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アニメとGAMEとマンガな日々
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本当に好きなのは誰? ~あなたのことはそれほど 新刊



「あなたのことはそれほど」の3巻がでました。

主人公の女性は、学生時代に好きだった男との不倫関係をやめるつもりはまったくない。
女性の夫は、それが露見しても、彼女を責めることはなく、でも、言葉巧みに彼女を追い詰めていく。
女性の不倫相手の男は、流されるままに彼女との関係を続けていて、やめたほうがいいなと思いつつ、はっきりとした決意をしない。
男の妻は、夫が自分との結婚に満足しているとはまったく思っておらず、彼が不倫をしていることを察して、さりげなく何気なく、夫をつなぎとめようとしている。

本当に好きな人は誰なの?って問いたくなる展開なのですが、はっきりわかるのは、誰も彼も、本当に好きな人なんていなくて、本当に大事なのは“自分”ってのが露わな人たちだけってこと。
自分の言動に、責任取る気なんてまったくない人達ってこと。

主人公は、夫の狡猾さと執着にうんざりしながらも、「離婚しよう」とは言いません。
でも、不倫相手と別れる気もさっぱりない。
夫が彼女に執着し、責めないかわりに追い詰めていくのに嫌気さしていても、夫とも別れる気はない。

不倫相手の男の妻も、愛情で結婚したのではないことはわかっていて、いわゆる“腐れ縁”みたいな繋がりしかないことは理解している。
ただの情だけでつながっている自分たちの脆さを感じていて、それを横目で見ながらも、なにごともないように結婚生活を続けようとしている。

女性の夫は、妻が自分に満足する女とは思っていない。
自分に自信がないから、彼女を許すことでつなぎとめ、結婚関係を枷に利用している。

不倫相手は、結婚生活にも、不倫相手にも、とくに執着もないし、確固たる愛情もなく、そして責任を取る気もない。

あのさー、君たちさー、なんで結婚してんの?

・・・って問いたくなる物語です。

誰も彼も幸せじゃないし、自分勝手。
正直、読んでいてまったく楽しくない物語になってます。
なってますが、この人達がいきつくところはどこなんだろう?って、そこが気になる物語。

真っ向から相手に向き合う気のない、ずるい人達の物語。
3巻目になって、ちょっと読むのがきつくなってきました。

拍手コメントのお返事:




伝染拡散する恐怖 ~残穢



今度映画公開だそうですが、監督も女優も超ビビってた・・・みたいなのがTwitterにあがっていたので読んでみました。
ちなみに小野不由美は、ホラー小説いくつか読んだけど全然ツボらず(挙句に途中で挫折)、十二国記も2冊くらいでまったくハマらずに終了してるので、私の好みの系統の作家さんではないのでないかと思います。

話はノンフィクションの形態をしていて、実在の小説家も登場するので、リアルな感じはすごいです。
主人公も、作者本人だと思われるような形になってるので、そこから記述される“事態”が、本当に在ることなんだって感覚はすごいある。
起きてる怪奇現象は、びっくりするようなものではなくて、もしかしたら気のせい?みたいなふうなものってももキィ。
しかし、たどられていく過去を知れば知るほど、気のせい?みたいだったものが実はダークサイドに転げていく過程ってわかるあたりから、恐怖の核が見えてきます。

それぞれに在ることって、世間で起きてる事件とか、あるいはちょっとした嫌な話って感じなのですが、実はそれが伝播されているもので、何かのきっかけで拡散されていってるものだとわかり、さらに「この話を話したり、書いたりしたら祟られるし、聞いた人もただではすまないので、禁忌の話になっている」ってなって、読んでいる人は「え!!!じゃあ私も???」ってなる所で、恐怖の底にたどりつく。

けれど、肝心の恐怖の元は何だからわからないままで終わるので、アマゾンの評とかでは、「オチがない」って酷評されていましたが、オチがないから怖いんでないのか?と思っってます。
そして、たどってもどこが発端かわからないのも、リアルホラーっぽい。
さらにいえば、それに巻き込まれた感を読者に与えるって意味で、この本はすごいホラーだと思われ。

穢れってのは伝播するとは聞きますが、誰かが亡くなった場所だから幽霊が出るとは限らないし、この本にも、まったく影響がないって人たちもたくさんいて、個人的には、影響を受ける人と受けない人の違いってなんだろう?って思います。
リアルでもそこ、いつも疑問。

「リング」も「呪怨」も恐怖を感じなかった自分、今回も普通に小説として面白く読みましたが、読む人によってはすごく怖い話と思います。

この本の恐怖は、「読んだ自分も祟られるんじゃないか」って部分です。
この本を家に置いておきたくないって人も多いみたいですが、うち、その前に「新耳袋」全10冊あるしな。。。

小さな町の片隅で女子たちは夢を見る ~ここは退屈迎えに来て



キンドルでセールになっていたので買って読みました。
どこだかわからないけど、地方の中規模の都市に生まれ、そこで生きる女の子、女性たちを描いた連作です。

国道沿いに並ぶ中古車販売店、ツタヤ、書店、ファミレス、コンビニ、大型ショッピングモール、ファーストフードの店、車がなければ生活するのは大変な地域で、東京や外国にあこがれを持ちながらも、自分の生まれた場所、そこにいる人々の中に、ゆっくりと沈んでいく女の子たち。。。。。。という印象の本でした。

私は横浜以外は札幌にしばらく住んだ以外、長期的に住んだ場所はなくて、あとはサンディエゴにちょっといたくらいなので、いわゆる地方都市の生活というのは知らないのですが、友人には地方都市出身の人もたくさんいるので、彼女彼らに話を聞いて知ってる程度で、あとは映画「下妻物語」で見た範囲でしか知りません。

