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猿の話じゃないので ~猿の惑星 新世紀



あのチャールトン・ヘストン主演の衝撃の名作「猿の惑星」につながるシーザーの物語の第二作目です。

ウイルスによって知能が進化した猿たちは、山奥でコミュニティを作って暮らしているのとは別に、そのウィルスによって絶滅に瀕した人類は、生き残るために必死にあがいていました。
電気を復旧させるために、山奥にはいったマルコムたちは、猿と遭遇しひとりが発砲してしまう。

猿がもうすっかり人間なので、猿という感じが全然しないという不思議感。
共存しようとするマルコムとシーザーとは別に、愚かさと恐怖で猿と戦おうとする人間、憎しみで人間を滅ぼそうとするコバ(猿)が、すべてを破壊と破滅へ導いていってしまいます。

人間は、猿はしょせん猿って意識から抜け出せません。
猿がしゃべる、猿に知性があるという事実を、否定する以前に理解することができない。
多くの人にとって、猿はしょせん、獣でしかない。
その概念が、最終的に人間を滅亡に導いていってしまいます。

猿は、知性を持つことによって、愛情や友情などを得たのと同時に、憎しみや狡猾さもその中に生んでいます。
実験で人間に痛めつけられたコバは、人間に対する憎しみしかありません。
そして、それは結果的に仲間を裏切り、仲間を殺してもおのれのやり方を貫くという形になっていきます。
それが、コバが憎んだ人間にもっとも近い行動であることが、あまりにも皮肉。

アンデイ・サーキスの演技のすごさが際立つ映画ですが、猿の方の役者さんたちの目の演技も素晴らしく、シーザーの息子が殺し合いを始めた人間と猿を見つめる目がすごい印象的でした。

とはいえ。

終わった後、何も残らないというか、あっさり見てしまった感があるのは、この映画、王道中の王道展開、物語としては新しいものはまったくありません。
愛情、友情、憎悪、悲しみなどなど、夫婦や友人、親子の関係も含めて、猿と人間に差が全然ないので、異種間での理解って枠をあまり感じることが出来ない。
物語の流れも展開も、思っていた通りというか、そのまんまなので、驚きも感動もないというか。
仕方ない部分もありますが、やむをえないのかなぁと思ったりしました。

子供の頃、テレビでチャールトン・ヘストンの「猿の惑星」を見たのですが、砂漠にその身をほとんど隠れてしまった自由の女神をみて、そこが地球だと知った主人公の姿で終わるラスト、本当に衝撃でした。
SFXやその他の技術が進化しても、あの名作を超えるまでには至っていない。
それは、映画が技術ではなく、物語と描写が重要なんだってことを証明しているんじゃないかと思います。

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