fc2ブログ

愛とは ~葬送のフリーレン



「若者の特権」見て、なんかもう、どうしようもない感情がわぁって湧いてきました。
今回描かれたフェルンとシュタルクの関係、思いっきり乙女心を炎上させた方も大勢いらっしゃるかと思いますが、私は違う形で捉えました。

フェルンは孤児で、ハイターに大事に育てられたけれど、あんなクソ真面目な子だから、ちゃんとしなきゃ、がんばらなきゃって、まぁいろいろ我慢する事も多かったと思います。
シュタルクに対する気持ちは確実に”好き”だろうけど、彼とちゅーしたいとかべたべたしたいとかそういうんじゃなくて、もっとおおらかでのびやかなものだと思っていて、なんだろうなぁ、”とっても大事な人”って感じ。
”好き” と”大事”はかなり違ってて、”好き”はとっても利己的だけど、”大事”はものすごくおおらかで相手が主体。
フェルンの”好き”はそういうものなんだろうなと。

ヒンメルはフリーレンの事、とても好きだったのはそうなんだけど、こちらもやっぱり、恋情の方の好きとはちょっと違っているのだと思います。
ヒンメルはあんなだけど、ものすごく物事を思慮深く見ている人だとわかる描写があって、そんな彼は、フリーレンが自分が産まれる前からいろいろな経験をし、自分が死んだ後もそれが続く事をわかっていて、そしてそれがどれだけ孤独なものになるかも理解していた。
彼は、フリーレンの長い長い人生の一瞬を共にする事しかできないけれど、その一瞬を、彼女にとってより良きものであるように願っていたのだろうなと感じました。
それはその時はさらりと過ぎる一瞬だけど、いつかどこかで彼女の人生にそっと寄り添う事をたぶん願って。

ハイター様は尊敬に値する大人だったってザインは言ってたけど、そのハイター本人は、「守ってあげなければならない人のために、立派な大人のふりをしてるだけ」と笑います。
私の友人がある時、「大人というのは、大人として物事を考え、判断できる事を言うんだよ」と言った事があるんですが、私はこの言葉、ものすごく心に残っていて、今回のハイターの台詞でこの言葉を思い出しました。
歳をとったら大人になるのではなく、人は大人になる決意をして大人になる。

たった30分弱の話で、あんなにいろいろな”愛”の形、大事な人への想いや気持ちを見せられて、朝っぱらかちょっともうどうしていいかわかんない気持ちになっちゃいました>朝見たんで
すげぇ脚本だわよ。
しかもどれもこれも、押しつけがましい、わかりやすさ爆発な表現じゃない。
いやもう、大好き!
すごい。

シュタルクのバカも、すごくバカでよい。
でも、彼は彼で大変な人生を送ってきていて、よくまぁ、それでもあの愛らしいバカを失わずにいてくれたと、ごりごりぐりぐりしたい気持ちになります。
すごいよなー、この話。
あの年齢の男の子のバカさ、すごくよく描いている(笑)

今回の話でしみじみした後、この記事書くので動画探していて、YOASOBIのOPを初めて全部聞いたんですが。。。

なにこれ!! なんなの! わあああああっ!

で、怒涛の泣きになりました。

いやぁ、そういうことなの?
そういう見方もあるんか。
いやマジやめて、朝っぱらから号泣しちゃったじゃないですか。
たぶんこれ、カラオケで歌ったら泣くやつ。

あー、いい話だー。
フリーレン、久しぶりに毎週楽しみなアニメです。

拍手コメントのお返事:

続きを読む

スポンサーサイト



ちょっと体調がよろしくないので

今週、見たい映画が3本あります。

いっこは鬼太郎。
評判がすごくいい。
見に行った妹からもお勧めしてもらった。
「犬神家の一族とか好きでしょ!」ってどういう勧め方かわかんないけど、まぁ、言いたい事は伝わった(笑)

「エクソシスト」、超楽しみにしていたのに、こっちは評判劇悪。
あまりに悪すぎて、もう配信でいいかも。。。くらいになってきてます。

「ナポレオン」も見たいんだけど、こっちは賛否両論。
キャラとかはどーでもよくて、戦闘シーンが見たいんで、見るなら劇場だよなぁって思ってたんですが。

とにかくちょっと体調がよくなくて、3本とも今週見るのはやめました。
鬼太郎は週末見ようかな。

会社でCEOから「会社のイベントで、みんなで映画見に行くってのやろうかなって思ってるんだけど、来年、なんか面白そうな映画ある?」と聞かれたので、

「フュリオサ」


と答えておきました。

そうです、あのマッドマックス怒りのデスロードの前日譚ですよ!!