サンディエゴで住んでいたところこは、高級住宅地のはしっこみたいなところでしたが、免許もってない私はバス亭まで10分くらい、スタバまで徒歩20分(ショッピングモール)で、学校にバス通学していたのですが、片道2時間半かかったので、朝6時にバス乗ってました。
下宿させてもらっていた友人が富山の地方都市出身だったのですが、彼女のそこでの生活スタイルは、富山でのそれとほとんど変わりないみたいで、アメリカの郊外の生活と日本の地方都市での生活って、とっても似ているんだって思った記憶があります。

本に出てくる女の子たちは、「ここではなく、別のどこかへいきたい」と願いつつ、無自覚のままに、その土地、そこに生きる人々の中に少しづつ沈んで行っています。
20代後半から始まる物語は過去にさかのぼり、高校生で終わっていますが、それは、一度東京でマスコミ関係の仕事をした女性が夢破れて山河ありで地元に戻り、「帰ってきたけど結婚もしてない、いい年の娘」というタイトルを背負いつつ、なにやらほっとした部分を感じている状態から、いろいろな希望や願いを持っていた高校生の女の子へ帰結していっています。
逆から見れば、希望と願いはさまよった挙句に、元いた場所に戻っているという皮肉な形にもなってる感じ。

この連作にはキィパーソンがひとりいます。
椎名君という男の子で、小学生の時からきらめくような才を見せて、どこへいってもみんなの注目を浴び、誰もが彼を好きにならずにはいられなかった椎名君は、サッカーで世界に羽ばたくかと思いきや、実業団をやめてしまい(理由は書いていない)、そのままなしくずしにゲームセンターの店長とかやったりして、自動車教習所の先生になって、紹介でつきあいはじめた地元の女性と、そのまま結婚していきます。

かつてはみんなのあこがれだった椎名君が、いつのまにかその輝きを失い、女の子たちのかつての希望と夢の残像の象徴として登場してくるのですが、そこ、印象的でした。

もうひとつは、登場する女の子たちが基本、なぜか車の免許を持っていない、あるいは長く運転をしていなかったという設定になっています。
これはつまるところ、彼女たちがその土地、町で、自分の立ち位置を冷静に見極め、見つめ、自立していく象徴が車の免許ってのにつながってます。

その部分において、都心でしか生活したことのない私が都心部で生きる女の子たちを表現するのなら、電車やバスで、ひとりでもどこへでも行かれる我々は、それをつかって自分の力でひとりで行かれるところまでいくのか、それとも、いっしょにいってくれる友達や彼氏を探す、あるいは彼氏の車の助手席をゲットするのかってところがあるように思います。

地方都市出身の友人知人、同僚の女性たちの口から、「どうしようもなくなったら、地元に帰る」って言葉をよく聞くことがあったのですが、帰る場所はここ(横浜)な私は、どうしようもなくなっても、帰る場所は他にないって背水の陣でもある(笑)

明るい小説なので、読後感とてもさわやかでした。

東京にいったら、こことは違う素晴らしいものがある!みたいな感覚が本当に地方在住の女の子たちにあるのかどうか、そこがひじょうに疑問なのですが、オタクにとっては東京は聖地(コミケ会場)なのは確か。

読書の秋


いろいろ落ち着いてきたこともあってか、本読みたい!ってなって、色々読んでました。



村上龍の「はじめての夜 二度目の夜 最後の夜」は、40代の作家が、九州のかつての同級生で初恋の相手でもあった女性と再会する話です。
ぶっちゃけ、あるあるな不倫話ではあるんですが、ただの不倫恋愛話じゃないのは、さすが村上龍。
彼が彼女の中に見たのは、かつて好きだった女の子でもなく、魅力的なかつての同級生でもない。
まだ破天荒な少年だった頃の自分が持っていた、色々な想い、それが内包していた一番清廉な想いです。
だからこの話には、恋愛も肉欲も欠落してる。
欠落した肉欲を、この小説は、ふたりが共に食べている豪華な食事に集約させています。
恋愛がないから、男は日常生活に戻ると、彼女を思い出すことはありません。
でも、有名高級レストランでたまに食べる、産地から特別に取り寄せ、有名シェフの手で作られた味わい深い食事が、彼女の存在と直結してる。
大人の話だよなぁ・・・としみじみ、読みました。



ケン・リュウの「紙の動物園」は、書店で見つけて、久しぶりに本サーチにひっかかったので買ったのですが、あとで、かの又吉さんが推薦して今すごく売れてるって聞いて、虚脱しました。
いや、素晴らしい小説なんだが、普段本読まないような人たち(「火花」購入者の多くがたぶんにぎやかしだから)が、又吉さんが薦めたからって、この2000円近くするSF小説買って読むんか?わかるんか?面白いんか?って思った。

短編集ですが、「もののあはれ」を電車の中で読んで、崩れ落ちそうになりました。
物語そのもの展開も目新しいものはまったくありませんが、この、“日本人にしかない世界観と終末感”みたいなものの美しさ清冽さに、脳天かちわられるくらい衝撃をうけ、それを書いたのが中国系アメリカ人(日本に住んだことがある人だが)ってことに、呆然とした次第。
これはまさに311後の日本を表している小説で、お父さんの最後の言葉に、「うわああああああああああああああああああああああっっっ」って本を持ったまま叫びそうになりました。
個人的に、中国の現代文学がかなり好きで色々読んでいますが、独特の視線があり、文章が詩的なものが多いように感じます。
ケン・リュウのSFもまるで詩を読んでいるような感じで、描かれる世界も、とても詩的な感じがしました。

この他今、「さよならを待つふたりのために」「Wonder」「寄港地のない船」を積んでいます。

別で、読書会用に読んだ本が2冊、勉強のために読んだ本が3冊ほどありますが、こちらは評論と取材本だったので、“がんばって読んだ”感が(笑)




