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アニメとGAMEとマンガな日々
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壮大なる猿歴史の刻む名作 ~猿の惑星 聖戦記



すごい映画見ちゃったよ・・・というのが、見終わった後の率直な感想です。
これはもう、壮大なる猿歴史を描いた、スペクタクル映画。
かの名作カーク・ダグラス主演の「スパルタカス」見た後と、同じ感覚になりました。

ずっと人間との共存を考えていたシーザーに対し、前作でコバが始めてしまった全面戦争、それは、思わぬところから、ほころびが出てきます。
その象徴が、CMにも出ていた美少女。
家族を殺されて憎しみに燃えるシーザーが殺した男が連れていたらしい、病気の少女です。
彼女は、まかれたウィルスによる人間の”退化”が何であるかを、実は見せていました。

シーザーが人間との共存を模索するのは、彼が人間のもとで幸せに生きていた時代があったからこそで、人間のよい部分というのを知っているからです。
しかしコバは、真逆でした。
そして今回登場するバッド・エイプ。
彼の存在は、まったく新しい。
もともとは動物園で飼われていたバッド・エイプですが、仲間をすべて殺され、ひとりで生き延びていたという過酷な状態でありながら、人間への憎悪をもっていません。
”戦わない猿”という存在が現れたことを、映画は示唆しています。
仲間を殺し、自分の命すら狙ってた存在を憎まないって、ものすごく高度で緻密な心理と知性をもたないと存在しえないものです。
対して人間は、猿を殲滅することしか、もう生きる道は残されていないと考えています。
物理的な退化の症状がなくても、すでにその時点で、人間は滅亡の道をたどっていると言えます。
なぜなら、生き延びる道を考えていないから。
ウィルスが蔓延し、ただでさえ生存が難しい状況の中で、相手を殺せば生き残れるという考えは、すでに知性ある生物の考え方ではない。

1作目、知性を持った猿たちの最初の戦いで、ゴリラがシーザーを守って命を落としました。
我々、「よもやゴリラに泣かされる日がくるとは思っていなかったよ!」で号泣だったわけですが。
今作も、ゴリラがむちゃくちゃ熱いです。
胸熱です。
少女の髪に、ピンクの花を折って挿すゴリラとか、ちょっとそこのあなた!!!考えたことあります???

少女の名前がノヴァ。
シーザーの残された息子の名前がコーネリアス。
これは、猿の惑星の最初の物語に通じています。
チャールトン・ヘストンが愛するようになる人間の女性の名前が、ノヴァ。
ヘストンたちを理解して助けようとしてくれる夫婦の夫の名前が、コーネリアス>だったはず
もっともあれ、700年後とかの地球の話だったから、当人ではないと思いますが。

猿ですが。
もちろんモーションキャプチャーで人間が演じてるんでなんですが、演技がすごいです。
猿だったことを忘れる。
心情的に、猿側に思い入れしていまいます。

なんか、ふつーにガチですごい映画でした。
主人公が猿だけど、壮大なスケールの歴史スペクタクルでした。


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すべての人々へ ~ ドリーム



「ドリーム」見ました。
やっと見れました。
アカデミー賞にノミネートされて、見たい!と思ってから一年近く。
日本での公開、遅すぎる>しかも邦題がクソで騒動になってた

NASAのマーキュリー計画前後に、計算手として働いていた黒人女性たちを描いた物語です。
主人公キャサリンは、小学生から飛び級しまくった数学の天才児。
同じ黒人女性のメアリーとドロシーとともに、NASAで働いていました。
卓越した数学の才能を持つ彼女たちですが、職場は施設の地下。
そこで、安い給料で計算手として働いています。
そんな時、ソ連がスプートニクを飛ばし、さらに有人宇宙飛行を成功させます。
NASAは正確かつ高度な計算が出来る人材を探すこととなり、その白羽の矢は、キャサリンに向けられます。

1960年代、白人と有色人種が使う場所は、すべて分けられていた時代です。
さらに、女性の仕事はアシスタント的な業務がメインで、その能力や地位はほぼ認められることがない時代。
そんな中で、白人種男性しかいない現場にはいったキャサリンは、黒人、女性という二重の意味で大変な苦労を強いられることになります。

有色人種が使うトイレがないため、毎回800メートルも先にある、遠い建物地下のトイレまで往復しなければならない。
オフィスにあるコーヒーメーカーは、彼女だけ別にされる>しかも放置されてる状態
計算しようにも、大事な部分は全部黒いマーカーで消されてしまう。

同僚のドロシーやメアリーも、同じような経験をします。
エンジニアとしての才能を発揮するメアリーに、上司がエンジニアの資格を取ることを薦めますが、大学の学位ももっている彼女に、人事は、有色人種には取ることの出来ない講義にでていないことを盾に、資格取得を承認しません。
管理職の代理をずっと務めるドロシーは、昇給も昇進もないままこきつかわれ、それを人事に訴えますが、黒人女性が何を言ってると、まったく相手にされません。

ここまでの差別を描きながら、この映画は、差別との戦いをいっさい描いていません。
見事なほどに、描いていない。
すっぱりと、”当時あったこと”として描いています。

じゃあ何をこの映画は描いているのか。
3人の女性が、黒人であること、女性であることなど、驚くほどの困難と障害を前にして、決してくじけず、決してあきらめず、誠実に実直に仕事にむかっていく姿を描いています。
すごいのは、彼女たちは決して戦わないし、自己主張もしないし、強い態度にも出ません。
静かに耐え、黙ってあることを受け入れます。
けれど、前へ進み続けます。

個人的に、心に残ったシーン。

キャサリンが職場を去ることになった時、上司の秘書が婚約祝いを上司からだと言って渡します。
その品物は、かつてキャサリンが一度だけ、怒りに震えて上司や同僚の男性陣に訴えた時に言及したもののひとつでした。
「上司はこんなのはわからないから、たぶん奥様が選んだものでしょうけれど」と秘書が言いました。
いや、違います。
それは秘書が選んだもの、と私は思いました。
なぜなら、キャサリンの喜ぶものが何かなんて、上司はわかるわけもないし、覚えているわけもない。
秘書の彼女だからわかるものです。
私はこのシーン見て、号泣しました。