言ったはいいけど、会社の人といっしょには見たくないな。

これは好きなやつ ~ウーマン・キング



フォローしている映画垢のみなさんが絶賛されていた映画です。
アマプラでレンタル中、いくら待っても無料配信にならんので、レンタルで見ました。

これ、好きなやつー!

アフリカでかつて実在したといわれる最強の女性戦士部隊が、アフリカ人を奴隷商人に売る他国の部隊と戦う話。
登場人物のほとんどが黒人>黒人俳優には、アフリカ系もジャマイカ系も他にもいろいろいます
んで、主役はヴィオラ・ディヴィス。
50代ですよ。それでこのアクションかよ。
すげーわ。

いわゆるCGを駆使した派手なアクションではなく、あくまでも体術とかそっちの戦闘シーン。
やっぱりさー、そういうのって血沸き肉躍るっていうか、「これなんだよおおおお!」と叫びたくなります。
しかも女戦士よ。
ガチよ。
我々の大好物よ。
界隈、なんでこれを劇場でやらんかったんだよ!って怒りの声爆発ですが、それに同意します。

ラシャ―ナ・リンチが演じるイゾギが無茶苦茶かっこいい。
処女を看板に、親に買春を強要されたイゾギは、三人目の男をぶちのめして、部隊にはいったという経緯。
他の女性たちも、結婚を強要されたり、レイプやその他、女だからという理由で存在をふみにじられた末、戦士の道を選んでいます。
捕虜になった女の子が戦士の道を選ぶんですが、それもやっぱり「おのれの生きる道はおのれでつかみ取る」って事なんですよね。

とにかく戦闘シーンがかっこいい。
最高にかっこいいです。
そして、圧倒的な強さを誇る女戦士たちがむちゃくぐそかっこいい。
もうどうでもいいから見よう、見ろって感じ。
肉体の美しさがもう最高です。
大きな画面で見たかったなー。

決戦は滋賀 ~翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて



前作、興行成績が全世界でスピルバーグの「アリータ バトルエンジェル」だったのに、日本だけぶっち切りに「翔んで埼玉」で、海外映画関係者が「それ、何の映画?」って首をひねりまくっていたという話が大好きです。
その続編。

千葉解放戦線の阿久津はどうした!ってれい様が言うシーンがあって、千葉の海女さんたちが阿久津の愛用品を手に複雑な顔するんですが、演者が大麻で逮捕されておりました。
いなかった事にしなかったのは素晴らしい。

って事で今回は、対大阪。
愛之助さんが大阪府庁で、全国大阪化をたくらむという設定。
大阪では秘密の粉を作っていて、それを接種したら大阪人になっちゃう。
つまり、たこ焼き、お好み焼き、551の肉まんとか全部。
なんて設定なんだ。
さらにその妻に芦屋の女って事で、藤原紀香。
なんて設定なんだ>褒めてる

物語としては基本、前回と同じ。
大阪周辺の県はそれぞれ解放戦線があって、おのが県の地位向上を目指している。
まぁ、この映画、そういう意味では自分の出身地や住んでいるところが出てるかどうかでだいぶ見ている側の感じ方が変わるので、今回は前回ほどののめりこみはありませんでした。
前回、関東圏以外はわりとそんな感じだったのかな?
今回の主役、滋賀県では、映画上映回数がえぐい事になってるそうです。
気持ちはわかる。

この世界線、男同士で結婚当然ワールドなので、百美がハネムーンの話してます。
んでもって、れい様は女もOKらしく、滋賀のオスカルといい感じにもなります。
ついでに、滋賀のオスカルの母上は、滋賀のジャンヌ・ダルクです。
こういうところ、オタク心をくすぐるよなぁ。

映画終了後、出口のところでご年配のご夫婦のご主人が、笑いながら「なんも残らない映画だなぁ」と笑いながら言ってました。
いいのいいの、楽しければそれで。
そういう映画だから。