決して行くことが出来ない場所がある

最近、絶景ブームがすごくて、旅行本のところにいくと色々置いてあります。
あの、この世のものとも思えぬような美しい景色の塩の湖ウユニ湖とか有名で、最近は日本人も多く訪れていると聞きます。

絶景ってのはそもそも、あまり人が行かれないような場所が多くて、だからこそ絶景が保たれているわけですが、例えばウユニ湖だったら、南米のあそこまでとにかく三十時間以上乗り物に乗らなければならず、あの地までいくのにまた遠く、現地は宿泊施設が一箇所しかないそうで、しかも日本人の感覚からいうと、木賃宿だそうです。
衛生設備もよくなくて、しかも最近の人気で値段は高いと聞きました。
さらに、ウユニ湖にはいったら、当然だがトイレも行かれないし、水もないから、そっちで完全装備でいかなければならない。
マチュピチュは観光地ですが、高山病との戦いになるし、青の洞窟は天候に左右されるので、行ったからといって中にはいれるわけではない。

とはいえ、絶景と称されて最近話題の場所は、【行こうと思えば行かれる場所】です。

そしたら先日本屋さんで、【行きたくても絶対行かれない場所】を集めた本を見つけました。



いやー。。。世の中には未承認国なんてのもあって、1家族しかいない国とかあるんですね。。。

本当の意味での未開の地ってのもあって、インドのとある島は、外界との接触を完全に拒んだ部族が住んでいて、ヘリにも攻撃しかけてきたりで、インド政府も完全に切り離しているとか、しかもその部族やそこでの生活はどなっているかとか、ほとんどわかっていないとか、びっくりしました。

身近だけど、絶対には入れない場所とかも取り上げられていて、スバルバルの種貯蔵庫やGoogleのデータセンター、高野山奥の院なんかもとりあげられていました。

惜しむらくは、説明の部分で、主観的な内容が多く、中には行った状況と感想で終わっちゃってるものもあり、そこがなぜ辺境と呼ばれる所以なのか、どの特殊な場所なのかが全然書かれてないものがあって、そこがとても残念。
ただ、さすがに【行かれない場所】なので、その記事を書いた人の中には一般人もいるそうなので、プロが取材したものとは明らかに違うのは仕方ないかと。

この本にとりあげられているところは、行きたくなる場所ってのにはつながらないかもしれません。
そもそも、きれいな場所はない。
レアな場所、危険な場所、あるいは、どうあってもいかれない場所みたいなところばかり。

個人的にはこういうのすごく好きなので、この本はなかなか面白かったです。

いよいよ佳境 ~大奥 新刊



赤面疱瘡をついに根絶するに至ったわけですが、それまでの事を考えると、あまりにも悲惨な話が多くてせつなくなります。

将軍の性格の設定も、今まで私たちが知っていたものとは違っていて、男を女に変えるだけで、ここまで話を広げられるのだなぁってびっくりなんですが、史実と照らし合わせても違和感がないのがむしろ不思議。
これから幕末までいくわけですが、徳川幕府の終焉と明治の始まりをどう描くのか、とても興味あります。
個人的には、男性の数が増えたことで、倒幕になって、具滝的に男女の戦いになっていくのかなと思っていたのですが、そんな安直な展開じゃないようで。
さすが、よしながふみ。

次は家定ですが、脳性麻痺だったとも言われていて、ドラマの篤姫では、わざと馬鹿なふるまいをしていたって事になっていますが、「大奥」ではどんなふうに描かれるのか、楽しみです。
その先にある、最後の将軍慶喜も、いかなる人物として描かれるのか。
もともと女性が主だった幕府が最後の時を迎える際、男女のありようはどうなっているのか。

よしながさんは最初から、江戸時代最後まで描くと言っていましたが、20巻以上になるかと思っていたら、そこまでに至らず、さくっと終わる感じがします。
むやみに話を長くしないのは、さすが。
あとちょっと、そして一番の盛り上がりを見せる部分、どうなるか楽しみです。

ひろみと真澄 ~ 本当の強さ

ひろみは、「エースをねらえ!」の岡ひろみ、真澄は「SWAN」の聖真澄のことです。

「エースをねらえ!」は、テニスの名門高校でカリスマプレイヤーだったお蝶夫人にあこがれて入部したひろみを、宗方コーチがその才を見出し、特訓に特訓を重ねて世界の頂点をめざしていこうという物語。

「SWAN」は、北海道でバレエを学んでいた真澄が、日本公演にきていたソ連のダンサーセルゲイエフの前で踊ったことをきっかけに、その才を見出され、さらなる高みへと向かう物語。

このふたつ、とってもよく似ているけれど、実は、徹頭徹尾、対極にある物語です。

私が「エースをねらえ!」を読んだのは、小学生の時。
最初に10巻読んでて、なんか違和感ありまくっていたら、続編読んで、「は????」になりました。
最愛にして唯一無二の師を亡くしたひろみが冒頭から苦悩しまくるんですが、それを「慟哭」って言ってて、子供心に「お前、何ナメたことやってんの?」になりました。

ひろみは、鬼コーチのもと、すさまじい練習と鍛錬積みますが、概ね、それ以外で苦労してません、まったく、全然。
宗方コーチはひろみさえいりゃーいい!くらいに入れ込んでくれてるし、あこがれていたお蝶夫人は、一時ライバルにもなりますが、彼女を常に支え、彼女の指針を見せる存在に。
みんなのあこがれ藤堂さんは、がんばるひろみにラブラブ、その親友尾崎さんも、ひろみを全面支援。
そして、ひろみには親友のマキがいる。
もちろん、ひろみを妬む先輩がいたり、強烈なライバルが現れたりしますが、気弱なひろみを常にみんなががっちりホールドして支えて、彼女が必要以上に苦しまないように、つらい想いをしないように、支え守る。

