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アニメとGAMEとマンガな日々
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夏コミ

コミケカタログが発売になりました。
一般書店でも買えるようになった今日この頃・・・すごいねぇ。

最近はアニメチェックもしていないし、同人につながるようなゲームもしていないし、二次萌えもないので、同人購入数も激減してはいますが、コミケは皆勤賞です。
二次萌えがないから、3日目男幕の日が自分のメインになってる >評論と創作買うから

今回、冬コミでちらりと来場していた叶姉妹がサークル参加、さらに「けものフレンズ」のたつき監督もサークル参加な初日、そこへもってきて艦これととうらぶで、たぶんすさまじい人になると思われ。

実は私、叶恭子様の大ファンです。
恭子様が出された、中学生とかの女の子向けの人生訓みたいな本、友達のよっしーといっしょに買って、座右の書にしてる。
冬コミにいらした時、残念ながら私は東7ホールで売り子していたのですが、たまたまジョジョ買ってて、近くで遭遇したという人が隣のサークルさんに来て、思わず「どうでした?」と聞いたら、「なんか、フラッシュ!って感じで輝いてました」と言われ・・・

初日、恭子様にお会いすべく、ぜひともサークルに並びたいと思っていますが、3000部しか出さないそうなので(普通で考えたら、搬入数としてはすごい量だけど)、あっという間に完売になっちゃいそう。
もう、東7ホールはいって、恭子様と同じ空気吸うだけでもいいかも・・・とか、「アタマオカシイ」方向にいきかけてます。
でも、お会いしたいんだもんっっっ!!!
インスタもフォローしてるよ!!!

萌えジャンルがないのもありますが、好きだったサークルがもうほとんどなくなり、好きだった作家さんも、もうほとんどいません。
若干残っておられる人も、ほぼとうらぶに移られたようで。
私は、好きな作家さんの本だから買うよ!ってのが多かったんですが、さすがにもう、まったく知らないとうらぶの本は読んでもわからないし、そもそも、大混雑必至なあそこへ足を踏み入れる勇気はなし。
毎回コミケやらシティやらに出ていた作家さんたち、今はどうしているのかなぁ・・・。

今年の夏コミは、すごしやすい状況だといいですね。
年々暑さ増していて、外周やら外待機列やら、本当に気をつけないとなりません。

あと、最近周辺で、「一度はコミケいってみたいんですよねー」って人たちがやたらと現れているのですが、とりあえず彼らには言っております。

「死ぬで?」




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Destiny2 β版 プレイ

β版が配信されたので、シージ友な人達と3人でプレイしてみました。

敵は異星人なロボットみたいなので、ジャンプしながらシューティングするFPS。
とりあえず、AIの敵を倒すステージを3人でやりました。

久しぶりに、リスボーンするゲームなので、デスることへのこだわりはなくなります。
ジャンプは、CoDよりも遅く、もっさりしている感じ。
私、あっちこっちで穴とか崖からおっこちました(笑)

ラスボス戦がやたらと面倒くさく(難しいのではない)、3人で死にまくり。
一番根気のない私がまっさきに音をあげたのですが、いつも途中であきらめないYSさんが、「今ここでやめたら、悔しいじゃん」と言ったおかげで、我々、最後までやり遂げることができました。
終わった後Mさんが、「いやぁ、あそこでYSさんがやめるのに賛同したら、俺もそっこー終わってたわ」と笑っておりました(笑)
最後の方は、戦い方のコツがわかったので、連携とりながらやって勝ちました。

面白いゲームでしたが、購入してのプレイはないかな。
CoDの時の人がずーっとプレイしていて、彼がはまる理由もなんとなくわかる感じではありますが、私にはそこまでの引きはなく。



これやった後シージいったら、カメラの動きに酔いそうになるわ、エイムはぐだぐだになるわで、シージがどんだけシビアなゲームかわかった感じ。

そして、また、ふたりばかり、ナンパに成功してフレンドが増えました。
こちら3人でやってて、1回、私がフレンドリーファイヤーしてしまった人と、私がフレンドリーファイヤーされた人がパーティで、それぞれの対応がとてもよくていい人な感じだったので、声かけてフレンドになりました。

私がナンパしてフレンドになった人達は、フレンド内で”ナンパーず”と呼ばれていて、「この間、ナンパーずなパーティでしたよ」とか言ってたりします。
YSさんが、「矢野さんは引きがいい」と言っていましたが、私がナンパした人達は総じてきちんとした人ばかりで、タイプが似てると言われましたが、実際そんな感じ。
YSさん、「人柄って、プレイにでるもんね」と言ってましたが、そう思います。

シージ、映画化らしいですね。
デッドプールの主演の人が出るそうです。

どこまでも銀魂だった ~銀魂



Twitter とかで、「上映中止になる前に見に行け」とかいう声が高かった「銀魂」、見てきました。

いやぁ、隅から隅まで銀魂だったです。
誉めてます。
連載も初期までしか読んでいないし、アニメはたまにしか見ていない、かなり適当に好きな漫画って感じの存在でしたが、そういう私でも「銀魂だぁぁぁぁぁっ!!」ってなる映画でした。

初期の頃、腐った魚とか死んだ魚とか言われていた銀さんの眼が、ちゃんとそういう眼になっていたのが、個人的にヒットでした。
配役が素晴らしかったので、それぞれのキャラが、それぞれにしか見えないというか、もうその人にしか見えないのもすごい。
役者さんたちも、完全になりきっている感じだし、その人の個性とキャラがきっちりはまってるのもよかったです。
銀さんと神楽は、鼻ほじりまくってたしな(笑)

ただこれ、銀魂まったく知らない人が見たらどうなのかな?とは思いました。
まぁ、俳優のファンって人なら、見ても楽しめるかな。

上映中止になる前にって意味は、銀魂らしく、とにかくパロディ満載で、実際そのシーンで「え!!いいの!!これっっっ」とか「わーやっちゃってる!!!」とか声があがってたほどなので、見てのお楽しみ。

あと、見た人達がみんな、剛君の足が足が!!と叫んでいた意味がわかりました。
確かにあそこは、もう足しか見えない、見れない(笑)