気分悪くさせるのはホラーと違う

先日、某テレビ局のホラーイベントが、横浜の赤レンガ倉庫でありました。
それ知って最初に思った事、「大丈夫なんか?」。
赤レンガ倉庫、横浜市民なら知る人ぞ知る、超やべぇ場所です。
建築関係の会社が、「いろいろ起きちゃってやばすぎて仕事にならん」で、「霊能者のいる会社、もしくはそちらのツテがある会社はないか」って言ってるくらい、やばい。
昔っからいろいろその種の話を耳にしていた場所で、ガチホラー、オカルトイベントやるんか・・・・・・大丈夫なの?って思いました。

まぁ、それはそれとして、別でものすごくいやな予感がしたのは、そのイベント、もしかして最近はやりの「見ていた君らにも呪いがかかったんだよ」系なんじゃないかってとこ。
最近本当にそういうの多い。っていうか、ホラーやオカルトとなると、そんなんばっか。
ネットフリックスの「呪詛」はその代表だと思うけど、前にも書いたブルータスのホラー特集でもそんなの出してたし、最近はやってるモキュメンタリ―やオカルト談話、配信や夜話でもそういうのが増えているという話を聞いてます。
なんていうかさ、見た人を巻き込むホラーって、ホラー的には禁じ手だと思うんだけど、違うんですかね。
これを知ったお前も呪われたって、そういう怖がらせ方、手法もへったくれもあったもんじゃない。
安易すぎる。

先日別で、いわゆる宗教ではないけど信仰の対象になっているものや、祈りや想いのこもったものを、わざわざ呪物や呪具として晒して話題を取るみたいなのも増えていると聞いて、こちらもげんなりしました。
「呪術廻戦」でそっち系、人気になったけど、実際の呪い系はガチでやばいし、逆にそういう祈りや想いがこもったものをそういう形で関わるってのも、やっちゃいけないことだと思うんですよ。
とくに最近、そういうものに対する畏怖や敬意なしに、話題づくり、注目を集めるネタや物として扱って、祟られたらラッキーみたいにする人も増えているそうで。
君ら、わかってない。
呪いは本当に人が死ぬし、しかもありえないような事が起こりますから。

ホラー、恐怖のエンターテイメントで怖がらせてなんぼだけど、最近なんか違う方向にいっていると思います。
嫌な気分、不快な感情をかきたてる系がメインになった。
恐怖を感じさせるのではなく、巻き込んで現場に立たせる、自身の体験にさせちゃう系が増えた。
作り話でそれやってるならまだいいけど、リアルにやばいものをもってきてそれやったら、本当にやばいと思います。
洒落でも笑い話でも済まないレベルでやばいと思う。

私、ホラー映画や怖い話は好きだけど、巻き込み系ややたらむやみに恐怖を演出する系のものは好きじゃないので近寄っておりません。
恐怖話イベントも行かない。
夜、平気でひとりでホラー映画家で見るけど、心霊系の番組は見ません。
なんで? って言われると明確は理由はわかんないから言えないけど、場の空気が一瞬で変わるのがわかるんで、そうなりそうなものには触れないようにしてるとしか言えません。

ニコニコ動画のまとめであって、たまに見る事があるんだけど、実況配信で何か意味のわからないものが映りこんでるって、わりとよくありますが、我々の目にははいっていないけれど そこにいる ものって実際あると思います。
見えていないってことは、見ちゃいけないものだという認識だし、見なくていいものだとも思っているので、あえてそちらの扉をあける必要はないとも思う。
私は別に、恐怖の現場にいたいわけじゃなくて、ホラー映画というエンターテイメントを楽しみたいだけなんで。
別に、呪いとか霊が跋扈する現場に連れていかれたいわけじゃないんで。

見たり聞いたりして、お前も犠牲者のひとりになったってやるの、もうホラーじゃないんじゃないですかね。
あと、気分悪くさせるのをホラーって考えるのも、ちょっとやめてほしい。
それなりにそういうものへの畏怖や敬意は、忘れてはいけないと思ういます。
怖がらせる方向が違うものが増えたなって最近思っていて、自分が禁忌としている方向のもの、ちゃんと見極めないとならなくなったので、そういう風潮がそもそも怖いなと思ったりしております。