もうひとつ。
有色人種しかいかれない学校の講義に出たいという申請を、裁判所に申し出たメアリーが、裁判官に言う言葉。
「最初のひとりになる」(Be the first と言ったような記憶が)
この言葉のすごさ、すばらしさに震えました。
しかし、そのメアリーも最初は違っていました。
「黒人の女である私が、夢や希望をもったところで無意味だ」
そう言った彼女に激を飛ばしたのは、技術部門の彼女の上司です。
「何言ってるんだ。私はユダヤ人だ。両親は収容所で死んだ。だが今、ここにいる」

日本では、女性が主人公の映画は、恋愛絡みじゃないとまったく受けません。
「ドリーム」も、アカデミー賞多数ノミネートされ、アメリカでは大ヒットを飛ばしているにもかかわらず、日本公開は一年近く遅く、上映館も少ない。挙句に、宣伝も邦題もあきれるようなやり方でした。
これが、男性が主人公だったら違うよね?という指摘がありましたが、そのとおりと思います。
Twitterで映画評をあげている人たちのほとんども、この映画については、完全に無視です。
(ちなみに、ほぼ全員、「ワンダーウーマン」は視聴していましたが、全員鼻で笑ってました)
「ダンケルク」など、きちんと解説し、すばらしい評をあげている人たちですら、女性が主人公の仕事の映画になると、そういう対応になる。。。そんな国なんだな、日本って。

週末、都内上映館はほぼ満席で、チケット取れず。
平日の夜見ましたが、年配の男性が多かったです。
どういうふうに見たか、聞いてみたかった。

私が女だからって差別した!
私が黒人だからって、そういう扱いをするのだ!
そんな言葉は、いっさい出てきませんでした。
(まぁ、そんなこと言ったら殺されるかもしれないし、そもそも職を失う時代でもあるけど)
しかし、彼女たちは、おのれの目指すものへと進み続けます。
実直に、誠実に、どんな困難にも負けない不屈の心で仕事に向かい、そして結果を出すという、あまりにもまっとうであまりにも正当なやり方で、彼女たちは成功しました。

「天才な彼女たちでも夢を叶えるにはあんなに大変なら、才能なんてない自分らの夢なんか、叶うわけない」という意見をみました。
成功とか達成に向かって努力はするものだけど、成功しないならやらないって考えなら、何やってもだめでしょう。
成功するか、達成するかなんて、誰もわからないです。
才能ないからやっても意味ない、成功しないと思うからやらないんだったら、それはそれでどーぞどーぞ、さようなら、です。
夢を見るのも、そのためにがんばるのも、才能が必要なのかもしれません。
努力し、がんばることを楽しむのも、才能が必要なんでしょう。
挫折し、結果として夢は叶わなくても、自分の中に何かが残る、あるいは楽しかった充実した時間が残せるのも、きっと才能なんでしょう。


そこは戦場だった ~ダンケルク

いろいろ感想見ていたら、「何の説明もない」とか「意味わからない」で、「全然面白くない」という感想を散見しまして。
絶賛の声の嵐に対して、かなり両極端な感想なので、なんで?とか思っていたんですが、この映画を見終わった後にその理由がわかりました。

派手なアラフォー女性3人が、劇場でて言い合っておりました。
「なんか全然意味わかんない、ただ、砂浜に兵隊がいるだけじゃない」
「結局、どことどこが戦争してるの?」
「暗いし、誰が誰だかわからないし、かっこいい俳優いないし、何の話かわからないし」
「全然つまらない。何してるのかもわかんない、ただ飛行機飛んで、船沈んでるだけじゃない?」

思わず、「知性がネズミのクソな人たちがいる!!」と、振り返って顔見てしまいました、マジで。

説明はいっさいない映画だし、暗いし、物語というものもまったくありませんが、どこの、いつの、戦いかは、状況と台詞でわかるし、あそこに描かれているものが、そういう形でしか理解できないんだったら、あの映画見てもそりゃ面白くないと思う次第。
んで、「つまんない」って言ってる人たちは恐らく、そっち世界の人たちなので、ただ見る映画を間違っただけってことで見なかったことにする。

映画は、ダンケルクの戦いとダイナモ作戦について描いたものです。
ただ砂浜に立つ兵士が、飛んでくる飛行機の爆撃におびえ、死に、救助にきた船は爆撃と潜水艦からの魚雷で沈められています。
物語は、3つに分けて描かれています。
陸は、ダンケルクの浜に残されている兵士の中のひとり。
空は、彼らのためにダンケルクに飛んだイギリス空軍機スピットファイアのパイロットたち。
海は、ダイナモ作戦に散じたイギリス人の父と子。

必死に逃げ惑う若い兵士は、空爆に身を伏せ、やっと乗り込んだ船は魚雷で沈没、助けにきてくれた漁船に乗り込んだものの、ドイツ兵からの激しい銃撃に合います。
スピットファイアのパイロットたちは、爆撃に飛ぶメッサーシュミットと激しい空中戦を繰り広げる。
兵士を救いにドーバーを越える親子は、その空中戦の下を、幾人もの人々を救い上げながらダンケルクへと向かいます。

疲弊していく兵士たち。
命を懸けて彼らを救おうとする人々。
あっけなく死んでいく大勢の人たち。
ドイツ兵に銃撃にあう中で、「お前はイギリス人じゃないから」「お前は同じ隊じゃないから」と、どの銃撃の中に放り出そうとするへ兵士。
こんな小さな船じゃ何もできないと叫ぶ人の前で、「それでも彼らを助けにいく」と舵を取る男。
最後の最後まで、任務をまっとうして、恐らくその後命を失ったであろう人々。

ノーラン監督は、どの映画でも、どんなときにも決してあきらめない、信念を貫く人々を描いています。
この映画も、そういう映画でした。
物語はないなんて、何がなんだかわからないなんて、そんなこと言う人は蹴り倒していい。
ラスト、胸熱です。

音楽はあるんですが、音楽というよりも、もう完全に音が映画に溶け込んでしまっていて、それがものすごく緊迫感をあおります。
画面はほとんど灰色。
絶望感しかない映画でした。

個人的に、スピットファイアがものすごく好きなので、その勇士が見れたことがとてもうれしかったです。
ダンケルクの戦いの後、映画「空軍大戦略」につながる歴史的なスピットファイアとメッサーシュミットの戦いがあります。