役者さんたちの素晴らしさは言うまでもないんですが、特筆すべきは勘九郎さんで、いやもう、体当たりっていうか、「もっと選んでいいんじゃないのか?」くらいのレベルの演技しておられました→誉めてる

ってことで、上映中止になる前に、ぜひぜひ見てください。

異色の殺し屋 ~ザ・コンサルタント



コンサルタントじゃないやん!
会計士やん!! というツッコミが最初にあります。

田舎町で個人の会計事務所を開いているクリスチャン・ウルフは、高機能自閉症でもあり、数字の天才でもあり、卓越した格闘能力と狙撃能力を持つ殺し屋でもある・・・って、そんな話。
とある大企業で発覚した不正を、会計士として仕事を請け負ったところ、なぜか不正疑惑のあった人物と経理の部長が意味不明に殺害され、ウルフも命を狙われることに。
そして、最初に不正をあばいた女性までもが、命の危険にさらされます。

メインのストーリーはシンプルで、ふつーに殺し屋アクションなのですが、この映画、構成がものすごい。

メインのストーリーに、ウルフの少年時代がまず、重なります。
自閉症のよって、普通の生活を送ることが困難な彼が、軍人の父にどう育てられたのか。
母や兄弟との関係が挿入され、ウルフがどういう性格でどう育ってきたのかがわかる。

もうひとつ重なるのは、政府捜査官とその部下の女性のエピソード。
なんとこのふたり、映画の中ではウルフと一度も会いません。
裏社会でマネーロンダリングをしている謎の男を追う、その調査にあたり、その人が、クリスチャン・ウルフであることをつきとめるという展開になっていますが、このエピソードの本当の意味は、そこじゃない。
ラスト近くで、「なぜ、彼は彼女を選んだのか」という話になり、そこですべてが明かされるのですが、予想もしなかった展開に驚きました。

そしてさらに、過去を描くエピソードに出てくるウルフの弟。
現在のウルフはひとり暮らしで、父も弟もいません。
彼らはどうなったんだろう・・・と思っていたら、これも、思わぬところで登場。

これが、最後の最後で、パチっと音をたてて、ジグゾーパズルが完成するみたいな終わりで、もう、見事としかいいようがありませんでした。
よく、「伏線の回収」って言われ方されますが、私は実はこれ、好きじゃなくて、全部に説明がつくなんてことは現実ないし、つじつまあわせになってしまったら意味はないと思っています。
この映画は、そこから考えると、伏線の回収というやり方はしていません。
どれもちゃんと、一本の糸でつながっていて、ウルフという人間がその中心にいるのを、最終的にただ見せただけ・・・って感じがします。
だからラストで、「そういうことだったのか!」ってなった時に、意外性を感じるより、膝ぽん!になる。

本来は優しい性格のウルフが、彼にとってはとても難しい人とのコミュニケーションを上手く取っていこうとする姿が、この映画のもうひとつの素晴らしいところ。
誰よりも強く、頭脳明晰なでかい男が、おじいちゃん前に一生懸命話してるとか、か細い女性相手にどうしていいかわからなくてまごまごするとか、、、、

なんて、ご馳走!!! →よこしま炸裂

ベン・アフレックは、「チェイシング・エイミー」から本当に好きなのですが、この映画はタイミングがあわず、劇場で見ることができませんでした。
いやぁ、劇場で見るべきだった。
豪華俳優陣だし、物語もすごくよかったし、ありきたりな殺し屋ヒーローとかじゃない。
評判がよかったのもわかります。

いろいろ感想見ていたら、「数字の天才とか言ってるけど、会計士ならあれくらいやるのがふつーでしょ?馬鹿みたい」とか書いてる人がいて、「馬鹿はお前だぁぁぁ!!!」と襟首つかんで、あごがくがくいわせたくなりました。
大企業の10年分の決算報告書、たった一晩でひとりで読んで解析して原因究明するとか、無理だからな!!!

個人的には、ウルフのパートナーらしき、謎の電話の声の主が誰なのかってところ、正体が明かされたところで、思わず立ち上がって「そこかっ!!」って叫んでしまいました。
いやぁ、あのシーンはすごい。
自分的には、この映画でいちばん、さいこーに好きなシーンです。

いやもう、ここまで完璧な映画はそう滅多にない!!ってほどに、よく出来た素晴らしい映画でした。

シックスシージ プレイ状況

最近ちょっと忙しくて、週に2、3回くらいしかプレイできなくなってるんですが、シージやってます。
キルもできるようになってきて、戦績もあがってきました。

いっしょにプレイするシージ友も、構成がだいぶかわってきました。
Aさんはゲームにまったくインしなくなり、MさんとJNさんは、週に1回くらいのイン率になってます。
Kさんは別のチームでプレイすることも多いので、たまにいっしょにやるくらい。
結果、現在よくいっしょにやるのは、なんと、私がナンパしてフレンドになった人達(笑)
Tさん、Jさん、そして大学生のD君。

別のフレンドから紹介されて、シージ初期でフレンドになったYSさんが、なぜかD君と本当に相性がよかったらしく、いっしょにジェイソン(13日の金曜日)もプレイしていて、ふたりはほぼ毎日いっしょにゲームしてるらしい。
Jさんのところは、少し前に赤ちゃんが生まれたのですが、奥さんは夫である彼にゲームをやめろという人じゃないので、赤ちゃんの面倒みる合間あいまに、ゲームしています。

相性ってやっぱりあるなーと、シージやっててしみじみ思いました。
CoDの時、考え方が同じ人とやるのがいいって意見があってその通りだなと思っていましたが、性格的なものもかなり大事と最近感じています。

今やってる人達は基本、エンジョイ勢です。
つまり、「ゲームは楽しくやってなんぼ!」って人達。
もちろん、勝つためにやってるし、それぞれかなり強い人達ではあります。
プレイスタイルとしてはかなりガチなんですが、マインドがゆるい。
かなりゆるい(笑)
げらげら笑いながらやってます。