久しぶりなみなさんとプレイ ~レインボーシックスシージ



先日、久しぶりなフレンドさんたちとシージプレイしました。
コロナ前からプレイしなくなった人たちだから、3年とか4年ぶりかな。
その後は、そっちでチーム組んで、APEXやっていた人たちです。
最近は、CoDやってるみたい。

シージガチでやっていた頃は、それなりのスコアを出していたみなさんですが、さすがに久しぶりでいきなりやっても、そうそううまくはいかず。
6ゲームくらいやったけど、一勝もできませんでした。
ゲームって、それぞれ仕様が違うから、ずっとやってるゲームで癖がつく。
久しぶりなみなさん、みんなでいっしょに固まって「つっこめえ~!」っていっちゃうから、全員そろってきれいさっぱりやられて終了。
多くのFPSゲームって、それで勝てちゃうものが多いんだけど、シージでそれやるとあっというまにやられちゃう。
みんな、「やっぱ難しいなぁ、シージ」って言ってました。

あと、私も気が付かなかったんですが、このマップならこう!みたいなセオリー、シージにはないんですよね。
もちろん侵入口は決まっていますが、天井、床、壁も貫通できるガジェットがあるし、やりこんでいる人たちが次々と新しいアプローチをしてくるので、攻守ともにこれやればOK、勝てるってものは存在しない。
今回、某マップで地下の守りにはいった時、みんながいっせいに「敵はこっちからくる」ってだーーーって行っちゃったんですが、もうそんな決まりきったわかりやすいところから攻めてくる人はいないんです。
初期の頃はそこがメインの攻めでしたが、今はもう、そんなところからくる人、滅多にいない。
彼らのそういうの見ていて、なるほど、このゲームはプレイヤーによって進化しているんだなと思いました。

力技と人数で正面突破すれば勝てるってゲームではないので、それで常勝ゲームに慣れているプレイヤーだと、シージは楽しくないと思います。
たぶん彼らも、久しぶりにやったけど全然勝てなかったし、また当分やらないってなってしまったんじゃないかな。
CoD好きな人はシージ嫌がる人多いので。

あとこのゲーム、キルした人がいちばん強いってゲームでもないところ、ゲームらしくないなとあらためて思いました。
キルしてやろうってやると、逆にやられるケース多い。
もちろんキル数高い人は強いプレイヤーなんだけど、このゲームの場合、かなり戦略的なプレイをしなければならないし、エイムもよくないと無理なので難しいです。

ずっといっしょにプレイしていた人たちが、仕事で帰りが遅くなるようになって、最近いっしょにできなくなりました。
なのでここしばらくは、ずっとひとりで野良でプレイしています。
私はなぜか、野良でひとりでプレイしている時のほうが戦績がいい。
フレンドがいると、どうしてもそっちの動きにあわせてしまう傾向があるみたいで、サポートにまわっちゃうんですが、ひとりだと好きにやるからかも。
勝つことを考えるより、敵のせん滅を考えるので、チームプレイはあまりしてないです。
キル数は高くなくても、ここぞという時に敵をせん滅するプレイができる方がいいので、そういうプレイができるととてもうれしい。

静かなる旅 ~葬送のフリーレン



これいいよーと薦められていたので、スペシャル2時間で見ていたんですが、その時はあまりはまれず、続きは見ていませんでした。
んで先日、たまたまちょっといろいろやりながら、BGM的に流して見ていたら、途中から画面の前から動けなくなってた。
今はもう、続きが楽しみです。

この話、勇者様御一行の旅路のあとの話なんですね。
ドラクエでいうなら、ゲーム終了後の話。
魔王は倒されたけど、スライムとかそういうのはまだまだいて、あっちゃこっちゃで悪さしてる。
意外にこの物語の設定はけっこうシビアで、勇者御一行のみなさまはその後歳をとり、そしてみんな死んでいっています。
人間だからそりゃそうなんだけど、物語的にはああ無情。
昨今人気のラノベ系小説では脇役の長命種のエルフが主人公なので、あくまでのその視点です。
生命の時間軸が違う。
つまるところ、私たちから見た犬や猫なんですよね、あの世界でフリーレンが感じる人間の人生の年月って。