いやぁ、もう、ノーラン監督に一生ついていくって思いました。

萌え炸裂!! ~ ハイヒールの男



映画好きな人の感想読んで、にわかに興味が出て観ました、「ハイヒールの男」韓国映画です。

いやなにこれすごい!!!
思いっきり、いろんなところに萌えを投入されるすごい映画でありました。

武器をもった大勢のやくざとかを素手で叩きのめす刑事、細マッチョで高身長、男が惚れる男、やくざすらもファンになっちゃうような男の中の男ってのが主人公です。
ところが、その主人公には、大きな秘密がありました。
彼は、トランスジェンダーだったのです。
つまり、身体は男だけど、心は女。
まだ少年の頃、同級生だった美貌の少年と相思相愛となった思い出を胸に、主人公は身体も女になることを決意して刑事を辞めます。
しかし、彼が解決した事件が思わぬ形で、その彼の決意をゆるがすことになります。

まず、すごいのは、主人公を演じている男優の、女性な演技。
いやもうこの方、超イケメンでガチ男くさい方なのですが、プライベートで素の自分になった時や、一瞬ふと見せる女の部分がものすごく色っぽい。
よくある、男優がオカマの演技しました!じゃなくて、ほんとうに女性の部分が出たってそういう演技。
んで、男という男が彼の男らしさに魅せられて惚れこんでしまうわけですが、それがつまり、彼が女である自分を捨てるために、必死で男になりきろうとしてるからだってところが、「うわああ!!」ってくらいすごい設定。
韓国はキリスト教徒がとても多い国なので、ゲイとかトランスジェンダーとか、神様的には許されないって部分があるので、そのあたりもこの映画の背景として、しっかり存在しています。

でね。
映画の中で、十代の頃の主人公と、彼と相思相愛だった美貌の少年とのやりとりが何度も何度もはいってくるんですが、これがもう、JUNEな世界なんですよ!!
ガチでJUNE。
ボーイズラブじゃないの、JUNEなの!!!
きれいさっぱりエロなしで、美しく清らか。

そして、さらに物語を盛り上げるのが、本当は女であるはずの彼が、なぜか気にかけているバーで働く女性の存在。
しかし、彼女は彼の名前も知らず、なぜ彼がそこまで自分にかかわってくるのか疑問に思いながら、ほのかな好意をもっています。
彼女がいったい何者なのかってところで、それがわかった瞬間、わたくし、「なんですとー!!!」になりました。
いきなりここで、私の大好物な”おっさんが少女のために戦う”が投入されてくるんですよ!!!

一粒で三度おいしいよ、この映画!!!

ラスト、どうなるかと思ったら、なんともせつない味わい深い終わり方でありました。
いやぁ、その後流れる歌もいい。
韓国映画、すげー。
韓流ドラマがいっさいがっさいだめなんですが、韓国映画はなんかいろいろいいのがあります。
「冬の小鳥」「コクソン」「プリースト」「アジョシ」と、もう本当によかったです。
ちょっとこれから注目していきたい。


これぞアマゾネス ~ワンダーウーマン

更新できてませんでした。
職場がかわったり、仕事が増えたりで、ばたばたしていて、ネット全然見れなかった。。。

で、見てきました、「ワンダーウーマン」。
待っていたよ。
待ち焦がれていたよ!



アメリカでは、ものすごい高評価だそうです。
なんていうかですね。
戦争描いているんですが、なんていうか、既存の表現や視点と全然違う感じがしました。
何が違うかって考えたんですが、今までの戦争映画とか、ヒーロー映画って、全部男視点、男目線なんですよね。
それが当たり前になってた。
でもこの映画、監督も女性だし、視点や目線が女性です。
いやいや、女性だからって、ナメてはいかん。
ガチで強い。
出てくる女性が、全員ガチです。
とくに前半のアマゾネスなみなさんの戦い、戦闘シーンは何十回でも見ていいレベル。
もう、ここだけでも見て。
お願いだから、見て。

ダイアナは、イギリスにもドイツにも属さないし、正義と悪という視点が我々と違います。
大局的なのですが、まぁ、神様の話だから、大局的で当然ってところなんですが、そういう視点で描かれているから、「なぜ、兵士なら死んで当然なんだ!」というダイアナの怒りに、見てるこっちがはっとします。
そうなんですよね。
死んで当たり前なんてないんだよね、本当は。

そうはいっても、物語は勧善懲悪なので、そこはきっちりヒーロー。。。っていうか、そういう話になっています。
いやぁ、見ていてうっかり泣いちゃった。
ダイアナがあまりにかっこよくて。
うわああああああああっっっ!ってなるシーンあります。
かっこよすぎて、めまいがしそう。

私はアメコミ苦手でして。
なので、アメコミを映画にしたものも、実はほとんど興味ありません。
バットマンシリーズが好きなのは、ノーラン監督が好きだからで、バットマンそのものにはまったく興味ない。
だがしかし!!!
ハーレクインちゃんとワンダーウーマンは違うぞ!!!

好きだっっっ!!!

字幕はアンゼたかしさんでした。
よっしゃ!って感じですよ!
見るべし!

どこまでも銀魂だった ~銀魂



Twitter とかで、「上映中止になる前に見に行け」とかいう声が高かった「銀魂」、見てきました。

いやぁ、隅から隅まで銀魂だったです。
誉めてます。
連載も初期までしか読んでいないし、アニメはたまにしか見ていない、かなり適当に好きな漫画って感じの存在でしたが、そういう私でも「銀魂だぁぁぁぁぁっ!!」ってなる映画でした。

初期の頃、腐った魚とか死んだ魚とか言われていた銀さんの眼が、ちゃんとそういう眼になっていたのが、個人的にヒットでした。
配役が素晴らしかったので、それぞれのキャラが、それぞれにしか見えないというか、もうその人にしか見えないのもすごい。
役者さんたちも、完全になりきっている感じだし、その人の個性とキャラがきっちりはまってるのもよかったです。
銀さんと神楽は、鼻ほじりまくってたしな(笑)

ただこれ、銀魂まったく知らない人が見たらどうなのかな?とは思いました。
まぁ、俳優のファンって人なら、見ても楽しめるかな。

上映中止になる前にって意味は、銀魂らしく、とにかくパロディ満載で、実際そのシーンで「え!!いいの!!これっっっ」とか「わーやっちゃってる!!!」とか声があがってたほどなので、見てのお楽しみ。