11歳くらいだった私、それ見て、「この人、テニスがんばる以外に苦労ねぇな。普通もっといろいろあるんじゃねーの?」と思ってて、宗方コーチ亡き後は、「甘えたことやってんじゃねーよ!」になり、その先、読むのを放棄しました。
誰かに支えてもらって、守ってもらえないと、がんばることも、歩くこともできねーのかよ!!ってなった。

「SWAN」読んだのは、中学生の時だったか。
読んでびっくり、ここまで報われない主人公っているのか?って思いました。

バレエの才能を見出されたはしたものの、評価は常にいまいちな真澄。
天才と呼ばれる京極さんの前に、見出された才能の輝きもイマイチなまま。
そうしているうちに、最愛の師であったセルゲイエフ先生は最強のライバル リリアナのもとへいってしまい、好きだった草壁さんは怪我を負った京極さんを支えると、真澄の告白をこばみ、その後恋人となったルシィは死亡。
その中で、師を失った真澄は、見出されたはずの才能を世間に問われながら、孤独に挑戦を続けていきます。

この話のすごいところは、真澄を凌駕する才能の持ち主が次々と現れていく中で、真澄も彼女たちも、お互いの存在によって研鑽されていき、さらなる高みへと登っていくところ。
戦いは厳しく、孤独で、そして主人公といえども、ドン底に叩き落されるシーンも多数。

最終回、真澄はさらなる高みへと登るために、バレエのパートナーのレオンとともに旅立つシーンで終わってますが、この時点で恋愛の気配も欠片もひとっつもないから!!

友人とふたりで「SWAN」の話をガチでした時、ふたりでわーわー泣きました。

「真澄はずっとひとりなんだよ!!」
「しかも、きらめくような栄光栄華がないんだ!!」
「ずっと悩んで、挑戦し続け、叩かれて、泣きながら這い上がり、それでもずっとひとりでがんばり続けてるんだよ!」
「そして、そのつらさ、厳しさを理解するのは、ともに戦ったライバルたちだっていうね!!!!」
「彼女たちが、真澄のすごさを身をもって知ってるってところが!!!」

そりゃ泣くって。

いやー、ひろみには全然共感しないが、真澄からは目が離せないというか、「がんばるんだ!真澄!」という気持ちになりました。
「SWAN」はバレエの話しなんだが、話はガチです。

世の中、ひろみになりたい人はいても、真澄になりたい人はいないでしょう。
でも、本当に高みめざすんだったら、真澄になるしかない。
みんなが自分を守ってくれて、自分のために全力を尽くしてくれるなんて世界は、存在しないです。

別で、「白のファルーカ」ってフィギュアのマンガも私は大好きでして。

主人公、フィギュアでペア組んだ相手の男性の苦悩を知って、しかしそこで優しくするのではなく、彼の最大のライバルとペア組んじゃうから。
本来のペアの彼のことをすごく愛していて大事に思ってて、それでなお、「甘えたことやってんじゃねーよ!立ち上がって、ここまできてみろ!!」ってやる。

読んだ時、「すげー・・・・」と思いました。

なお「SWAN」ですが、最近になって続編が出ていまして、真澄はパートナーになったレオンと結婚します。
しますが、このふたりの関係ってのが、なんていうか、すごい大人で、恋愛の相手とかラブチューパラダイスとかってんじゃなくて、お互いの最大の理解者、バレエ人生をともに歩く相手ってそういうの。

「SWAN」は、常に、先陣切って、女性の生き方をリアルに追求してるよなぁ。。。と、しみじみ思います。

  

異国に居場所がある ~ニューヨークで考え中



外国で暮らす人のエッセイは多数あれど、「うん、これは」って思えるものはけっこう少ないです。
「外国暮らし、こんなにすごい!」みたいなより、個人的には、「異国で住むことの日常」みたいな方が好き。
やまだないとの「パリの友達」とか、最愛の本だったりしますが、異国だからこそ成立する何か。。。みたいなのを描いた本が好きです。

外国に行くと、とくにひとりで行くと、言葉にはしにくい、絶妙な孤独感を味わうことになります。
そこでは私は知己もない異邦人のまま、異国でたったひとりぽっちでありながら、しかしその場所で、これだけの見知らぬ人の中のひとりとして存在している。。。みたいな不思議な感覚。
ひとりぽっちだけど、人間はひとりじゃないんだなぁ。。。みたいな感じ。

日本で見知らぬどこかにいっても、そういう感覚は、あまり感じることがありません。
文化習慣、言葉がいっしょなのに、むしろ、どんなに共通なものがあっても、絶対的なひとり。。。みたいなものを感じる方が多いです。

ニューヨークは5回ほど訪れています。

タクシー拾おうと思ったらなかなか拾えず、ふと横から出てきためがねかけた男性が、「あなたもタクシー拾うの?もしかして旅行者?雨が降ってきたから、なかなかタクシー拾えないよ。あっちの通りの方がタクシーくるけど、僕を信頼してくれるんだったら、いっしょに行こう」って声かけてきてくれました。
私は笑顔で、「うん、信用しますよ」っていって彼についていき(その間の通りも、人通りはあったので)、彼はそこで止めたタクシーを私に「君が先だから」と譲り、「良い旅をね」と手を振ってくれました。

あとでニューヨーク出身の人に、「ついていくとか、ありえない。しかしそれより、そんないい話は聞いたことがないし、身近で経験した人もいない」と言ってました。

乗ってた地下鉄が途中で回送になっちゃって、おろされた駅で「ここどこ?」ってなってたら、階段のところに腰掛けていた、刺青したでっかいスパニッシュが、「どこいきたいの?調べてやるよ」って言って、もってたiPhoneで経路を調べてくれました。
「何で調べてるの?」と聞いたら、「アプリがあるんだよ、見る?」って言われて、いろいろ見せてもらった。

