親であること、子であることの意味 〜トランスアメリカ
2012年03月15日 公開
トランスアメリカ [DVD] (2007/01/27) フェリシティ・ハフマン、ケヴィン・ゼガーズ 他 商品詳細を見る |
映画好きな友人が絶賛していたものを、やっと見ました。
性同一障害でずっと苦しんでいたブリーが、性器形成手術を1週間後に控えたある日、突如「警察に収監されている息子を引き取りにきてほしい」という連絡を受けるというところから物語は始まります。
自分の意志とは関係なく、やむをえず迎えにいったブリーの前に現れたのは、母親を亡くして子供時代から性的虐待を受け、今は男娼として生きる十代の息子でした。
家族から受け入れられず、大学を出ているにも関わらずレストランで皿洗いをしているブリー。
家族も親の愛からも遠く、ひとりですさんだ生活を送るトビー。
自分が父親であるということを告げるのは、ブリーにとって、自分が本当は男であること、自分がもうすぐ男であることをやめること、一度だけのセックスを否定していたこと、相手の女性のその後の人生にまったく関与しなかったことを、自身につきつけることになり、トビーの存在は自身が男であったことの証にもつながります。
心弱いブリーは、それを受け入れることができません。
すさんだ生活を送るトビーは、他人を信用することも出来ないし、愛情というものの存在も理解していません。
安易にゆきづりで誰とでもセックスし、盗み、嘘をつきます。
そのふたりが、親子としてあるべき絆を持つこともなく、アメリカ大陸横断の長い旅に出ることになる。
物語に大きな事件はありません。
淡々とふたりの会話があり、旅の途中で関わる人がいます。
見知らぬ人たちは、ブリーをトビーの母親と思い、トビーはただの小僧のように扱われます。
この映画は、それぞれ、生きるのにつらい、苦しかったふたりが出会い、互いの存在を通して閉ざしていた外の世界との関わりを取り戻していく過程を描いた作品と思いました。
あからさま人情出すようなシーンはないのですが、ブリーに反抗するトビーにガススタンドのおじさんが「お袋さんにそんな口をきくなんていかん」と言ったり、ブリーがトビーに母親のような態度を取ったり、親切にしてくれたネイティブアメリカンの男性が父親のようなおおらかな態度をトビーに取った、というなにげないシーンに、むしろそういうものが実はとても大事なんだということをあらためて感じさせてくれました。
ブリーなんですが、こんな感じなんですけれども ↓
演じているのは女優で、「でスペラートな妻たち」にも出ている有名な方でした。
普段はこんな感じ↓
彼女の演技を見るだけでも、一見の価値があります。
はっきりいって、名演でした。
スポンサーサイト