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高みを目指す者たちは ~セッション



多くのコンクール優勝者を輩出し、たくさんのプロのピアニストを育て上げた先生にピアノを習っていたことがあります。
私はその精鋭グループとは無縁でしたが、コンクール直前の彼らのレッスンの真っ只中にはいったことがあります。
自分より小さな子から、高校生くらいまでの人たちがぞろりといて、凄まじい緊張感の中、ひとりひとり演奏します。
先生の怒号、暴言が響き渡り、時にはペンや楽譜が飛んでくる。
それが何時間も続きます。
そこにいた生徒たちすべて、私を除いて、世界を目指し、頂点をめざす子供たちでした。

「セッション」は、その世界を描いています。

この映画は、最低限の登場人物、最低限の場面、最低限の台詞しかありません。
必要なものは、すべて“見せて”きます。

音楽大学の中でも優秀な人しかはいれないバンドに、主人公のニーマンが選抜されます。
その指導するフレッチャーの厳しさは、凄まじい。
怒号、暴言が常時飛び、ビンタかまされ、イスが飛んでくることすらある中、生徒たちはコンマ数秒のテンポ、微妙な音程のズレを指摘され、あきれるほど時間をかけて調整されていきます。
出来なければ、その場でクビになる。
言い訳はきかない。
主演奏者の席は、あっという間に別の才能ある生徒に明け渡さすことになる。

その中で、フレッチャーが指揮棒をあげた瞬間の、すさまじい緊張感。
張り詰めた空気。
研ぎ澄まされた演奏。
そういうシーンが、余計な台詞も演出もなく、延々と続きます。

暴言は親や人種的なことへの侮蔑にまで及び、自信も尊厳もプライドも、価値観もアイデンティティすらも粉々に破壊していきます。
聞くに耐えない汚らしい言葉、親までも侮辱する怒号が飛ぶ中で、生徒たちは必死にフレッチャーの指導にくらいついていことします。

いろいろな感想を他で見ましたが、そういうフレッチャーの指導を、パワハラと言って、「あんなことされたら、即効やめる」と言ってる人はけっこうな数いました。
当然だし、否定しません。

しかし。

もし、プロの演奏家として高みを目指すなら。
音楽家として、その才能を飛翔させるなら。

演奏も、精神も、おのれ自身すべても、ざりざりと削り、エッジをたてまくり、磨かれなければ、それはかないません。

誉められて育つというのは、確かにあるし、真実です。
だがしかしそれは、ただ上手になるだけのレベルまでで、その先にある世界を目指すのならば、恐らく誰しも、あのフレッチャーが言っていたような、実践していたような世界を通りぬけているはずです。

ニーマンは、とっても嫌な奴です。
自尊心やたら高いし、虚栄心もすごい。
友達なんて、ひとりもいません。
せっかくつきあいだしガールフレンドにも、「演奏の邪魔だ」と別れを告げます。

しかし、彼のドラムに対する想い、それに賭ける情熱はすさまじいものがあります。
手が血まみれになるまで練習し、腫上がった手の熱を冷ますのに、氷水を用意するほど。
だめだしだされた部分を、何度も何度も繰り返し練習し、その成果をフレッチャーに見せ付けます。
そこまで打ち込み、才能を認められていても、彼の親族はそのすごさを理解することはありません。
ニーマンは常に孤独です。

そのニーマンが主演奏ポジションを得、それを失い、そしてその後どうなるのか。
これは甘やかな青春ドラマでもなければ、感動の音楽ドラマでもありません。
ニーマンや最高に嫌な奴だし、フレッチャーは超ビッチな教師のままです。
よってラストは、我々の予想を大きく裏切る、シビアで、そして度肝を抜かれるようなものを見せてきます。
我々は、削られ、磨耗され、そして磨かれたニーマンの輝きがどこへ向かうのか、それを最後、とてつもない形で見ることになります。

凄まじい映画でした。
最後の最後まで、すごい緊張感。
そして見終わった後、放心しました。

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