これもあとで、ニューヨーク出身の人に、「ありえない!!」って言われた。

夜、地下鉄の駅から上がったら、「ここどこ?」ってなりました。
道を教えてもらおうとしていろいろな人に声かけたんだが、ガン無視されてたら、後ろから「道わからなくなっちゃったの?」と声かけられ。
見たら、虹色に染めたモヒカンの、大量にボディピアスしたロック!な青年。
地図広げて、「ホテルどこ?」って聞いたら、とても丁寧に教えてくれました。
思わず、「誰に声かけても知らん顔だったの。どうもありがとう!!あなたは私のエンジェル!!」って言ったら、「僕の格好見てエンジェルって言った人、初めて。君のほうがエンジェルだよ」って笑いながら、途中まで送ってくれました。

友達と夕食行くのに、バーニーズの近くを歩いていたら、中から出てきたカップルが、「今ならここで、ただでお酒飲み放題よ!!勝手にはいっちゃっても全然わからないから、絶対いくべき!」って声かけられてはいってみたら、1階全部開放して何かのパーティやってました。
どっかで見たことあるモデルみたいな人とか、俳優?とか、大量にいました。
私と友人は、ただ酒のみまくって、目の保養して、こっそり出てきた。

ありそうで、なさそうで、ありそうな経験だよなぁって思います。

世界中どこにいっても、変わらないものはたくさんあって、でも、すごく違うものもたくさんある。
それは、見る人によって、いろいろ変化します。

この本みたいな本を読む時は、著者の視点で見たその、変わらないもの、変わるものが何なのか、見てみたいって思います。



好きでも、幸せではない ~脳内ポイズンベリー



最終巻。

好きだけど、いっしょにいて幸せじゃない。。。っての、よくある。
好きな人だから、むきだしになるってこともあるし、好きだから、気持ちを損ねるようなことが出来ないってこともある。

とはいえ。

いっしょにいて楽しくない、ハッピーじゃない、責める、責められるようになって、その人の機嫌を損ねないようにってなったら、そこで終わりにするしかない。

しかしそういう関係ってのは、けっこう安易に成立してしまうもので、なかなか難しい。
友達でも恋人でも、好きな人を大事にしなくなる、できなくなるって、どういうことなんだろうかな。

ってことで、主人公は結局、大好きだった相手に別れを告げることになります。
しかし、いっしょにいて、暗い気持ちになってしまう、機嫌を損なわないように自分を押し殺す、笑顔も浮かばないって、それって“好き”が成立してたのかな。
いっしょにいても幸せじゃない人が好きって、それこそが不幸だな。
でも、恋ってそんなときもあるでしょう。

最後に、結婚した彼女に自作のオブジェ送ってきた元彼ですが、脳内会議なみなさまが「処分」って言ってました(笑)
いいと思うヨ(笑)

あの日図書館で泣いた

実家で暮らしていた頃、よく図書館に行ってました。
普段、私はテレビやラジオや音楽が流れている、音のある生活がものすごくだめだったのですが、家族は逆だったので、音がない場所を求めて、図書館に逃げていたって感じ。

歩いて30分くらいのところにある図書館は、大きな窓があり、一番奥の棚の横のその窓枠に座って本を読むのが、とてつもなく幸せな時間でした。

その時、棚にあった全部の著書を読んだのは、ボブ・グリーンです。



90年代、シカゴトリビューンという新聞にコラムを掲載していた、大人気のコラムニストでした。
ボブ・グリーンが描くのは、普通に市井に生きる人たちで、街で彼が見かけた人々、地方の新聞に小さく掲載された記事にとりあげられた人、人づてに聞いたとある小さな出来事に関わる人たちで、有名人でもなければ、ヒーローでもありませんでした。

アメリカでは大人気のプロバスケットボールの試合に、アマチュアの解説者をつけようという企画に、多くのファンが集まって選考会に臨んだというエピソードがあります。
その中に、車椅子の少年がいました。
彼は難病を患っており、その命は短いことがすでにわかっていました。
だいぶ前から不自由になった身体のために、彼はスポーツを楽しんだ経験はありませんでした。
けれど、ずっとバスケットボールが大好きでした。
父親は、高い飛行機代を出せず、十数時間かけて選考会に車で息子を選考会に連れてきました。

結果、彼は最終選考で落ちました。
ボブは、そのふたりが選考会会場から去る姿をコラムに書き、父親が息子に「お前はよくやった」と声をかけるシーンをアメリカ中に伝えました。

私はそれを読んで、人気のない図書館のすみっこで泣きました。
ボブ・グリーンは、少年が自信をもって選考会に臨み、堂々と面接を受け、そして肩を落としながら、しかし誇らしげにそこを去る姿を私に伝えました。
彼らがそこからまた、十数時間かけて帰途につく姿を、ボブは私の脳裏に刻むように表現していました。

そして、このコラムには続きがありました。

コラムを読んだバスケットボールのラジオ番組が、彼を特別解説者として番組に招待したのです。
少年は見事な解説をし、その後、ライフ誌の表紙を飾りました。
ボブは彼に、「どうだい?ライフの表紙になった気分は?」と尋ねると、少年はボブに答えました。

「僕には小さな妹がいる。いっしょに遊んであげることもできなかったし、僕は妹を残して先に死んでしまう。ライフの表紙になったことで、僕は妹の自慢のアニキになれたと思うんだ」

ボブ・グリーンはその後、とあることでスキャンダルにまみれ、消えていきました。
今は、彼の著書を入手するのも難しいです。

私は今、彼がベトナム帰還兵から送られた手紙をまとめた「ホームカミング」という本を、文庫で再発行してくれることを、切願しています。

かつてアメリカで、「ベトナム帰還兵に唾を吐きかけた人がいる」という噂が流れました。
それは果たして本当だったのか?と、ボブ・グリーンは新聞に記事を出し、体験者、あるいはそれを見た人を公募しました。
結果、ものすごく数の手紙が彼のもとに送られてきて、それをまとめたのが「ホームカミング」という本です。