フリーレンが千年以上、魔力を研鑽して磨きをかけていく中、限りある命で人間に出来るのは、想いを託す という事なのかもしれないと、この物語をみていて思いました。
俺の屍をこえていけじゃないけど、フェルンもシュタルクも、それぞれ、かつて魔王を倒した伝説の人の想いを託された人たちで、でも特別でもなければ、選ばれし者でもない。
しかもこの物語の目的は、我々のいうところの天国、死者の魂が集いし場所に赴くっていう、つまり、戦うための旅路じゃないんですな。

SNSでどなたかが言及していたんですが、我々、アタマイカレタ人とか、常識が通じない人とか、生きてる世界が違いすぎて関わっちゃいけない人とか、インターネットとSNSの普及によって思いっきり知ってしまったわけで、その結果、対話と話し合いで解決なんてできねぇから!って現実を体感してしまった。
結果、フリーレンでは「魔族は言葉を巧みに操るが、それはコミュニケーションの手段として使われているわけじゃないし、相互理解も不可能」という世界観につながっております。
なんて説得力のある世界観なんだ。
あいつらの中にだっていい奴はいるんだ、とか、話せばわかるとか、そんなの存在しないってわかっちゃったからね、私たち。
そのうえでこの話、そういう連中と同じ土俵に立っても何の意味もねぇからって堂々とやっちゃった。
素晴らしい。
でもそうなると、ドラクエで、XXが仲間になった!ちゃちゃっちゃらら~ん♪ みたいなのはもうないからって事になるわけで、優しい世界を描く事はできないってわかってしまったって結末、それはそれで残念ではあります。

ラノベあるあるな、無意味に無断におちゃらけた所がないので、個人的にはかなり好きです。
あと、この物語に描かれている”大事な人を亡くす”という部分、身近で実際にそういう体験をした人には、かなり響くんじゃないかと思います。
泣いてわめいて悲嘆にくれるって、リアルではそういうわかりやすい事、ないから。
そういうわかりやすい、浅慮な描写が多い昨今、こういうしみじみとした淡々とした描写されると、なんかずしっと心の芯にきます。

今、いちばん次が楽しみなアニメになりました。

王道のゴジラ ~ゴジラー1.0



話題の映画、見てきました。
監督が、わりとべたべたな話作る方なので、もしかしたらだめかも・・・・・・と思いつつ見に行ったんですが、面白かったです。

コピーが「生きて抗え」なのですが、映画そのまんまでした。
なんかお涙頂戴方向にいくかと思いきや、ガチで「生きろ!!」で、そっち方向にまっすぐな物語だったのでとてもよかったです。
危険なミッション、命がけというのはわかっている。
でも、命は賭けるが、死ぬつもりはない。
そういうもってきかたなのは、すごくいいなと思いました。
最近やたら自己犠牲ウェルカムな話、多かったので。

あちらこちらで言われていますが、ツッコミどころは満載です。
え?とか、へ?とかレベルのものもけっこうある(笑)
でも、こまけぇことはいいんだよ!って気持ちで見れたので、個人的にはOKでした。
おかしいだろ、それ・・・・・・っての、物語の勢いと展開の力技でねじふせるのって大事。

人間ドラマも、手軽で安易なお涙頂戴になってなかったのでよかったです。
さらに、ゴジラがかなり凶悪なので、ぶち壊す、踏みつぶすで、まぁ人がやたらと死んでいる(と思われる)ところも、怪獣映画としてはひじょうによかったでした。
ビルの屋上から超近接実況中継していた報道陣が、見事にぶっとばされているのは、現代にも通じるなと。
スマホで撮影している間に、ゴジラに踏みつぶされるでしょう。

びっくりしたのは、最近の映画に当たり前な、とくに邦画では絶対値になってる恋愛要素が、きっちり仕分けされていたことです。
いい歳した男女がいっしょに暮しているわけですが、あくまでも同居人の態。
その理由が、主人公が戦争のトラウマで苦しんでいるため、と明確にしてあって、そこ、すっごくよかったです。
ただ、ラストのあれはないよね(笑)
思わず失笑してしまいました。

おかしな反戦映画もどきになっていないところもナイス。
戦争にいかずに済んだ、でも本人はいってお国のために戦いたかったっていう若者に対する、戦争を知る人たちの態度の描写、けっこうベタではありましたが、軽薄なお涙頂戴にしていなくてナイスでした。