あと、見た人達がみんな、剛君の足が足が!!と叫んでいた意味がわかりました。
確かにあそこは、もう足しか見えない、見れない(笑)

役者さんたちの素晴らしさは言うまでもないんですが、特筆すべきは勘九郎さんで、いやもう、体当たりっていうか、「もっと選んでいいんじゃないのか?」くらいのレベルの演技しておられました→誉めてる

ってことで、上映中止になる前に、ぜひぜひ見てください。

異色の殺し屋 ~ザ・コンサルタント



コンサルタントじゃないやん!
会計士やん!! というツッコミが最初にあります。

田舎町で個人の会計事務所を開いているクリスチャン・ウルフは、高機能自閉症でもあり、数字の天才でもあり、卓越した格闘能力と狙撃能力を持つ殺し屋でもある・・・って、そんな話。
とある大企業で発覚した不正を、会計士として仕事を請け負ったところ、なぜか不正疑惑のあった人物と経理の部長が意味不明に殺害され、ウルフも命を狙われることに。
そして、最初に不正をあばいた女性までもが、命の危険にさらされます。

メインのストーリーはシンプルで、ふつーに殺し屋アクションなのですが、この映画、構成がものすごい。

メインのストーリーに、ウルフの少年時代がまず、重なります。
自閉症のよって、普通の生活を送ることが困難な彼が、軍人の父にどう育てられたのか。
母や兄弟との関係が挿入され、ウルフがどういう性格でどう育ってきたのかがわかる。

もうひとつ重なるのは、政府捜査官とその部下の女性のエピソード。
なんとこのふたり、映画の中ではウルフと一度も会いません。
裏社会でマネーロンダリングをしている謎の男を追う、その調査にあたり、その人が、クリスチャン・ウルフであることをつきとめるという展開になっていますが、このエピソードの本当の意味は、そこじゃない。
ラスト近くで、「なぜ、彼は彼女を選んだのか」という話になり、そこですべてが明かされるのですが、予想もしなかった展開に驚きました。

そしてさらに、過去を描くエピソードに出てくるウルフの弟。
現在のウルフはひとり暮らしで、父も弟もいません。
彼らはどうなったんだろう・・・と思っていたら、これも、思わぬところで登場。

これが、最後の最後で、パチっと音をたてて、ジグゾーパズルが完成するみたいな終わりで、もう、見事としかいいようがありませんでした。
よく、「伏線の回収」って言われ方されますが、私は実はこれ、好きじゃなくて、全部に説明がつくなんてことは現実ないし、つじつまあわせになってしまったら意味はないと思っています。
この映画は、そこから考えると、伏線の回収というやり方はしていません。
どれもちゃんと、一本の糸でつながっていて、ウルフという人間がその中心にいるのを、最終的にただ見せただけ・・・って感じがします。
だからラストで、「そういうことだったのか!」ってなった時に、意外性を感じるより、膝ぽん!になる。

本来は優しい性格のウルフが、彼にとってはとても難しい人とのコミュニケーションを上手く取っていこうとする姿が、この映画のもうひとつの素晴らしいところ。
誰よりも強く、頭脳明晰なでかい男が、おじいちゃん前に一生懸命話してるとか、か細い女性相手にどうしていいかわからなくてまごまごするとか、、、、

なんて、ご馳走!!! →よこしま炸裂

ベン・アフレックは、「チェイシング・エイミー」から本当に好きなのですが、この映画はタイミングがあわず、劇場で見ることができませんでした。
いやぁ、劇場で見るべきだった。
豪華俳優陣だし、物語もすごくよかったし、ありきたりな殺し屋ヒーローとかじゃない。
評判がよかったのもわかります。

いろいろ感想見ていたら、「数字の天才とか言ってるけど、会計士ならあれくらいやるのがふつーでしょ?馬鹿みたい」とか書いてる人がいて、「馬鹿はお前だぁぁぁ!!!」と襟首つかんで、あごがくがくいわせたくなりました。
大企業の10年分の決算報告書、たった一晩でひとりで読んで解析して原因究明するとか、無理だからな!!!

個人的には、ウルフのパートナーらしき、謎の電話の声の主が誰なのかってところ、正体が明かされたところで、思わず立ち上がって「そこかっ!!」って叫んでしまいました。
いやぁ、あのシーンはすごい。
自分的には、この映画でいちばん、さいこーに好きなシーンです。

いやもう、ここまで完璧な映画はそう滅多にない!!ってほどに、よく出来た素晴らしい映画でした。

すっきりと子供のアニメ ~メアリと魔女の花



こっち系のアニメは、最近はほとんど見ておりませんで。
みんなが大好き大絶賛のジブリも、ハウル以後は見てません。
個人的には、ジブリは「ラピュタ」までかなーなんて思ってます。

そのジブリ出身の米林監督の作品。
「思い出のマーニー」はテレビで見ました。
この映画、見ようと思ったのは、音楽と台詞が予告で印象に残ったから。

楽しかったです。
ふつーの子供のための映画でしたが、大人が見ても楽しめる。
いいなと思ったのは、メアリが子供らしいお馬鹿さんぶり大発揮なところ。
変に成熟したところとか、ない。
説教くさい部分もなし。
短慮で浅はか、おだてられたらいい気になっちゃって、でもあとでそれがどういうことだか気づいて慌てふためく。
うん、とっても子供だ(笑)

ジブリと比べて酷評している人も見ましたが、すでにジブリアレルギーになってる私が素直に楽しめたというところで、比べる必要を感じません。
絵とか雰囲気とか、そりゃもうジブリの空気満載ですが、あまり気にならず。
確かに、「これはジブリのあの作品にもあったような」って部分は多数感じましたが、それも別にとり沙汰するほどのことはない。

物語がとってもシンプルだったのが、とってもよかったです。
その分、細かいところがだいぶ差っぴかれてしまっていて、例えばピーターがどういう子かとか、どういう家庭の子かとか、ちゃんとした描写がいっさいなかったりしてたり、種を盗み出した魔女のいきさつ、その後がかなりアバウトな設定だったりとか、ちょっともったいないんですが、そこは尺の問題もあるので、見ていて気になるほどでもなく。
悪役な人達が個性的で、声をあてた俳優陣も上手だったので、楽しかったです。