自然とあまりプレイしなくなったのは、いわゆるガチ勢の人達。
もちろん、彼らも楽しくプレイしますが、けっこうお互いに軽い言い合いになったり、飛ばす冗談が笑えなかったり、戦績が悪かったり負け続きだと不機嫌露わになったりします。
連携は、彼らはかなりがっちりでやりますが、見ていると、攻め方も守り方も定型が出来上がってしまっていて、敵がそれを読んでいたり、彼らよりも上手のプレイヤーだったりすると、あからさま無残な結果になる。
あと、個人的には一番気になるのが、彼らの多くが、「強い奴らとやりたくないんだよ、もっとゆるい奴らとやって楽に勝ちたい」ということです。

不思議なんですが、エンジョイ勢はそこが違ってて、ものすごく強い相手とかだと、大喜びします。
「ひゃー、こいつらつぇー!!」
「面倒な奴らだな!!一発、返り討ちにしないうちは、やめらんねぇ!!」
「マジか!くっそ!やられた!うめー!!」
一度、相手がフルパでやたらと強いとき、「こうなったら、最終奥義を出すしかない!」とJさんが言い出し、「よっしゃ!」と他3人。
「え?何それ?」とわからないのは私だけ。
そしたら4人全員、新兵選んで、盾装備にしやがりました(笑)
わからずにいた私だけ、オペレーター使ってましたが、他4人はがちゃがちゃしながら攻撃。
盾マスターなYSさんが、なんとか1キルしましたが、あっという間に全滅しました。
でも、みんな大喜び。
「強い奴らだからこそ、初心にかえって新兵盾!!」

最近フレンドさんたちから、配信やったらいいいと薦められます。
私、かなり面白いらしい・・・ >不本意
有名な女性配信者もいますが、みんな、声とかしゃべりがかわいらしかったり、それこそ猛者レベルでうまかったりする人達で、それぞれキャッチーな何かを持ってる。
それを言ったら、みんながいっせいに。。。

「大丈夫! あなた、持ってるから! ばっちり持ってるから!!」

何をだよっっっ!!!

配信の予定はまったくありませんが、フレンドさんの配信に、うっかり声が出てしまったことはあります。
配信してるとわかった瞬間、無言になって、それっきりしゃべらなくなったわたくし(笑)

これから出るモンハン購入するという人もいるので、みんなとプレイできるのもいつまでかなーって感じです。

すっきりと子供のアニメ ~メアリと魔女の花



こっち系のアニメは、最近はほとんど見ておりませんで。
みんなが大好き大絶賛のジブリも、ハウル以後は見てません。
個人的には、ジブリは「ラピュタ」までかなーなんて思ってます。

そのジブリ出身の米林監督の作品。
「思い出のマーニー」はテレビで見ました。
この映画、見ようと思ったのは、音楽と台詞が予告で印象に残ったから。

楽しかったです。
ふつーの子供のための映画でしたが、大人が見ても楽しめる。
いいなと思ったのは、メアリが子供らしいお馬鹿さんぶり大発揮なところ。
変に成熟したところとか、ない。
説教くさい部分もなし。
短慮で浅はか、おだてられたらいい気になっちゃって、でもあとでそれがどういうことだか気づいて慌てふためく。
うん、とっても子供だ(笑)

ジブリと比べて酷評している人も見ましたが、すでにジブリアレルギーになってる私が素直に楽しめたというところで、比べる必要を感じません。
絵とか雰囲気とか、そりゃもうジブリの空気満載ですが、あまり気にならず。
確かに、「これはジブリのあの作品にもあったような」って部分は多数感じましたが、それも別にとり沙汰するほどのことはない。

物語がとってもシンプルだったのが、とってもよかったです。
その分、細かいところがだいぶ差っぴかれてしまっていて、例えばピーターがどういう子かとか、どういう家庭の子かとか、ちゃんとした描写がいっさいなかったりしてたり、種を盗み出した魔女のいきさつ、その後がかなりアバウトな設定だったりとか、ちょっともったいないんですが、そこは尺の問題もあるので、見ていて気になるほどでもなく。
悪役な人達が個性的で、声をあてた俳優陣も上手だったので、楽しかったです。

ハリーポッターとか指輪物語とか、その他欧米のファンタジー映画って、どれも色がダークなんですが、日本のファンタジー映画なアニメはどれも色がカラフルでいいなーと、この映画見て思いました。
カラフルだし、明るいし、悲壮感がないのがとてもいい。
魔法の国って、子供視点だったら、こっちのほうが絶対いいです。

絵も演出も動きも、完全にジブリを継承している感じですが、今後、新しいプロダクションとして映画を作るにあたり、スタジオボノックとしてのオリジナルな部分をもっと出していってくれるといいなと思いました。
例えば、キャラの絵そのものとか、ジブリ継承じゃない絵やキャラを使ってみてほしいし、演出も、もっと違うテイストや色を出していってくれたらいいなと思います。
そうでないと、いつまでもジブリを引きずることのなるし。

この映画は、人が死んでません。
悪役はいるけど、極悪非道というわけじゃない。
マーニーに続いて、おばあちゃまと孫って関係がクローズアップされてて、最近そういうの流行なのかな?と思ったりもしました。

私は好きですよ、この映画。
かわいかった。

40年ぶりの新作 ~ポーの一族



40年ぶりの新作だそうです。
昨年から今年にかけて連載されいていたものが、1冊にまとまって単行本として出ました。

実は、私が生まれて初めて自分で買ったマンガの単行本が、「ポーの一族」です。
9歳の時に買ったのですが、当時中学生だった親戚のおねーさんが「これを買え」としきりに薦めてきた結果。
女の子マンガの雑誌は読んでいましたが、なぜかどらえもんとか、そういう子供向けの漫画はほとんど読んだことがなく、いきなり買った単行本が「ポーの一族」って、自分で考えても「ないわー」と思います。

9歳の女の子には、衝撃的な作品でありました。
これに双璧を成すのは、14歳の時に読んだ永井豪の「デビルマン」かと。

知らない人はいないとは思いますが「ポーの一族」、14歳でパンバネラと呼ばれる吸血鬼の一族のひとりとなったエドガーは、庇護者だったポーツネル男爵夫妻、最愛の妹メリーベルが消滅してしまった後、仲間にしたアランとともに、時を越えて生きていく・・・という物語。
バンパネラ=吸血鬼なのですが、血なまぐさい物語ではなく、エドガーとアラン、彼らに関わった人達の淡々とした物語で、いわゆるゴシックロマンな香り満載のマンガです。