唾を吐きかけられた人、それ以上にひどいことをされた人々は、たくさん存在しました。
足を失って帰国した兵士の車椅子を蹴飛ばして転がし、「赤子殺し」と卵を投げつけた人たちもいました。
それを行った中には、徴兵を逃れてヒッピーになった若者や、カナダに亡命した若者たちが多く含まれていました。

震災以後、今の日本にもそういうことがたくさん起きていると、私は思っています。
自分は高みにいて、関係ない顔をしながら、正義や正しさを武器にして、人々を罵倒し、傷つけている人がたくさんいる。

ボブ・グリーンは本の最後に、こう記しています。

「唾を吐きかけられた人からの手紙は、あとを絶たないが、唾を吐きかけたという人からの手紙は一通もない。
 僕は今でも、唾を吐きかけたあなたからの手紙を待っています。
 正義と正しさのためにやったのなら、あなたは堂々とそれを名乗り出られるはずだから」

そこに答えはない ~専業主婦になりたい女たち



読書会の課題書だったので、読んでみました。

本には、離婚した女性を例にあげて、仕事は辞めない方がいいってあったけど、私は専業主婦もえーやんって思ってるし、子供2人3人いて、夫に転勤だの、深夜残業だのあったら、共働きなんて物理的に無理なので、この本で言われていることに全面賛同はしていません。

本に出てくる女性たちがなぜ専業主婦って道を選んでいるかっていうと、ぶっちゃけ「楽したい」で、社会に出て働く事の大変さを考えたら、専業主婦になるほうがずっとかいい!ってそういう形の選択でした。
自分が働くことを考えたら、つましい夫の収入だとしても、その中で切り詰めてやりくりすることを選ぶって人もいた。

読書会の女性陣、私が話した人ほぼ全員、仕事は続ける!と断言しましたが、その理由は、経済的な自立(少しは贅沢したいとはっきり言明されていた)と、社会との繋がりを持つことで自分のポジションを確立しておきたいってのがその理由で、「仕事が好きなわけではない」と、これまた全員が言ってました。
ぶっちゃけ、働かないでお金はいってくるんだったら、働かないと、はっきり言われていた。

これ、本にあった「働くのは大変だから専業主婦になった」って人と、考え方の部分では、まったく同じと思うんですが。
違うのは、結果的にどういう方向を選んだかってだけの違いのような気がするんだがなー。

本には、専業主婦になって離婚したらどーする、どーなる?ってリスクについて書かれていて、「仕事をやめてはいけない」という女性の離婚経験者の意見も書かれていましたが、結婚しないでビジネス前線にずっと出てる身としては、仕事してても、レイオフ、リストラ、倒産、減給ってあるから、リスクがあるのは同じですよと言いたい。

でも、読書会で「仕事は続ける」って言ってた女性陣と、本にある「専業主婦でいるためにがんばる」って女性陣との違いはあって、私はそれが、“自分の人生に対するモチベーション”なんじゃないかと思います。

保育園のママ友みたいなレアなつきあいを独身時代にもやってる人たちはたくさんいて、基本的な部分が維持される人もいれば、自分で働いたお金でやりたいことやって、何かに情熱を注いだり、がんばったりしてる人たちは、決められた狭いフレームにはいりたいとは思わない。

同じグループになった男性陣は、わりと鷹揚な人たちで、「働くのはもちろんウェルカム。家事も、今、自分でもやってるから、普通にやります」って人たちでした。
ただ、奥さんの方が毎日深夜残業や出張で、いっしょにすごす時間がないとかいう状態になるんだったら、そこはやっぱり嫌だって言ってた方もいて、そりゃそうだよねって思った次第。

都心部の方が結婚率が低いって話に対して、男性が、「対象となる相手の数が多い分、目うつりする。決められない」って言ってたのも印象的でした。
女性からの「最近は草食系男子が多くて、自分から告白しない人が多い」って意見に、「30歳過ぎると、つきあってほしいって言葉の先に必ず結婚ってものがはいってくるから、簡単にいえなくなった」という意見もでて、なるほどなって思った。

短時間で答えが出るような簡単なトピックではないのですが、色々な人と意見を言い合うには、とても面白い内容で、読書会ならではな議論が出来てたような気がします。

ただひとつ、個人的に気になったのは、読書会=婚活の素晴らしい場!みたいな流れがけっこうあった今回、もちろんそういう要素を含んでいることは確かなんだけど、そこを強調しすぎると、いわゆる“本をテーマに会話を楽しむ”とか“同好の士同士で楽しい時間を持つ”って一番重要な知的な部分がおっことされて、読書会そのものの軸が問われることにもなってしまうので、ちょっと違和感持ちました。
別に、相手探しにあそこに参加しているって感じの人はいないと思うし。

その読書会で出会った人と結婚したって女性が、「それまでは、イケメンとか、ぐいぐい引っ張ってくるような、いわゆる男性的魅力の高い人が好みでつきあってきたが、そういう人は浮気したり、自分勝手だったりした。結婚したのは、そういうものはないけれど、優しい人だった」って言ってて、そんなもんだろうなーって話し聞いてて思いました。

もっとも名言としては、「専業主婦になれてんだから、いーじゃないですか!なりたくたって、それ以前になれない私はどーするんですか!」って発言がでて、そっちも「確かにな、そこな!」って思った(笑)

読書会の醍醐味



読書会に参加してきました。
課題書は、前回参加した別の読書会と同じ、「33年後のなんとなくクリスタル」。
ふたつの読書会、それぞれにどういう違いがあるのかとか、ちょっと楽しみでした。