ハリーポッターとか指輪物語とか、その他欧米のファンタジー映画って、どれも色がダークなんですが、日本のファンタジー映画なアニメはどれも色がカラフルでいいなーと、この映画見て思いました。
カラフルだし、明るいし、悲壮感がないのがとてもいい。
魔法の国って、子供視点だったら、こっちのほうが絶対いいです。

絵も演出も動きも、完全にジブリを継承している感じですが、今後、新しいプロダクションとして映画を作るにあたり、スタジオボノックとしてのオリジナルな部分をもっと出していってくれるといいなと思いました。
例えば、キャラの絵そのものとか、ジブリ継承じゃない絵やキャラを使ってみてほしいし、演出も、もっと違うテイストや色を出していってくれたらいいなと思います。
そうでないと、いつまでもジブリを引きずることのなるし。

この映画は、人が死んでません。
悪役はいるけど、極悪非道というわけじゃない。
マーニーに続いて、おばあちゃまと孫って関係がクローズアップされてて、最近そういうの流行なのかな?と思ったりもしました。

私は好きですよ、この映画。
かわいかった。

少女の豚の暖かい物語・・・じゃない!! ~ オクジャ

Netflix 製作の映画「オクジャ」が公開されました。
監督は「グエルム」や「スノーピアサー」のボンジュノ。
だから、わかってたよ!!!
少女と豚の、心温まる物語とかじゃないってことは!!! 

チリで発見されたスーパーピッグは、食べ物も糞も少なく、肉はおいしく、身体はでかい。
畜産業界に新しいウェイブを巻き起こす奇跡の豚ってことで、世界中の畜産農家に預けられ、いちばん大きく育てた農家は表彰されるという10年越しの企画。
韓国の山奥で、14歳になる少女とともに育ったオクジャが、そのトップオブスーパービッグに選ばれます。

オクジャを追いかける少女と、それに対する企業の間にはいるのは、動物保護団体。
この三つ巴の追いかけっこが、ものすごい勢いで展開する映画、心温まるどころか、かなりえげつない表現もあって、さすがボンジュノ!って映画でした。

この映画、あっちこっちに問題提起やら社会の暗部みせまくりやら、あります。
偶然見つけられたと宣伝されているスーパーピッグは、遺伝子操作によって生み出されたもの。
遺伝子操作のものは売れないってことで、嘘の宣伝がされている。
最終的にはバレちゃうんだけど、「おいしくて安ければ売れる」って片付けられていて、実際、そんな感じがありあり。

動物愛護団体は、暴力はつかわないのが前提なんだけど、そうはいってはいれらない。
自分たちの目的のために、少女の言葉をあえて違う答えで通訳するとか、そういう齟齬も生じる。
彼らの目的は崇高だけど、じゃあ食べ物食べないの?とか、誰も犠牲にはしていないの?というところで、ズレが生じている。

少女ミジャは、オクジャを助けたい。
なぜから、オクジャは彼女と共に育った友達で家族だから。
じゃあ、同じスーパーピッグたちの存在は、そうじゃないから関係ないの?
オクジャさえたすかれば、自分さえよければいいの?

・・・ってなことが、がんがん描写されていて、「あーもー!!」ってなりました。

恐ろしいのは、オクジャをはじめとするスーパーピッグが、大変知性が高いという描写があるところ。
それを前提にこの映画見ると、かなり恐ろしいです。
無理やり連れ去られたオクジャ、無理やり交配させられて(つまり衆人環視の中、強姦)、無理やり生きたまま肉を削り取られていて、さらに「肉にされる」とわかっていて、機械で身動きできないようにされて殺されていく。
当然、他のスーパーピッグたちも同じで、ラスト、恐らく人間に近いレベルで知性がある彼らの行動が、収容所で虐殺されていく人間に見えてくるシーンに、一瞬ぞっとしました。

ボンジュノは、主人公を巡る人間のいびつさ、狂気みたいなものを描くのも特徴で、今回もそのあたり、がっつり描かれています。
「スノーピアサー」でも怪演だったティルダ・スウィントンが、これまたすごい演技してます。

最後に、オクジャがミジャに何かを囁いているんですが、何を伝えたのかわかりません。
ただ、ミジャとオクジャ、明らかに何がしかの言語によって意思の疎通をはかっているのはわかる。
スーパーピッグという存在が定着しているであろう数年後のラスト、あの世界はどうなっているんだろうかと、幸せそうな描写とは別に、なんとなく怖いものを残したラストでした。

んで、本編とは別に。

いつもはスマホかPCで見ているNetflixですが、「オクジャ」は大きな画面で見たいとPS4で見ようとしたのですが、うまくいかず。
サポートに電話して、アプリインストールが必要だとわかりました。
男性のスタッフでしたが、丁寧にサポートしていただき、インストール最中に「オクジャ、大きな画面でどうしても見たくて」と言ったら、「そうだったんですか!オクジャ、僕も見ました。とてもよかったですよ!」と、とってもうれしそうに言っておられまして。
なんか、見る前から、とってもうれしい気持ちになりました。



殺さない戦場 ~ハクソーリッジ



メル・ギブソンが監督の映画なので、そりゃもう覚悟してみたわけですが、予想を遥かに越えた凄まじい戦争シーンでありました。
いやもうすごいです。
人が吹っ飛びまくる、撃ちぬかれ、生きたまま焼かれ、手足や内臓が飛び散る。
地べたは死体が山のようになって転がり、そこをねずみがはいまわる。
銃や火炎放射器、爆撃、手榴弾などを使ってはいますが、恐ろしいほどの接近戦で、敵味方、お互いの顔が見てとれるような近さ。
そこで行われる戦いの凄惨さは、言葉で語るのは難しい。
そこを離れた兵士たちが、言葉も表情も失ってガクガク震えているだけになるのが理解できます。

「ハクソーリッジ」は、そのような凄惨な戦いとなった沖縄戦で、武器を持たずに47人の兵士を救ったデズモント・ドスを描いた映画です。

前半、ドスのそれまでの人生が描かれます。
人間には、衝動的な殺意が生まれることがあります。
それを実体験として持つドスは、武器を持つことを自分に禁じます。
けれど、それは志願した軍隊で認められることではありません。

武器を持たない。
戦争でそれは、すなわち、軍人として、兵士としての義務や責任を果たすことがないということになります。
当然、ドスはそれをつきつけられる。
彼のそうした倫理感は、同じ隊にいる仲間たちに混乱を招きます。
武器を持たず、戦わないものを兵士、軍人といえるのか?
そういう人間が同じ隊にいることは許されるのか?
除隊を薦める上官たち、暴力と嫌がらせで除隊するように仕向ける隊のメンバーや軍曹を前に、ドスの意志はかわりません。