今回のゴジラ見て、「シン・ゴジラ」ってイレギュラーなゴジラだったんだなと思いました。
私、昔のゴジラ映画は見ていないのですが、たぶん、今回のゴジラの方が、本筋のゴジラに近いんじゃないかと。
そう考えると、ゴジラって時代を超えたすごいコンテンツで、制作者によってまったく違う物語ができるんだなと思いました。

さよならエレン ~進撃の巨人



10年もアニメやってたんですね。
製作に関わったみなさん、お疲れさまでした、そしてありがとうございます。

実はアニメも原作も全部は見ていません。
殺伐すぎて、途中で挫折しました。
でも、物語の展開は追っていました。

言い方悪いんですが、個人的にはこの話、ばかな人が力もっちゃったらいかんのよって話だと思いました。
”ばかな人” は、馬鹿とか愚か者とかの意味ではなく、一直線だったり、適当にできなかったり、要領よくなかったりって意味です。
始祖ユミルもエレンもそういう人だなぁと思いました。

隅から隅まで地獄展開で、個人的には、エレンのお母さん食ったのが、エレンパパの元妻だったってところで、ほんとにざっくりもっていかれちゃいまして。
この話、そういうのが通常営業の話なので、ほんとにきつい。
最後まで読んだ人、アニメ見続けた人はすごいなぁと思います。
っていうか、作者がいちばんすごい。

ライナーがあんなふうになってしまって、まぁ、普通はああなっちゃうよなって思ってました。
彼は自分が弱い人間だと思っていたようですが、いちばんまっとうだと思うし、人間らしいと思います。
狡さも浅はかさも計算もあったけど、そんな事やってられない状態にどんどん追い込まれて、最終回でああやって命賭けて戦う事になって。
ジャンも同じく、最終回見ながら、ほんとになんというか、削られて削られて、それでも君は生きてきたんだねって、泣きそうになりました。

さっきまで隣で笑っていた人が、あっという間にいなくなる、死んでしまう、食われてしまう。
努力もがんばりも、優しさも誠実さも意味をなさない世界で、心を折らずに生きるために、生きていくために戦う人々の話だったと同時に、人間のエゴの話だったようにも思います。
ユミルはそれでも王の事を愛していたんだよってラストの言葉に、知ったこっちゃねーわと思いました。
民族の存亡賭けた壮大なスケールのストーカーじゃねぇか。

ヒストリアからの手紙をくんかくんか嗅いで、「いいにおいがする」って言ったライナーに、「お前、既婚者相手に超きもい」って言ったジャン見て、よかったね・・・・・・幸せになってね・・・・・と思いました。
ライナーもジャンも、本質をかえることなくいてくれてよかった>でも、そこで本質を語られたくないと思う(笑)

長い長い連載、長い長いアニメ、両方ともきっちり終了に大きな拍手を送りたいです。
幾度となく言っていますが、物語は終わってなんぼ。
完結しない物語は、物語として成立しないと思っているので。

エレンにまったく触れないのは、私、彼のこと、さっぱりわかんなかったからです。
ただ、なんて不器用でばかな人なんだろう、と思いました。
そして、なんてかわいそうな人なんだろうとも。
もし、生まれ変われたのなら、なぁんにも背負う事のない、ごく普通の人として人生を送ってほしいなと思いました。

私たちの知らない難民の実態 ~顔のない遭難者たち

   

ロシアのウクライナ侵攻、そしてハマスとイスラエルの交戦と、硝煙ただようきな臭い状況があちらこちらで起きています。
けれど実際には、そういうものは世界中あちらこちらで常に起きていて、それを私達が知らずにいるだけというのが事実。
日本では報道されていない、知る機会のない紛争やら戦争やらはあちらこちらで起きていて、それはずっと続いています。
アフリカ各地の内紛やシリアの問題、ウイグルの弾圧など、二十世紀から続いているものもたくさんあります。

今も多くの難民がいるのは知っていましたが、この本に書かれている状況は知りませんでした。
書いているのはイタリア人の法医学者、書かれている難民の多くはエリトリアやジブチ、アフリカからの難民です。
外務省の情報を確認すると、エリトリアは渡航ほぼ禁止(一部完全禁止)の国になっていて、50万人以上の難民がいるそうです。
まともなインフラも維持されておらず、日々の生活にも危険がある状況。
難民の多くは、ボートや小さな船で地中海を渡ります。
この本に出てくる遭難者とは、そうやって船でヨーロッパに逃れようとした人たちの事を指しています。