最初の読書会は、年齢層も幅広く、大学生から50代以上の男女混合、100人以上の人が集まりました。
田中康夫さんご本人の出席もあり、直接質疑応答する事もできて、ひじょうに内容の濃いものになりました。
面白かったのは、20代から30代の男性のほとんどが、ことごとく、本に書かれている人達の生活や価値観をdisったこと。
きらきらした大学生活を送っていた男女が50代になり、セレブな生活を送っている様子はリアルではないという意見が出ました。
しかしそこ、田中康夫さんご本人が、「家事や子供の面倒見るのに追われ、仕事に埋没しながらリストラにおびえる描写だけがリアルなのか?」と投げかけてきて、「ここにいる彼女たちの“リアル”というのもあるはず」と言っておられて、なるほど。。。と思いました。
30代半ばくらいの女性が、「未婚で働く女性がひとりいてほっとしたが、まったく共感できなかった」と言っていて、こちらもなかなか興味深かったです。

もうひとつの読書会は、六本木ミッドタウンで行われる、作家の方が主催の集まりで、人数は多くありませんでしたが、年齢層は、前の読書会より明らかに高く、登場人物と同世代の方もけっこういました。
ひじょうに興味深かったのは、34歳の女性の方が、「バブル世代の人は、夢を語ることが出来るのが素晴らしいと思う。それより若い世代は妙に達観してあきらめた感じがあり、30歳超えたくらいで、『私たちはおばさんだし』って口々に言ってるのに違和感があるほど」と言っていたこと。
51歳の女性は、「年齢に関係なく人には成長があって、常に歩き続けることができるというのが感じられてうれしかった」と言っていました。
また、こちらでの男性は40代50代でしたが、「小説としては面白くなかったが、時代を象徴するものとして見るととても面白い」という意見、「読む人の世代や価値観、考え方でまったく違う印象が残る、珍しい小説」と評した人もいて、これもなかなか面白いと思いました。

本だけでないと思いますが、感想や意見を述べるのもスキルが必要だなと、最近感じることが多々あります。

映画や本の感想をネットで色々探してみてみると、映画感想ブログと称していても、「面白かった」「ちょーお勧め」だけしか書いていないものがたくさんあります。
どう面白かったのか、どのあたりがお勧めなのかは、たいてい書いていません。
中には、その後に食べたラーメンのおいしさが長々と書かれていたりして、「?」になるものもけっこうあったりします。
文章があるものについても、要約されたあらすじだけで、感想は「泣いてしまいました、良い映画でした」しか書いていなかったりとか。

それは感想とは言わないよなぁって思っていたら、読書会でも同じ意見が多数でて、「だから、こういう会でいろいろ意見交換できるのは面白いし、刺激がある」という話しになりました。

もちろん、反論異論も出ますが、会の主旨として、違う意見だからといって、相手を否定したり罵倒したりするのは禁止されています。
禁止されていますが、それ以前に、そういうことをする人は見たことがありません。
考えてみれば、色々な意見聞きたい、他にどんな感想や印象があるのか興味あるって人達なので、自分と違う見方、考え方があって当然という気持ちで参加しているから、「お前のその考えは間違ってるんだよ!」みたいなものは最初っからないのだと思います。

違う意見を聞くと、「なるほどー、そういう考え方もあるのかー」ってなって、とても面白いです。
自分にはなかった視点は、新鮮だし、勉強になる。
意見を述べるからには、ツッコミや質問にもきちんと対応する必要は当然出てきます。

ミッドタウンの読書会は、出版社の方が多く参加されていて、作り手になる人達ならではの意見を聞く機会にもなりました。
田中康夫さんは、執筆に長く時間をかける方だそうです。
先の読書会でご本人とお話しする機会もありましたが、丁寧で誠実な方だという印象を受けました。

「33年後のなんとなく、クリスタル」ですが、主人公はヤスオで、田中康夫さんご本人まんまのキャラと経歴です。
なので、読者はこの小説が、フィクションなのかノンフィクションなのかわからないまま読むことになります。
登場する女性たちが実在すると信じている人もけっこういましたが、私は全員、ある程度モデルになる人はいるにしても、全員架空の人物であろうと思っています。
某出版社の編集の方も言っておられましたが、もしそのあたりも、田中さんの術のひとつだとしたら、田中さんはそうとうな策士だなって思います。

失恋ショコラティエ 完結

ちょっと遅めな感想ですが、「失恋ショコラティエ」ついに完結しました。

なんてんですか、みんな、落ち着くべきところに落ち着いたって感じでしょうか。
爽太はえれなと復縁、サエコさんはお腹の子供引きつれて夫の所に戻り、オリヴィエは爽太妹と結婚、薫子は自分の素直じゃないところを反省しつつ現状維持。
水城せとなのマンガとしては、わりとふつーにハッピーエンドだったんじゃないかと。

このマンガ、少女マンガ連載なのに、まったくもって純愛なんてものの欠片もなかったところがすごい。
二股、不倫、失恋、セフレって項目満載でした。
その中で、モテまくりで、本人自覚で自分でも言ってたけど、「願うことは全部かなう」サエコ哲学は、全女性がメモとってもいいくらい、いろいろ勉強なる(笑)

とはいえ。

現実は、二股かけて挙句にひどい裏切りをした爽太を許すえれなみたいな女性も、他に好きな男がいてうだうだ不誠実なことをしてた爽太妹にプロポーズしちゃうオリヴィエみたいな男も、現実にはそう滅多にはいないと思うし、妊娠しながら爽太と楽しそうに疑似恋愛して、何もなかったように夫のもとに戻ったサエコのように、現実はそううまくはいかないであろうと思われ。

とはいえ。

不実とわかってても、不倫だと知りながら、自分のことを好きじゃないとわかっていても、他に相手がいると知っていても、好きな人のことは好きってのは、人としてどうしようもないものだったりもします。