自分が15歳になった時、「ああ、エドガーの歳を越えてしまった・・・」と思った私。
それは、「リデル、森の中」で、エドガーとアランに育てられた少女の気持ちと思いっきりシンクロしていましたし、ロンドンにいった時、「ここがエドガーの生きる街なんだ」と思ったこともありました。

単行本5冊で完結していた物語、最後は、思わぬ事故でアランが消えてしまい、また、エドガーがひとりになるところで終わっていました。
今読んでも遜色ない、とても40年も前に描かれたものとは思えない素晴らしいマンガです。

その新作、どんな物語かと思ったら、第二次大戦の頃のイギリスでのお話でした。
そして、驚くことに、新作は、過去、ほとんど描かれることのなかったポーの一族が暮らすというポーの村の人々、そして過去いっさい描かれていない、別のバンパネラの一族が登場しています。
そしてなんと、この物語初、悪役も登場。
それまで描かれていた、エドガーとアランふたりの旅の日々が、いっきに壮大なスケールのヒストリカルゴシックロマンになっていました。

なんとなく、新しい「ポーの一族」の物語が始まるんじゃないかと思ったら、来年また、連載が始まるそうです。
いやぁ、長生きしていると、いいことってあるんですね(しみじみ)。

しかし40年ってすごい。
「ポーの一族」描いたとき、萩尾先生って20歳そこそこだったってことで、その才能たるや、すごすぎて言葉もありません。

「春の夢」、読んだ後、しばらく ぼーっとしてしまいました。
もう一度、「ポーの一族」を最初から全部読み直さなければと思いました。


拍手コメントのお返事:

さぁ、君もジェイソンになろう! ~13日の金曜日

最近、数人のゲーム友がハマってる「13日の金曜日」のゲーム。
現在、日本では発売されておりませんで、アメリカアカウントを作ってそれでダウンロードする形でしかプレイできません。
ホラー好きとしては興味あるんですが、逃げるだけのゲームは性にあわないのでどうしようかと思っていたら、シージ友のYSさんが「シェアプレイでやってみる?」と声かけてくれました。

プレイヤーはランダムに抽出され、ひとつの部屋がたてられます。
このゲーム、なんとサーバが国別になっていないので、YSさんの話しだと、アメリカやらデンマークやら、どっかのアラブの国やら、いろいろな国の人がいるそうで。
さらに、VCでしゃべる人も多いらしい。

ジェイソンのキャラは、作品別に選べるようになっており、パート1のジェイソンとかパート5のジェイソンとか、好きなジェイソンになれます。
作品ごとに武器が違う。
プレイヤーは、逃げる方のキャラと、なりたいジェイソンをまず選ぶ。
ジェイソンになるのは、ランダムなので、誰になるかはゲームが開始されないとわかりません。

逃げるキャラにはそれぞれ特性があるそうで、修理が早いキャラとか足が速いキャラとかいるそうです。
逃げキャラの勝利条件は、ボートか車で逃げる、警察を呼んでそこまでいって救出される、時間いっぱい生き残る、です。
ボートや車、警察を呼ぶ電話は壊れていて、それを直すためのアイテムをまず探す必要があり、その後、現場にいってアイテムを設置して修理する必要があります。
逃げキャラは武器ももてますが、銃も使えるのは一発だけ。
ナイフをもっていれば、掴まれた時に切りつけて逃げることは出来ますが、それ以外はつかまれたらアウト。

ジェイソンは、サーチ能力をもっているので、逃げるキャラがいる場所が赤く見えます。
また、逃げキャラサーチしてから、そのままそこにワープできるので、逃げキャラは逃げ方にも工夫が必要。

とりあえず、まず、YSさんのプレイを見せてもらいましたが、YSさん、すでにかなりやりこんでいるので、基本的な行動がきちんとしています。
逃げキャラの場合、開けた扉は必ず閉じて鍵をかける、窓は全部開ける、すべての引き出し等探索してアイテムを捜す。
これだけでも、サバイバル確率あがるんですが、意外にやらない人が多い。
ジェイソンになった場合、深追いはしない、脱出アイテム周辺に罠をしかけるなどして常時警戒するなどなど、プレイのコツがあるようで。
わりと戦略的にプレイしてるYSさん、激怒の暴言吐かれたり、メッセージもらうことも多々あるそうですが、逆に協力プレイを申し出てくる人やフレンド申請をもらうことが激増したと言っていました。

いろいろな国の人がいるってことで、日本人同士ではあまり見ない種類の行動を見ることも多いそうで。
例えばアメリカ人、かなり大ざっぱなプレイが多い。
生き残る率が高いYSさんに、アメリカ人が「いっしょに行動しよう」といってきたそうですが、丁寧にアイテム探すYSさんのプレイにしびれきらしたアメリカ人、ツルんでいた他の人達が「いっしょにジェイソンの家、襲撃しちゃおうぜー!」って声にのって、そっちにいってしまったそうです。
んで、そこでみんなでレッツ パーティー!!ってやらかして、ジェイソンに一網打尽にされた・・・それを囮に、YSさん無事脱出。
その話し聞いた時は、爆笑しました。

誰かにくっついて、その人と囮にして自分が逃げようとする人とか、アイテム探させておいて、当人を置き去りにしてひとりで車で逃げる人とか、そういう人もけっこういるそうで。
そうかと思えば、見知らぬ誰かがジェイソンに襲われているのを助けにきてくれる人もいますし、助け合ってアイテム探そうって行動する人もいる。
VC使って実際会話もできますが、基本、プレイしているキャラの屈伸運動やライトのオンオフで意思疎通をはかる感じ。

いやもうね、このゲーム、もろ人間性出るよねって思いました(笑)

一度やらせてもらったんですが、アイテムがまったくでない中、なんと私、初プレイで警察を呼ぶことに成功。
しかし、あと20秒ってところで、ジェイソンにやられてしまいました。

