を抱えるシングルマザーになってます。
家を出てから一度も会っていない両親から連絡があり、「孫に会いたい」と。。。ってことで、姉と弟が、まだ会ったことのないおじーちゃんとおばーちゃんのおうちで1週間すごすことになりました。
ふたりは、自主映画作っていて、カメラをまわしまくります。
そのカメラが、この映画のキィ。

ここから、大いなるネタばれします。





老齢による徘徊やら奇矯行動やらがあって、姉弟が違和感を感じていた祖父母、実はまったくの別人だったというのが、この映画のオチ。
そう言っちゃうと、「なんだー、そんなことかー」なんだけど、そこはシャマラン、そこで「あー!!」ってなる仕掛けがあります。

母親は、19歳以後、親に会ってません。
駆け落ちしたから、両親の写真もない。
今、どんなふうになってるかの詳細も知らない。
よって、自分の子供たちに「これがあなたのおじーちゃんとおばーちゃんよ」って、視覚で見せるものが存在してないのです。

もうひとつ。
おじーちゃんとおばーちゃんが住むのは、郊外も郊外で、周辺近隣に家はない。
たまに訪ねてくる人はいますが、昼間、ふたりでどっかにいっちゃってるから、その人たちが当人に会えない。
つまり、正体がバレない。
田舎って設定が、見事に活きてる。

姉と弟は、「おかしい」って感じます。
感じるんだけど、祖父母ともに、「ボケてきてる」とか「年のせいでおきている問題」って説明する。
これが一応、筋が通ってる。
通ってるんだけど、明らかにおかしいから、気持ち悪さは残ります。

ホラーといっても、幽霊が出てくるとかモンスターが出てくるとかではない、つまるところ、日常の中に起こる違和感に摺掠音感じるみたいな嫌な気持ちを喚起させてくる種類の映画でした。
シャラマンらしいっちゃらしいけど、これに恐怖を感じるかっていうと、そういう意味では怖い映画ではないと思います。
気持ち悪い。。。かな?

「クリムゾンピーク」も、デルトロなので見てみました。
背景とか設備とか、いろいろ面白いところたくさんあったのですが、全然怖くなかった。。。
っていうか、面白いと感じなかったんでありました。
しょぼん。。。

ハーレクインにめろめろ ~ スーサイドスクワッド



まー、どんだけ楽しみにしていたかって、もう本当に待ち遠しかった。
そのすべてが、ハーレクイン!!
ハーレクインのかわいさに、メロメロ!!!

そしたらアメリカでは酷評されたそうで、あちらで映画の仕事してる友人が、「かわいくてさいこーにビッチで大人気なハーレクインの夢が、ジョーカーと子供囲んでラブラブ夫婦ってのが、フェミな女性陣に壮絶に叩かれてる」という話を聞きまして。
「もともと彼女は、ジョーカーに洗脳された精神分析医で、人格破壊された挙句にああなってて、もとからそういうキャラなんだけどな」ということだそうですが、彼女いはく「つまるところ、彼女があまりにもイケてたのが、予想外に話題を呼んだ」らしい。

見る前に、日本の方の感想もいろいろ見ましたが、あまりいいこと書いていなかったので、「もういいや、ハーレクイン見るために行く」って思ってました。

ところが。

サイコーに面白かった!!

すっげー面白いよ、これ!
そしてあらためて、いろいろ取りざたされているだめな点とか見てみると、なぜ私が面白いと感じたか、わかりました。

私、アメコミ系の映画、好きじゃない。
マーベル、基本、まったく興味ない。
唯一好きなのは、バットマンのダークナイトシリーズだけど、そちらのファンには「あれはマーベルじゃない」と言われてるそうで。
なので、みんなが大好き「アベンジャーズ」、むしろ好きじゃない。

つまり、マーベルな映画が好きな人には、この映画はだめだけど、基礎知識もさほどなく、そっち系の映画が苦手な人には過不足なく面白い映画なんじゃないかと。

それぞれのキャラの説明が足りないと言われてる部分も、あそこで知ってるのはジョーカーだけって私には十分だったし、エピソードが散逸しすぎてると言われてる部分も、それぞれのキャラにまったく思い入れない私には、そういう印象はありませんでした。
だってさー、あそこではジョーカーもバットマンも、みんな脇役じゃんかー。
ひとつだけ、あのチームを作った黒人の女性の扱いがかなり雑で、もったいなかたのと、彼女が拉致されても何もされなかったのはなんで?って疑問が残ったくらいで、あとは素直に楽しめた。

そして我らがハーレイは、もーね!!かわいくて、かわいくて、かわいくて、かわいくて(略
彼女のためだけに、あと2回見てもいい。
容赦なくビッチなのもよい。

彼女がウィンドウ割って盗むシーン、かがむんですけど、オリジナルでは思いっきりやばい部分がぎりで見えてるらしいです。
なので、国によって、あのシーンだけCGで加工されてるって話。
よっしゃー!日本ではどうか、見ておくよ!って、それを教えてくれた映画の仕事してる友人(彼女が見たのはハリウッド版)に言ってたら、ハーレイの顔にみとれてて、まったくそこの部分、見てませんでした。。。

ウィル・スミスが出てたなんて、まったく脳内なかったのですが、あの人だけちょっと出すぎ感はある。
ただ、いいところはハーレイがもっていってるので、個人的には問題ございません。