私はこのマンガの誰にも、共感することはさっぱりなかったんですが、共感とか覚えた人がいたとしたら、どういうところかぜひとも聞いてみたいです。
前に読書会で、しょーもない主人公の男がかつての不倫相手だった女性に再会する話で、そこにいたほとんどの女性が、「思いっきり蹴り飛ばしてほしかった」って言ってたことがあるんですが、この「失恋ショコラティエ」のえれなも、個人的には蹴り飛ばしていただければ、新鮮な展開になったのではないかと。
少女マンガじゃ、それないかな(笑)


33年たっても変わらない~33年後のなんとなくクリスタル



あの「なんとなくクリスタル」のその後を描いた小説です。
なんで読んでいるのかっていうと、次回の読書会の課題所だから。

前作も読んでいますが、33年たって、主人公のヤスオは50代、ヤスオを巡っていた女性たちは40代半ばから後半になっています。
それぞれ家庭を持ち、奥様におさまっている人、セレブ妻モデルで活躍する人、そして世界を股にかけて働く人がいます。

この世代の人は、変わらないんだなってのが、正直な印象。
こじゃれた単語を駆使して、隠れ家的な、あるいは有名なレストランとかで、ちょっとした薀蓄まじえたオシャレっぽい会話する。
そこらの雑誌で紹介されまくってるテンプレな生活が、実際彼らの生活だったりしてます。
泥臭いものは、そこにはまったくない。。。ように見える。
だから、“なんとなく”クリスタルなんだろうなぁって思いました。

六本木や麻布のクラブに行ってた頃がありました。
仲良しの友達が華やかな人で、彼女に連れられていってたのですが、芸能人とこっそりつきあっていた彼女は、いつもクラブのVIP席に案内されるような人でした。
彼女の周辺の人々もやっぱり華やかで、プチセレブみたいな人たちがけっこういました。
はしっこの影の方で、リアル壁ドンやったかっこいい男が、相手の女性におおいかぶさるように唇を奪うとか、マジでやってる世界であった(笑)

この時に出会った人たちは、ヤスオな会話はしていませんでした。

逆に、本当にお嬢様お坊ちゃまな人たちは、それこそヤスオな世界とはまったく関係ない人が多いし、むしろああいうのから遠ざかる傾向にある人のほうが多い。

ってことは、やっぱりあの世界は独特な世界で、あの世代にしかないものなのかもしれません。

ヤスオと同世代だった前の上司は、「俺はバブルかぶってるけど、おいしい想いなんか全然してねーよ。蒲田(東京の工場地帯近くの下町)の安い酒場で安い酒飲みながら、ホルモン食ってたんだから」って言ってました。
その上司こそ、外人向こうにはって、世界を股にかけるビジネスマンだったけど、ブランドくさいことは全然なかった。

この小説では、この世代のこの種類の人たちが必ずもってる、貪欲さと飢えたハイエナみたいな騒々しさはきれいに省略されてます。
上品に描かれたこの世界では、やっぱり“なんとなく”なオブラートにくるまれているような。
ってことはやっぱり、これはやっぱりフィクションな世界なんだろうなって思った次第。

知る人ぞ知る隠れ家的なイタリアンで、イタリア人でも食通の人たちしか知らない特別なエリアで作られているレアな食材とワインを堪能しつつ、作家の男とPR会社の社長な美しい女性が、こじゃれた専門用語使いながら料理について語り合う。

まぁ、こういう世界もあるんだよねって、それだけなんだよなぁ、私には(笑)


これエロいの?~フィフティシェイズオブグレイ



そろそろ映画公開のこの小説、アメリカでは爆発的に売れて、作者の印税額は過去最高になったんだそうです。

昨年2月にアメリカにいった際、友人(日本人)に「これ読め、絶対読め」と超薦められて買って買って来ました。
「トワイライト」の大ファンの主婦が、いわゆる二次創作的に書いたものだそうで、あまりのエロさに書籍で買うことをためらった女性たちがこっそり読むのに、キンドルで馬鹿売れしたということらしい。
私が行ったときは、3冊そろったパッケージで、ハードカバーとペーパーバックとで売れまくってました。

んで、読み始めたのですが。。。。。。。。。。。私は声を大にして言いたい。

「先生!!全然エロくありませーん!!」

エロもホモも触手もリバーシブルも、同人ですっかり慣れてる身としては、この程度で「すごいエロい」とか言われてもさぁ~(笑) → この発言によって、私は今、色々と失ったものがあるような気がしてならない。。。

SMくらいで、がたがた言うなって。
これなら、山藍紫姫子や搭英のりこのほうがすごいもの書いてるぞ。

ロマンス小説大好きな英語の先生に「読んだ?」って聞かれたので、「読んでるけど、なんかイマイチ」って言ったら、「私もだめだったの。なんかSMって敷居高い」って言われて、「これ以上、一般女子相手に、何も言ってはならない」と自戒しました。

熱狂的なファンがキャスティングに文句つけて署名集めまくり、俳優が変更になったっていわく付きの映画ですが、予告見て、小説まんまのセットとか雰囲気で、「がんばったなー」と思いました。
グレイのオフィスとか、私の脳内にあったものまんまで、ちょっとびっくりした。

が。

グレイ(男側)が、「My taste is very singular」(僕の嗜好は特別なんだ)とか言った瞬間、大笑いしてしまった私。
そしたら、お友達のよっしーさんも、やっぱりそこで大笑いしたそうで。
そっかー、そこでその単語使うかーってなった(笑)

正直この小説、日本人にはあまりウケないような気がします。
日本人はもっと、情緒的な物語が好きなような気がする。

しかし今日映画館で「ストロボエッジ」の予告見て、「いやいや君たち、それ、10年後に自分の黒歴史になって、東京湾に沈みたくなっちゃうから、やめておいたほうがいいよ」って思ってしまった。

つまるところ、私はただ、恋愛ものはまったく性にあってないってことなのか?



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