しきりと購入、プレイを勧められているのですが。
確かに面白いんだけど、自分で買ってやるまでには至らず。
逃げるだけのゲームって、ほんっとに性に合わないんだー。
YSさんの布教で、大学生のD君がハマり、ふたりでいっしょにプレイ始めてました。
あとYSさん、カタコトの英語で、外国人達ともいっしょにプレイしているそうです。

怖いかっていうと、さほどに怖くないと思います。
それより、どきどき感がある。
あと、ジェイソンが殺すシーンはわりとガチなので、それでたぶん、日本発売はないかなーって感じ。

少女の豚の暖かい物語・・・じゃない!! ~ オクジャ

Netflix 製作の映画「オクジャ」が公開されました。
監督は「グエルム」や「スノーピアサー」のボンジュノ。
だから、わかってたよ!!!
少女と豚の、心温まる物語とかじゃないってことは!!! 

チリで発見されたスーパーピッグは、食べ物も糞も少なく、肉はおいしく、身体はでかい。
畜産業界に新しいウェイブを巻き起こす奇跡の豚ってことで、世界中の畜産農家に預けられ、いちばん大きく育てた農家は表彰されるという10年越しの企画。
韓国の山奥で、14歳になる少女とともに育ったオクジャが、そのトップオブスーパービッグに選ばれます。

オクジャを追いかける少女と、それに対する企業の間にはいるのは、動物保護団体。
この三つ巴の追いかけっこが、ものすごい勢いで展開する映画、心温まるどころか、かなりえげつない表現もあって、さすがボンジュノ!って映画でした。

この映画、あっちこっちに問題提起やら社会の暗部みせまくりやら、あります。
偶然見つけられたと宣伝されているスーパーピッグは、遺伝子操作によって生み出されたもの。
遺伝子操作のものは売れないってことで、嘘の宣伝がされている。
最終的にはバレちゃうんだけど、「おいしくて安ければ売れる」って片付けられていて、実際、そんな感じがありあり。

動物愛護団体は、暴力はつかわないのが前提なんだけど、そうはいってはいれらない。
自分たちの目的のために、少女の言葉をあえて違う答えで通訳するとか、そういう齟齬も生じる。
彼らの目的は崇高だけど、じゃあ食べ物食べないの?とか、誰も犠牲にはしていないの?というところで、ズレが生じている。

少女ミジャは、オクジャを助けたい。
なぜから、オクジャは彼女と共に育った友達で家族だから。
じゃあ、同じスーパーピッグたちの存在は、そうじゃないから関係ないの?
オクジャさえたすかれば、自分さえよければいいの?

・・・ってなことが、がんがん描写されていて、「あーもー!!」ってなりました。

恐ろしいのは、オクジャをはじめとするスーパーピッグが、大変知性が高いという描写があるところ。
それを前提にこの映画見ると、かなり恐ろしいです。
無理やり連れ去られたオクジャ、無理やり交配させられて(つまり衆人環視の中、強姦)、無理やり生きたまま肉を削り取られていて、さらに「肉にされる」とわかっていて、機械で身動きできないようにされて殺されていく。
当然、他のスーパーピッグたちも同じで、ラスト、恐らく人間に近いレベルで知性がある彼らの行動が、収容所で虐殺されていく人間に見えてくるシーンに、一瞬ぞっとしました。

ボンジュノは、主人公を巡る人間のいびつさ、狂気みたいなものを描くのも特徴で、今回もそのあたり、がっつり描かれています。
「スノーピアサー」でも怪演だったティルダ・スウィントンが、これまたすごい演技してます。

最後に、オクジャがミジャに何かを囁いているんですが、何を伝えたのかわかりません。
ただ、ミジャとオクジャ、明らかに何がしかの言語によって意思の疎通をはかっているのはわかる。
スーパーピッグという存在が定着しているであろう数年後のラスト、あの世界はどうなっているんだろうかと、幸せそうな描写とは別に、なんとなく怖いものを残したラストでした。

んで、本編とは別に。

いつもはスマホかPCで見ているNetflixですが、「オクジャ」は大きな画面で見たいとPS4で見ようとしたのですが、うまくいかず。
サポートに電話して、アプリインストールが必要だとわかりました。
男性のスタッフでしたが、丁寧にサポートしていただき、インストール最中に「オクジャ、大きな画面でどうしても見たくて」と言ったら、「そうだったんですか!オクジャ、僕も見ました。とてもよかったですよ!」と、とってもうれしそうに言っておられまして。
なんか、見る前から、とってもうれしい気持ちになりました。



会話の話

巷、世間では当たり前のように、テレビの話題が会話の最重要トピックとなっているようです。
お笑い、ドラマ、俳優やタレント、アイドル。

だがしかし、私の周辺、会社も含めて、いっさいがっさいこの種の会話、ありません。
オタク関係だったら、アニメしか見ないってのがありますが、会社とかヨガ友とかでも、この種の話題がない。
下手すると、テレビもってない人もけっこうな数いたりします。

「じゃあ、何話すのよ」とか聞かれたことがありますが、「それ以外」としか言いようがない。
っていうか、そもそも、いろんな人と会話するのに、それしか共有するトピックがないというのがむしろわかんない。

世間一般的話題、この次点が恋愛、男女関係になるようですが、ほんと、電車とかレストランとかでも耳にはいってくるレベル。
明らかに ”ただ会社が同じ社員同士” である数人で、語り合ってるのが「どういうタイプが好き?」とか、「社内で誰が好みのタイプ?」とかだったりします。
いやいや、それないない、ないから。

オタクじゃない女性陣の、「今までつきあってきた男ヒストリー」トピックも、けっこう一般的らしい。
らしい・・・ってのは、さほどに親しくない人たちとの会話に、わりと頻繁に導入される話題で、「は?」になることがよくあります。
「昔、つきあっていた彼がね!」みたいな前振りも、定型。
会社のマウンティング女子なんて、入社1週間で、付き合ってきた男の数9人とその職業、住んでいる場所まで語られてたし、婚約破棄2回とかまで、みんな知ってました。
そういうのって、むしろ言いたくない話なのかと思ってたけど、違うのか?
ちなみに、チームリーダーの40代の女性はそれを、「そこも自慢になってる」と言ってました。
そうなの?
自慢なの?