それを見ていた私もやはり、「戦争へ行くのに武器をもたないとはいかに?」という気持ちでした。
人を殺さない。
それは立派で素晴らしい考えだし、人間として何よりも大事なことです。
けれど、それが戦争となった時、大佐が彼に言ったように、「殺すのが戦争で、武器を持たずに大事なものが守れるのか?」ということになる。
土曜日は安息日だから休むというドスに、大佐は「だったら、日本軍にもそう頼むがいいな」と皮肉を言いますが、世の中とはまさにそうだし、個人的な考えがいかに素晴らしくても、それが通るようなことはありません。
戦争は、殺さなければ、殺される。

それが、戦争が始まってからの後半。
私は、大佐、軍曹、そして隊のみんなと同じ場所で、愕然とすることになりました。
ドスは、すさまじい戦闘の中、次々と負傷した兵士、瀕死の兵士を助けていきます。
応急処置をし、励まし、引きずり、かつぎ、背負い、砲弾砲撃とびまくる中、自分の命顧みず、駆け回る。
味方が撤退した後もひとり残り、山のように残された死体の中で、まだ息がある兵士たちを探して駆けずり回ります。
「神よ、もうひとり、私に救わせてください」と言いながら、疲弊し、自身も血まみれになった身体で駆け回る。

沖縄戦は、激戦でした。
穴倉を利用した戦い方をした日本兵をあぶりだすために、米軍が火炎放射器を使用したのも事実で、恐ろしいほどの勇猛さで応戦した日本兵に、米兵が恐れをなしたという史実もいづこかで読んだことがあります。
沖縄戦については、知識としてありましたが、戦争シーンが始まった瞬間、「近っっっ!!!」と驚愕しました。
銃つかうとか、砲撃使うとかいう距離じゃない。
しかも、そこは、砲弾でぼこぼこになった大地に、死体が山積みになって、そこを兵士たちは乗り越えていくのです。
数多ある戦争映画の多く見てきた私ですが、今回ほど、動揺したのは初めてでした。

重傷を負い、その戦場に残された兵士は、放置されたまま、死を待つしかありません。
どんなに覚悟を決めていたとしても、それはとてつもなく恐ろしいことです。
ドスは、そういう兵士たちを助けた。
戦争映画みて泣いたことなかったのですが、今回、タオル抱えて号泣しました。

デズモンド・ドスはすでに故人ですが、映画の最後に本人の映像が流れます。
彼はこの後、レイテでも多くの兵士を救い、彼が救った中には、日本兵もいたそうです。

戦闘シーンは、CGを使っていないとのこと。
両足を吹き飛ばされた兵士がでてきますが、演じた人は元軍人で、実際に戦争で両足をなくした方だそうです。

もし、ドスが、戦場にでて、あっという間に死んでいたら、この実話はなかったわけで。
ハクソーリッジでもレイテでも生き残り、多くの人を救ったという彼が、あの戦闘の中で死ぬことがなかったのは、やはり神の加護があったからなのか?と、終わった後、思いました。

兵舎でドスといっしょだった人達のほとんど、次々とハクソーリッジで死んでいきます。
あの中で、誰が終戦を迎えられたのだろうかと、そこもとても気にかかりました。

少年の心の闇 ~怪物はささやく



原作は児童文学。
現代は、「Monster Calls」です。
それを「怪物はささやく」と訳したのは、すごい。

重病の母親とふたりで暮らす少年コナーは、学校ではいじめにあい、母親の入院のために、気の会わない祖母の家で暮らすことになります。
母親の前ではつとめて明るく、真面目なコナーは、祖母には反抗的で、学校でも真面目に授業を受けていません。
そんなコナーが夜、部屋で絵を描いていると、家から見える老木が突然、木の巨人に姿をかえ、コナーに「3つの話をする。その後、お前自身の物語を語れ」と言ってきます。

ファンタジー映画なのかと思っていたら、確かにそういう部分もありますが、ファンタジーという感じでもなく。
根暗でひねくれたコナーに、哀れと想う気持ちはあっても、共感も共鳴もすることなく、淡々と進む物語に、「こんなもんか」になってそのまま終わっていくのかと思いきや。

ラスト、恐らく満席の館内全員、「え!!!」ってなったはず。
実際、隣の席の女性は、一瞬前のめりになったし、前の席の男性は明らかに驚いた様子をしました。
そして、その瞬間、全員号泣。
隣の席の女性は、声だして泣いてました。
終わった後、拍手がでました。

母親は死にかけている、離婚してすでに別の家庭をもっている父親は、コナーを引き取る気はない、厳しい祖母はコナーに冷たい、クラスメイトはコナーを殴り、蹴り、いじめまくる。
コナーは孤独で、孤立している。
とてもかわいそうな子供なんです。
なんですが、何かが見ている我々に、そう思わせない。

そんなコナーに、木の巨人が意味深長な物語を聞かせます。
見ている我々にも、それが何を意味するのかはわかりません。
しかし、物語が進むにつれて、少しづつ、物語の視点がかわっていきます。
それでわかってくるのは、すべてはコナー自身、自らが作っている問題なのでは?ということ。

そしてそのラストで、すべてが一変します。
みんな、コナーを大事に想っていて、愛しているということ。
それが、すれ違い、いき違っていたことがわかります。
それこそが、木の巨人がコナーに求めた、コナーの物語なのでした。

ラストは、こうやって書いていて、それで思い出しても、涙がでてきちゃうってなレベルです。
いやぁ、あれは、本当にやられました。

情に訴えることもなく、むやみにかわいそうな子供っぷりを描く映画でもありません。
そして、そのラストに意味されるものが何かという説明もありません。
それは、見た我々それぞれが、自分の中で考えることなのでしょう。

あの時のあの人たちへ ~20センチュリーウーマン



1979年 アメリカのサンタバーバラで、設計会社で製図を引く仕事をしながら息子を育てているシングルマザー、15歳のその息子と、彼らの家に下宿している男女、そして息子の年上の幼馴染の関係を描いた映画です。