ってことで、私はこの映画、好きです!!
ブーメランのおっさんが、「女はちょっとイカれてるほうがいいぜ」とか、超名言残してくれたし、とっても楽しい映画でした。



シン・ゴジラ 二度目鑑賞

あちらこちらで感想見て、解説してくれてる人のとかも見て、知識補填かかったので、二度目のシン・ゴジラ、見に行ってきました。
大きなスクリーンでやってるうちに、もう一度見たかった。

知識補填が大きくかかったのは、東京駅周辺のビルと再開発状況、自衛隊組織、内閣府の会議のやり方について、大田区内ゴジラ移動距離と場所について、そして各俳優陣の細かい演技の解説、です。
ネットでいろいろあげてくださってる方々に感謝。
おかげで、シン・ゴジラ鑑賞が、さらに深まり、面白くなりました。

二度目は、何が起こるかわかっているので、驚きや衝撃はありませんが、その分、じっくり見ることができました。
さらに、その人の立場や状況を冷静に見られるので、台詞のひとつひとつに重みが増し、「ああ、この状況でこの台詞だったのか・・・」みたいな部分が増大した。

結果、中盤から号泣状態に。

台詞や俳優陣演技のこまかい部分は、こちらの記事がお勧めです → ここ

大河内総理が攻撃をとりやめた時、あるいは攻撃を指示した時の決断の重さや、総理自身がどれだけの想いでそれを行ったかとか、防災大臣の「自分は部下の報告を信じるだけです」というシーンとか、里美総理代理が頭を下げ続けたシーンとか。
この映画にはヒーローはいなくて、画面に出ていない人たちの努力や尽力があり、人々が全力で立ち向かい、協力しあった姿が描かれているわけで、これは怪獣映画じゃなくて、プロジェクトXなんだよなーって思いました。

中島みゆきの「地上の星」でこの映像まとめられたら、声あげて泣くレベル。

無能な内閣という意見もあちこちで見かけましたが、私はこの映画に描かれている内閣や自衛隊、その他の組織や人々、とんでもなく有能と思いました。
みんな、自分のおかれた立場において発言していますが、他人の意見や考えを、頭ごなしに否定したり、立場の上下で無視したり馬鹿にしたりしていません。
ものすごーく安易なことをいってるように見える大臣もいますが、ああいう時、ああいう意見もでないと、多角的な視野はもてません。
さらに、部下にあたる人たちが上司を支え、上司は部下を信じている姿が、これでもか!ってほどに描かれています。
縦割りの組織の矛盾や馬鹿さ加減が前半、描かれていますが、実はそれがあるからこそ、秩序が保たれ、現場の人たちが責任をむやみにかぶることなく、余計な心配をすることなく、職務にむかえるのも見ていてわかる。
そして、映画の中でも台詞ではっきりと言われていますが、誰かがいなくなっても、次の誰かか必ずその仕事を、意志を引き継いでいくことができる。
自分がいなくなっても託す人間がいるというのが、国としてどれほどに大きな強みかって、この映画は何度も何度も出てきます。

あっちこっちで指摘されていましたが、最近の邦画ではなくてはならないシーンであり、ハリウッドではあって当たり前のシーンでもある、家族愛とか恋人との愛とか、そういう情に訴えるエピソード、この映画にはいっさいがっさりありません。
そこを批判している人も当然いますが、はっきりいって、この映画、そんなものは必要ない。
一瞬だけ、スマホにはいった家族の写真が出てくる人がいますが、そんなのいちいち見せていただかなくても、みな、守りたい人、守るべき人がいるに決まってるわけで、そこを想定、想像できないんだったら、この映画、そりゃ見ても面白くもなんともないよねって思いました。
顔も出てこない、最後のミッションに参加した人たちが、どういう想いで命賭けたかとか、「見せてもらってないからわからなーい」っていうなら、ゴジラに踏まれてしまえ。

この映画、わざわざ見せていないけれど、人は一瞬にして死ぬってのを、何度も何度も表現してきてます。
主人公が手をあわせたあの瓦礫の下に、どれだけの人の命が失われたか。

そして、恐らく見た人の多くが、「おおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!」ってなるのが、

無人在来線爆弾 !!

大事なことだから、もう一回言う。

無人在来線爆弾 !!!

あと5回くらい、劇場で見たいです、マジで。

それから、ゴジラによって、私の実家、自宅、通勤につかってる電車全部やられてて、「ひー、会社だけ残ったー」って思ってたんですが、会社もなくなってました。
ゴジラのゲロ火災(見てない人には、意味がわからないと思う)の真っ只中で、時間的に私、あのゲロ火災の中で死んでると思われ・・・・・
ゴジラに出てきた場所、鎌倉、釜利谷、蒲田、品川、品川神社、武蔵小杉、多摩川、大崎、虎ノ門、赤坂、東京駅と、思いっきり生活圏、通勤圏、知ってる場所でありました。
ゴジラの奴、あのゲロ火災で、東京オフィス街、焼き尽くしたしな・・・。

シン・ゴジラは、怪獣映画じゃないです。
そう思っていくと、「あり?」ってなっちゃうと思う。
あれは、プロジェクトX。
見終わった後、脳内で中島みゆきに「地上の星」を歌わせると、感動ひとしおです。

ちなみに、「物語がない!」と批判されている方々がけっこういらっしゃいましたが、ハリウッドで映画の仕事している友人にそれを話したところ、下記のような名言が返ってまいりました。

「ハリウッド映画で過去、地球侵略を描いた映画に、物語なんてあったことはない」

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