うちにはテレビはありますが、アニメと映画見るのと、ゲームするのだけに使われていて、それ以外だと、嵐とマツコ見るくらい。
仲良しのよっしーに至っては、おうちにテレビありません。
よっしーは、PCで契約したネットTVで、アメリカのドラマとか見てる。

そもそも「好きな異性のタイプ」とかで、「好きな俳優は?」ってのも、たいして知らない者同士でかたりあって、いったい何の意味があるというのであろうか。
私の答えは、「今は、ムロツヨシ、そのほか、アベサダヲ、竹中直人、かっこよくないほうの佐々木蔵之助」で、この答えが質問者に受け入れられたことは、過去いっさいありません。
あれか、松潤とかなんたらそーたとか、星野源とか言えばいいのか?
三太郎でいちばん好きなのは金ちゃんじゃ、だめなのか???

とはいえ。

オタク仲間でも、最近は派閥が細分化されてきていて、とうらぶですら、舞台、アニメ、ゲームオンリーな人たちとかで話題が違ってきてるそうですし、シン・ゴジラですら、BL設定マストな人とそうじゃない人がいたりで、いろいろ大変。

私は、吉本関係のお笑いにまったく笑いを感じない人で、みんなが爆笑しているのが、なにがどうして面白いんだかさっぱりわからない人なので、そもそもそっち系の話題にはまったくついていかれませんで。
この間、バナナマンって言われて誰かわからず、すっごいびっくりされました。
「Youは何しに日本へ」の司会やってる人たちって言われて、わかった。

自分、じゃあ、いきなり会った人と共通する話題って何だよ?って考えたら、天気くらいしかなかった。。。
おばーちゃんかよ!!!

殺さない戦場 ~ハクソーリッジ



メル・ギブソンが監督の映画なので、そりゃもう覚悟してみたわけですが、予想を遥かに越えた凄まじい戦争シーンでありました。
いやもうすごいです。
人が吹っ飛びまくる、撃ちぬかれ、生きたまま焼かれ、手足や内臓が飛び散る。
地べたは死体が山のようになって転がり、そこをねずみがはいまわる。
銃や火炎放射器、爆撃、手榴弾などを使ってはいますが、恐ろしいほどの接近戦で、敵味方、お互いの顔が見てとれるような近さ。
そこで行われる戦いの凄惨さは、言葉で語るのは難しい。
そこを離れた兵士たちが、言葉も表情も失ってガクガク震えているだけになるのが理解できます。

「ハクソーリッジ」は、そのような凄惨な戦いとなった沖縄戦で、武器を持たずに47人の兵士を救ったデズモント・ドスを描いた映画です。

前半、ドスのそれまでの人生が描かれます。
人間には、衝動的な殺意が生まれることがあります。
それを実体験として持つドスは、武器を持つことを自分に禁じます。
けれど、それは志願した軍隊で認められることではありません。

武器を持たない。
戦争でそれは、すなわち、軍人として、兵士としての義務や責任を果たすことがないということになります。
当然、ドスはそれをつきつけられる。
彼のそうした倫理感は、同じ隊にいる仲間たちに混乱を招きます。
武器を持たず、戦わないものを兵士、軍人といえるのか?
そういう人間が同じ隊にいることは許されるのか?
除隊を薦める上官たち、暴力と嫌がらせで除隊するように仕向ける隊のメンバーや軍曹を前に、ドスの意志はかわりません。

それを見ていた私もやはり、「戦争へ行くのに武器をもたないとはいかに?」という気持ちでした。
人を殺さない。
それは立派で素晴らしい考えだし、人間として何よりも大事なことです。
けれど、それが戦争となった時、大佐が彼に言ったように、「殺すのが戦争で、武器を持たずに大事なものが守れるのか?」ということになる。
土曜日は安息日だから休むというドスに、大佐は「だったら、日本軍にもそう頼むがいいな」と皮肉を言いますが、世の中とはまさにそうだし、個人的な考えがいかに素晴らしくても、それが通るようなことはありません。
戦争は、殺さなければ、殺される。

それが、戦争が始まってからの後半。
私は、大佐、軍曹、そして隊のみんなと同じ場所で、愕然とすることになりました。
ドスは、すさまじい戦闘の中、次々と負傷した兵士、瀕死の兵士を助けていきます。
応急処置をし、励まし、引きずり、かつぎ、背負い、砲弾砲撃とびまくる中、自分の命顧みず、駆け回る。
味方が撤退した後もひとり残り、山のように残された死体の中で、まだ息がある兵士たちを探して駆けずり回ります。
「神よ、もうひとり、私に救わせてください」と言いながら、疲弊し、自身も血まみれになった身体で駆け回る。

沖縄戦は、激戦でした。
穴倉を利用した戦い方をした日本兵をあぶりだすために、米軍が火炎放射器を使用したのも事実で、恐ろしいほどの勇猛さで応戦した日本兵に、米兵が恐れをなしたという史実もいづこかで読んだことがあります。
沖縄戦については、知識としてありましたが、戦争シーンが始まった瞬間、「近っっっ!!!」と驚愕しました。
銃つかうとか、砲撃使うとかいう距離じゃない。
しかも、そこは、砲弾でぼこぼこになった大地に、死体が山積みになって、そこを兵士たちは乗り越えていくのです。
数多ある戦争映画の多く見てきた私ですが、今回ほど、動揺したのは初めてでした。

重傷を負い、その戦場に残された兵士は、放置されたまま、死を待つしかありません。
どんなに覚悟を決めていたとしても、それはとてつもなく恐ろしいことです。
ドスは、そういう兵士たちを助けた。
戦争映画みて泣いたことなかったのですが、今回、タオル抱えて号泣しました。