物語らしいあらすじもとくにないし、驚くような展開もなし。
思春期で難しい時期にはいった息子とどう接するか、考えた母親が、下宿している人達や幼馴染の女の子に、「彼の面倒をみてやって、相談にのってやって」と依頼する。
ただ、それだけの話です。

普通に生きている我々には、映画にようあるような怒涛の冒険や危機、運命の出会いや燃え上がる恋なんてのは、そうあったもんじゃありません。
日々は淡々と過ぎ、それなりに悩みや喜びがある。
そして、いろいろな人との関わりがあるわけで。
この映画は、そういうものを描いています。

大好きな幼馴染に、「あんたは私に近すぎて、セックスとか出来ない」と言われて、意味わかんねーよ!になる15歳、当時台頭していた過激なフェミニズムに賛同する下宿人の女性との会話に、「僕は学んでるんだ!」とか思っちゃったり、本当は真面目なんだけど、時には破目はずして馬鹿やっちゃうとか、「ああ、ほんと、ガキっちょ(笑)」ってなりますが、でもあれは、見てる我々の15歳の頃と重なってくる。

お母さん役のアネット・ベニングが本当に素晴らしくて、息子が「離婚してその後ずっとひとりで、寂しくないの?」とか言いつつ、大変失礼(本人はもちろんそうは思っていない)ことをしてきたシーンで、怒りと悔しさ、悲しみ、そしてもっともっと複雑な想いを、ほとんど表情すら変えずに見せた演技は、もうスタンディングオベーションでした。

ある時、ともに過ごした人達がいて、今はもう、どこにいるか、何をしているかわからなくなってしまってるけれど、ふと、その時のことを思い出すと、色鮮やかに彼らの笑顔や優しさが蘇ってきて暖かい気持ちになる。
そういうものを描いた映画でした。

そういう映画、大好き。

とってもすてきな映画でした。

クリスとレオン、夢のコラボ ~バイオハザードヴェンデッタ



公開2日目で見てきました。
1週目の特別限定配布、クリスのクリアファイルももらえました。

バイオハザードCG映画3作目。
1作目はレオンとクレア、2作目はレオンとエイダ、そして3作目はクリスとレオン、そしてレベッカ。
すっかり別の世界になってるハリウッド版に対し、日本製作のCG映画のこちらは、物語そのものはスピンオフ的な内容ですが、あくまでもゲーム世界にそった正道をいっています。

バイオハザードシリーズのCG映画は、正直、文句がないくらいの出来だと思います。
今作も、文句なし。
CGの進化もすさまじく、クリスやレオンたちの微妙な表情まで表現されていて、今後がさらに楽しみになりました。
ゲームの方は、7で既存のキャラを使わないという原点回帰を見せている傍ら、映画の方はスピンオフの世界を上手く作り、映画として面白い作品を見せてくれています。

1作目、都内上映が1館だけだったのが、2作目でいきなり上映館が増えましたが、3作目になり、また上映する映画館の数が減りました。
とはいえ、初日2日目と、どこも満席に近い状況らしく。

終わった後、高校生くらいの男子たち、ひとりバイオ4をプレイしたらしい男子が他のふたりに物語を語っていて、みんなで「レオン、かっけー」とため息ついていました。
思わずその肩を叩き、「ゲーム、しろ」といいたかった(笑)

バイオハザードシリーズ、1からずっと追い続けて今、やっぱり自分はこのゲームを愛しているのだなぁとしみじみ思いました。
映画は本当に、大変面白いのでお勧めです。

すべては種族を超えて ~メッセージ

あっちこっちで絶賛の声が聞こえてきていましたが、逆に、賛否両論あるというのも聞いていました。
実際見て、万人にはまったくお勧めしない映画と実感しましたが、だからといって、つまらないとか面白くない映画というわけではありません。
久しぶりのSF、これ以上ないってくらいのまったきSF映画です。

SF映画っていうと、「トランスフォーマー」とか「アルマゲドン」、今人気の「ガーディアンオブギャラクシー」とかを指すと考える人も大勢いると思いますが、もしSFと聞いてそっちを真っ先に思い出す人には、この映画はまったく向きません。
「ソラリス」や「デューン砂の惑星」と聞いて、「あ、そっちか」と思った人なら、たぶんこの映画を見ても不満を持つことはないと思います。

ある日突然、世界各地の12箇所に飛来した謎の飛行物体は、そのままそこに停留します。
それぞれの国が、それぞれのやり方で、彼らとコンタクトを取ろうとし、地球に降り立った理由を解明しようとします。
アメリカでは、言語学者と数学者が召還され、軍の指揮のもと、飛行物体内部で異星人たちとの意志の疎通をはかろうとします。
言語学者のルイーズは、彼らにも文字があることを発見し、その解析、解明にあたることで、彼らと”対話”をすることに成功します。

はっきりいって、これ以上ないってくらい地味な映画です。
でも、描いている内容は、とてつもなく深い意味があります。

私たち人類は、同じ地球人であっても、国が違えば、文化も慣習も言語も違ってきます。
同じ国でも、違う言語がある国はたくさんあるし、宗教や人種の違いもある。
それによって、多くの争いや差別、区別、無理解が生じています。
この映画では、それを超えて、”違う星の生命体」”を相手に、どこまでコミュニケーション取れるか、理解しあえるかということがテーマになっています。
発声機能や音に対する感覚機能の違いから、口による言葉での”会話”は、彼らとは成立しません。
主人公のバンクスは、”文字”によってコミュニケーションを可能にします。
バンクスは最初、自分たちの名前を明示し、次に、基本的な行動(歩く、食べるなど)の単語を伝えます。
そんなことがいったい何の意味になるんだ?という軍の指揮者に対し、バンクスは「何のためにそれを行うのかという事を確認するためには、基本的な行動に対する単語が必要になる」というようなことを言います。
これは、個人的にはかなり衝撃的な発想でした。
映画の中に出てきますが、中国は対話を、マージャンのパイで可能にしたことがわかります。
そこでバンクスが指摘します。
「マージャンは、対戦するためのものなので、言語のベースが”戦い”になっている」
つまり、マージャンのパイで対話すると、戦うための対話にならざるをえない・・・ということになる。

