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アニメとGAMEとマンガな日々
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何が正しいのかはわからない ~藁の盾



原作未読。

姿形がかわるほどの暴行を加えた後、性的暴行を加えて殺害する少女連続殺人犯人を、九州から東京に移送するという、ただそれだけの話です。

それだけなんだが、大きく違うのは、その犯人の男に、10億という金が賭けられたということ。

殺害して、罪を問われた場合それは支払われるという条件がつきますが、命を狙って残念ながら失敗に終わった場合でも、1億支払われたばかりかその他の報酬も受けられる。

7歳の孫を無残に殺された、自身も心臓病を患っている財界の大物が仕掛けた、大きな罠であり、賭けです。

莫大な金は、人間を動かします。

そして、対象となった男は、あきらかに人間として壊れた異常性犯罪者です。

はっきりいってしまえば、彼が生きていることに喜ぶ人はいないし、むしろ死んでくれたほうが世のため、人のためと、誰もが思える人物。

しかし、法律と人権は、そういった人間たちから犯人を守る“義務”と“職務”を生じさせます。

犯人の清丸が、見事なくらいに人でなしで壊れてるので、実際「誰もやらないんだったら、私がやるわ!」くらいの気持ちになります。

実際、清丸を守る警察官やSPたちも、「自分が殺していい!むしろ殺すべきじゃないか」という想いにかられる。

ところがそこに、大きな罠があります。

清丸の命には、10億の懸賞金がかかっている。
殺せば、それが支払われる。

つまり、正義と良心によって彼を殺害しても、「金のためにやった」という結果に転じてしまいます。

この状態に気が付いた時、警察官にもSPにも、見ている我々にも、「じゃあ、正義と良心のために何ができるのか?」という不毛の疑問がつきつけられることになる。

清丸を守るSPや警察官にも、清丸を追う人々にも、無為な犠牲がはらわれます。
「死んだほうが世のため、人のため」な人間のために、死んでしまう人間がたくさんあらわれる。

そして清丸はそれを見ながら、にやにやと笑い、「あんたたちは俺を守るのが仕事でしょ?」とうそぶき、ヒステリックに「なんで俺がこんな目にあわなきゃいけないんだよ」とわめきます。

10億という金がかからなかったら、清丸を殺していいという人間は果たして現れたか?という所も、この映画の大きな疑問の投げかけ。

彼の犯した犯罪に直接関係ない人たちが、彼を殺す意味と意義は果たしてあるのかというところ。

正義、と一言で言ってしまえるけれど、それがなんともはや、何の形も意味も持たないものだったのだろうかと、この映画を見た後に愕然とすることになります。

個人的には、あのラストは好きではありません。
母親を失った子、娘を失った親、息子を失った母親は、清丸を憎んでいいはず。
映画の中でも言われていましたが、彼らこそが、清丸をその手にかけていい人たちです。

しかし、人間社会というのは、それをしてしまったら、その軸と根と骨を失ってしまう。

警察官やSPが守ろうとしたのは、清丸の命ではなく、その軸と根と骨につながるものだったのだと思うと同時に、それはなんと空しい、やりきれないものなんだろうかと、映画を観終わった後思いました。


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