デズモンド・ドスはすでに故人ですが、映画の最後に本人の映像が流れます。
彼はこの後、レイテでも多くの兵士を救い、彼が救った中には、日本兵もいたそうです。

戦闘シーンは、CGを使っていないとのこと。
両足を吹き飛ばされた兵士がでてきますが、演じた人は元軍人で、実際に戦争で両足をなくした方だそうです。

もし、ドスが、戦場にでて、あっという間に死んでいたら、この実話はなかったわけで。
ハクソーリッジでもレイテでも生き残り、多くの人を救ったという彼が、あの戦闘の中で死ぬことがなかったのは、やはり神の加護があったからなのか?と、終わった後、思いました。

兵舎でドスといっしょだった人達のほとんど、次々とハクソーリッジで死んでいきます。
あの中で、誰が終戦を迎えられたのだろうかと、そこもとても気にかかりました。

怖いかわいいゲーム ~リトルナイトメア

ひとりでちまちまとプレイ中。

得たいのしれない場所を、黄色いレインコート着た小さい子が歩き回るゲームです。
気持ち悪いおっさんたちに見つかると、食べられちゃって、そこでエンド。
とんで、はねて、のぼって、隠れて、走って・・・ってゲーム。

つまり。。。。。。。。。。。。私が苦手な種類のゲームだっっっ!!!

と思っていましたが、やってみたら、そこまで難しいことはありませんでした。

小さい子が、あっちこっちにいろいろいます。
捕まってる子とかもいるし、逃げ回ってる子もいます。
いったいそこで何がおこなわれているのか、ちょっとわかんない。
レインコートの小さい子の動きがとってもかわいくて、いい感じです。

この種のゲーム、私の場合、何度も何度もトライするのには忍耐が足りないので、短い時間のプレイしかしてませんで、まだまだ終わらない。
ダウンロードゲームなので、2000円ほどで購入しましたが、いろいろな人の動画見てたら、なんかルートもけっこういろいろあるようで、EDもいくつか用意されてるみたいです。
バンダイが作ったゲーム。

ダウンロードのゲーム、実際やってみないとわからないところで、ちょっと賭けでもあるんですが、たまにこういう大ヒットなゲームあり。
私がハマったのは、ラストガイ、風の旅人、そしてこのリトルナイトメアです。
ラストガイは、全ステージクリアできていないまま、PS4にきてしまった・・・・orz

東京喰種トーキョーグール 視聴中



ありがとう、Netflix(笑)。
第一シーズン全部、第二シーズン1話まで見ました。

テレビ放映時、世界感にいまいち馴染めず、1話で挫折。
いきなり、異生物の内臓移植とか、医者が何考えてるの?で、だめだった。
今回、実写映画化で、大泉洋の演技を予告で見て、いきなり見てみようという気になりました。

けっこう複雑な話だったんだなと、まずそこ。
敵、味方って簡単なパターンではなく、とりあえずグールA、グールB、人間で戦ってる感じ。
人間は捕食される側なわけで、グールを駆逐殲滅する組織が警察にあるという設定。
人肉食べる話なので、当然エグいわけで、出てくる血の量もハンパない。
とはいえ、描写の厳しい部分は、それなりの回避がなされていました。

カネキ君の設定が設定なので、このまま、どっちにもつけない優しい性格でつっぱしるのかと思ったら、第一シーズンラストで、とんでもない描写が連続で、カネキ君大変貌遂げて、おもわず「おー!」ってなった。
確か深夜放映だったと思いますが、よくこれ、テレビでやったよね。
延々の拷問シーン、さすがにちょっとキました。
爪、一枚抜いただけで、痛みで貧血起こした私、その時のことが蘇る(笑)

それぞれのキャラクターがただの添え物で終わっておらず、きちんと個々に生きているのが、個人的には好きです。
ただ、後半でてきたグールー過激派との戦い、これ、ぶっちゃけ、昔の漫画とかにあったツッパリやら暴走族グループの勢力争いと同じなんじゃないのか?と思ったら、しゅるるるるる~っていろいろしぼんだ(苦笑)
アンテイクも、集まったらあの人数の少なさで、「え?こんだけ?」ってなったとかね。

実写映画の方で、出演していた女優が、実はこんな映画でたくなかったとかいう発言したのに対し、ファンらしき人が「食物連鎖を描いた真面目な物語なんだ」と言っていたので、それを頭のすみっこにおいてみてたのですが、全然食物連鎖じゃなかったでした。
けっこうえげつなく、弱い者は強い者のただの餌って感じなんじゃないかと。

とりあえず、最後まで見てみようと思っていますが、見るきっかけになったマドさん(であってるか?)が死んじゃったので、若干テンション下がり気味。
シーズン1のラストで、「おー」ってなって少し戻りましたが。。。これからどうなるのかな。

シーズン1のOPがかなり好みでした。

カオス

心臓にあからさま影響が出るほどにストレスが顕著に身体にダメージを与えている、今日この頃・・・
原因は明らかに、今いる会社であります。
いろいろ全部ここに、げろげろげろげろー!!!って書いてしまいたいけれど、そうはいかない。。。

そういう中で、ゲーム友と大笑いしながらゲームする時間、大事だなぁと思います。
リア友とは、そうしょっちゅう話したり、会ったりするのは難しいわけで、そこはゲームだと、インすれば誰かしらいるので、気軽におしゃべりできる。
他は知りませんが、私はゲーム友とは、リアルな生活についてはあまり話しませんで。
愚痴とかも、お互い、ほとんどしない。
「旅行いっていた」とか「おいしいご飯食べた」とか、「仕事忙しかった」程度の話題はでますが、基本、ゲームプレイを中心とした話題が多いです。

そもそも私、今のように、誰かといっしょにゲームするような事が始まる前は、ひとりでゲームしまくっておりましたが、その時もやっぱり、ゲームに対して同じことを考えていました。
現実世界で、悩んだり、嫌なことがあったり、疲れたり、つらかったりした時、ゲームすると、ゲームの世界に飛ばされるので、その時脳内をしめていたいろいろなことが、いったん別室に格納される・・・みたいな状態になります。
ゲームしている時は、その時、心や頭をネガティブ波動でいっぱいにしてることについては、いっさい考えることはない。
集中しないとプレイできないから、ゲームの世界にどっぷりはまるわけで。
で、数時間後、ゲームをオフにして、現実に戻ると、あらまぁ不思議、さっきまで悶々としていたことが、とりあえずリセットされています。
問題自体は解決していないし、何も変わっていないんだけど、そこにハマりこんでいた自分からは、とりあえず解放される。
ゲームのおかげで、なんとか乗り切れたときもあったし、眠れぬ夜をすごすことなく朝を迎えることができたということも多々あります。