もうひとつは、コミュニケーションの部分。
得たいの知れない物体や異星人に対して、それを侵略とみなし、攻撃をしかけようとする人々がたくさんいます。
その根底には恐怖があり、我々地球人は長い歴史の中で、いきなり現れた異国の人々がいかにその国を侵略したか、よく知っているという事実があります。
そして、我々はそれが”当たり前”と考え、そうなることが必然と思い込んでいる。
それによってバンクスたちは、同じ国、同じ言葉、同じ人種で、さらに同じ目的のために仕事につく人々によって、命をおとしかけます。
それを命を賭けて救うのは、違う星、違う言語、違う文化、違う生命体でした。

この映画には、物語としての起承転結はありません。
突然やってきた彼らが地球人に伝えたかったことは、映画が終わった後、地球人に大きな課題として残され、そのためには、地球に住むすべての人々が協力しあわなければなりません。
そして地球を、やってきた異星人たちを救うのは、時間を越えた大事な記憶です。

この映画が描くのは、コミュニケーションというものには、言語、文化、習慣、国籍、人種、宗教、さらには種の違いすら関係ないということ、そして、願いや想いは時空を超え、一瞬は永遠であるということです。

久しぶりに、SFらしいSF映画を見たという充実した想いが残る映画でした。
最後の最後まで、美しい映画でした。

木村拓哉という人について 

Twitterで「無限の住人」について、熱い感想を書きまくったら、ものすごい数のRTがありまして、なんと今も続いています。
ほんと、怖いくらいの大量のRT。
そしてそれ全員、キムタクファンな人達でした。

まぁ、私も嵐のファンなのではありますが、かなりゆる~いファンだし、もともとアニメでもなんでも、ガチではまって絶賛するような感じはまったくないので、実は熱狂的支持層であるそちらの向きのファンのみなさま、ちょっと怖いと思っておりました。
なんていうか、絶賛以外は許さないよ!受け付けないよ!!叩くよ!!!ってなっちゃうんだろうなって思ってた。
キムタクについても、実はそっちの層なファンが多いと思っていたし、そういう人達は、彼にはイケメンヒーロー的役割以外は許さないし、かれを絶賛礼賛する以外は欠片も許さん!っていう状態なのだと思ってました。

いやいやいやいや、全然違ってた。

私はイケメンには興味ないし、面白くない映画は面白くないってはっきり言う。
時代劇やちゃんばらは、かなり熱の高い長年のファンといえるし、映画についても、アイドルやイケメン出てる邦画しか見てない層と比べたら、ガチな映画ファンといえると思ってます。
そんな私が、「無限の住人」さいこーに面白かった!とがんがんつぶやいていたら、キムタクファンから「ありがとう!!」って言われることになってびっくり。

んで、その人達の意見見たり、やりとりしたことでわかったこと。

むやみやたらに絶賛されてると思ってたキムタク、ファンの人から見ると、「不当に評価が低かった」んだそうです。
知らんかった。
でも、そういえば、「何を演じてもキムタクはキムタクでしかない」とか言われたっけか。
さらに、つねにネガキャンがついてまわる人なんだそうで。
これについては、つねにそうかは知らないけれど、「無限の住人」に関しては、酷評もけっこうあるし、興行成績悪いとか言われてたりするので、「え?劇場満席とかだったけど?」ってなってたりしたので、あながちファンの欲目フィルターのせいともいえないのではなかろうかということは感じました。

RTやいいね!してくれている人達、「普段木村拓哉にまったく興味のない、映画ファンや原作ファンの人達が、絶賛してくれているのがとてもうれしい」のだそうです。
(ファンの人達は、彼のことをキムタクとは言わないんだそうで。知らんかった)

さらに私と友人のTwitterのやりとり。
「キムタクには、もっと汚らしい役とかやってほしい。呑んだ暮れのおっさんとか」
「作業着で、道にころがってたりとか」
「嫁に逃げられたやもめのおっさんで、『何これ、ないわー』とか言ってほしい」
・・・とか、言いたい放題していたら、キムタクファンな方々が、「私たちもそういう木村を見たいんです!」と言い出し、びっくり。

え!! イケメンじゃなくていいの?
・・・と思ったら、
「ファンはむしろ、そういう木村を見たんですよ!」と。。。

RTしてくださったファンのみなさんのTwitterもいろいろ見せていただいたんですが、SMAP解散にはいろいろ意見もあるようだし、解散のきっかけにもなったマネージャーの存在にも賛否両論でいろいろあるんだなと思いました。
たまたまですが、私は友人で彼らとずっと仕事をしてきていた人がいていろいろ聞いていたし、彼らのファンというわけではないので、むしろ「ずっと働きとおしだったわけだし、ここで少し休んで、またあらたな気持ちで再出発するのもいいんじゃなかろうか」という気持ちで見ていました。
SMAPという枠がはずれたことで、逆にポジティブな部分もあるんじゃないかっていうふうに思っていたわけですが。

考えたらSMAPのみなさん、40代とかなんですよね。
キムタクは44歳。
彼のドラマ、「ロングバケーション」ちらっと見たことあった?程度にしか知らず、他はまったく見ていないし、映画はまったく見てません。
私の中で、ただかっこいいだけのイケメンタレントって固定観念にはまってたキムタクが、「無限の住人」と率直に意見述べてくれたファンの方たちによって、44歳の渋いおっさん俳優って別のカテゴリーに移行しました。
いやー、キムタクの魅力ってのに、ちょっと開眼したよ!

正直、それまでは、ファンの熱狂的な支持ってやつ、苦手でした。
キムタクに限らず、その人がやってるんだからさいこーに決まってる!!!なんでも絶賛!みたいなのは、アニメでもあるし、ほかでもありますが、どれもこれも苦手。
好きな俳優がでてようが、好きな監督がつくっていようが、だめなものはだめだし、好きじゃないものは好きじゃない。
そういう視点がない世界には、出来るだけ関わらないようにしていたし、ジャニーズ関係はとくにそういう層が絶大だと思ってました。
ごめんなさい、全然違ったよ。

今後は、ひとりの俳優としての木村拓哉に注目したいと思います。
無精ひげはやして作業着の酒好きなおっさんとかやってほしい。
そのおっさんがたまたま拾ったものが、実は世界を救う鍵だったりなんかして、全世界がそれを探している中、場末の飲み屋で「これさー、この間なんかひろっちゃってさー」とかみんなに見せてて、「え???????何、そんな大事なもんなの?」「や、これ、ごみのところに落ちてたんだよ?」みたいなおっさん、やってほしいです(笑)

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