オンラインになると、人とのかかわり、つきあいっていうのも出てきて、それはそれで楽しいことと、大変なことの両方があります。
対戦ゲームだと、敵も人間だから、AI相手の時とは違う、いろいろなことが起きる。
ただ、楽しいだけのゲームをしたいのなら、オンラインはしないほうがいいなと、実は思ってます。

先日、今までフレンドなしで、ひとりでずっとシージをやっていたというフレンドふたりと話した際、ひとりが「CoDは自分はだめでした」と言ってました。
「なんか、殺伐していたし、あのスピードについていけなかった」
シージは、「自分ひとりでは勝てないゲーム。ひとりで野良でやっていても、同じスクワッドになった人達と協力し、連携していくことでいろいろなプレイがあるし、そうしないと勝てないゲームだというところが、とても楽しい」と言ってました。
CoDは、キル数を競うゲーム(だと私は思ってる)だからねと言ったら、「シージで同じようにやったら、あっという間にデスって終わりですからね」とその人は笑ってました。
そういう部分で、シージ楽しい!って言ってるフレンドはけっこうたくさんいます。

乙女ゲームでもフレンドはいましたが、結局、妄想や想像の世界ではプレイヤーは唯我独尊、オンリーワンな存在なので、萌え話共有いっさいしない私には、それでつながるような人はほとんどおりませんで。
バイオハザードでは、ゲーム友からリアル友となり、つきあいも長くなった人が数人いますが、実は彼らはオンラインが始まる前の出会い。

ここしばらく、私の体調がよくないことは、親しくしているシージ友も知っていますが、だからどーしたってことはなく、いっしょにプレイする時は、楽しい時間をお互いに作ろうという意志でもってやっている感じです。
ただ、たまに長くインしないでいると、「大丈夫か?」と言われますが。

過日は、どういう流れからか、プレイしながら全員で、おいしいもの写真をがんがんメンバーに送付しまくるという、深夜のメシテロが始まり、「やめろ!!この時間にこれはきつい!」「やばい、ラーメン死ぬほど食いたくなってきた」「うわー!!!なんだ、このおいしそうなタンタンメンは!!」みたいなことを叫びながらプレイしておりまして。

心臓に異常がでたうえに、その影響で身体にかなり負担が出ており、各病院でいろいろ言われて治療が始まっている今日この頃。
痛みとか、かったるさとか、頭痛とか、ひどいむくみとか、そういうのに気をとられすぎてどうしようもなくなるそうになるのを、ゲームプレイすることで、気分転換になって、ちょっとつらいことも忘れられるという日々になっております。

ところで、会社の自慢屋女子、とあることから、私にいっさい話しかけてこなくなりました。

先日、イケメン氏がお茶室で私に、トランプとマクロンの話しをふってきて、ふたりでその話題で盛り上がっていたところに、自慢屋女子がやってきて乱入しようとして、「あ・・・」みたいな表情を浮かべたと思ったら、そのまま部屋をでていっちゃった。
どうやら、政治と経済の話題では、自分の自慢するポイントがなかったかららしいですが、その後、私にはいっさい話しかけてこなくなりました!!!

すげーよ!!
トランプ、ありがとう!!! 

少年の心の闇 ~怪物はささやく



原作は児童文学。
現代は、「Monster Calls」です。
それを「怪物はささやく」と訳したのは、すごい。

重病の母親とふたりで暮らす少年コナーは、学校ではいじめにあい、母親の入院のために、気の会わない祖母の家で暮らすことになります。
母親の前ではつとめて明るく、真面目なコナーは、祖母には反抗的で、学校でも真面目に授業を受けていません。
そんなコナーが夜、部屋で絵を描いていると、家から見える老木が突然、木の巨人に姿をかえ、コナーに「3つの話をする。その後、お前自身の物語を語れ」と言ってきます。

ファンタジー映画なのかと思っていたら、確かにそういう部分もありますが、ファンタジーという感じでもなく。
根暗でひねくれたコナーに、哀れと想う気持ちはあっても、共感も共鳴もすることなく、淡々と進む物語に、「こんなもんか」になってそのまま終わっていくのかと思いきや。

ラスト、恐らく満席の館内全員、「え!!!」ってなったはず。
実際、隣の席の女性は、一瞬前のめりになったし、前の席の男性は明らかに驚いた様子をしました。
そして、その瞬間、全員号泣。
隣の席の女性は、声だして泣いてました。
終わった後、拍手がでました。

母親は死にかけている、離婚してすでに別の家庭をもっている父親は、コナーを引き取る気はない、厳しい祖母はコナーに冷たい、クラスメイトはコナーを殴り、蹴り、いじめまくる。
コナーは孤独で、孤立している。
とてもかわいそうな子供なんです。
なんですが、何かが見ている我々に、そう思わせない。

そんなコナーに、木の巨人が意味深長な物語を聞かせます。
見ている我々にも、それが何を意味するのかはわかりません。
しかし、物語が進むにつれて、少しづつ、物語の視点がかわっていきます。
それでわかってくるのは、すべてはコナー自身、自らが作っている問題なのでは?ということ。

そしてそのラストで、すべてが一変します。
みんな、コナーを大事に想っていて、愛しているということ。
それが、すれ違い、いき違っていたことがわかります。
それこそが、木の巨人がコナーに求めた、コナーの物語なのでした。

ラストは、こうやって書いていて、それで思い出しても、涙がでてきちゃうってなレベルです。
いやぁ、あれは、本当にやられました。

情に訴えることもなく、むやみにかわいそうな子供っぷりを描く映画でもありません。
そして、そのラストに意味されるものが何かという説明もありません。
それは、見た我々それぞれが、自分の中で考えることなのでしょう。