難民というと貧困層と思いがちですが、必ずしもそうではありません。
中には、イギリスの大学に留学が決まっている人や中流家庭の人も多くいます。
なぜそんな人たちまで難民になるのか、その理由のひとつは、自分の国では生活ができない、命が危険にさらされる可能性が高いからです。
さらに、アフリカ諸国は、出国にも他国への入国にも許可証やらビザの問題で、そもそも他国に行かれない可能性が高く、仮に出国できたとしても、それまでに何か月も待たされます。
よって、い難民としてボートに乗り込むのがいちばん手っ取り早い方法となる。
しかし、この方法は一番危険でもあります。

遭難者の多くは溺死です。
小さなボートに鈴なりに人が乗っている。
ひっくり返る可能性は高いし、そうなれば生き残る可能性は逆にとてつもなく低い。
流れついた遺体は、どこの誰かわかりません。
所持品はほぼなく、その身元を特定できるものはありません。
これまで、そうやって見つかった遺体は、身元不明のまま、いずこかへと葬られていたそうです。

そうやって亡くなった人たちにもアイデンティティはある、その人が誰だったのかを明確にし、探している人(家族や友人)がいるのであれば、せめてその死を知らせるべきなのではないか。
著者はその志を持って、活動を始めたひとりです。
本は、活動を始めるまでのいきさつ、遺体とどうむきあい、どう個人を特定するのか、探している家族や友人との対話、そして難民の現状などが書かれていました。

ものすごくショックだったのは、地中海には、とんでもない数の難民の遺体が沈んでいるという事実。
遺体が見つかり、さらに探している身内や友人がそれを知る事ができるのはまだ幸いな方で、ほとんどは海の底に沈んで、行方不明、生きた証拠も死んだ証拠もないまま消えていった人たちがいるという現実があります。
あとがきに、地中海は今や、難民や移民の集団墓地と化した という一文がありました。

恐らくこの件が日本で報道される事はほぼないでしょう。
でも、だからといって知らなくていいという事ではありません。
こういう事はきっと、世界中のあちらこちらで起きている。
私達の知らないところで、たくさん起きているのだと思います。
知らない事はまだまだたくさんある。
この本を読んで、それを痛いほど考えました。

さらに殺伐世界 ~サイバーパンク2077 仮初めの自由



本編は男性キャラですべてのエンディングを見ました。
その後、女性キャラにして街を探索しまくっていたのですが、疲弊して途中放置していたら、ダウンロードで追加コンテンツがきました。
CMかっこいい。

なんで疲弊しちゃったかっていうと、この世界、まぁとんでもなく荒廃してるんですよね。
犯罪上等、街はごみだらけ、浮浪者やホームレスがごまんといます。
しかも、街中に音があふれかえっている。
何の音かっていうと、テレビのアナウンス、CM、街頭広告などなど、とにかく静かなところがない。
私、BGMがそもそもだめで、家ではいっさい音楽かけません。
なのでこのゲームやっていると、頭痛がしてきてしまうんです。
あと、あまりにも荒廃した殺伐世界なので、心がささくれて疲れる。
ダウンロードコンテンツもどうしようかなって思っていたのですが、イドリス・エルバ登場と聞いて買いました。
「パシフィックリム」のペントコストだもん、買っちゃうよ。

とりあえず今、イドリス・エルバ(リード)と落ち合って、しばらく探索しろって言われたところまでやりました。
このゲーム、選択肢がとにかく多いので、それが後々どこでどうなるかわからないのが大変であり、面白いところ。
新しいステージはドッグタウンといって、ナイトシティよりさらに荒廃が進んでいる地域なので、私の疲弊度が格段あがりました。
ホラーやバイオレンスもの好きなのに、自分がそこで生活するのはだめらしい。
なんちゅーよわっちいメンタルなんだ。

ハサンという男を救ったところで、私は彼の説明に納得して、そのまま別れる選択をしたんですが、後で潜入した場所で、彼の身体にあったインプラントが摘出されたってメッセージを発見。
殺されたのか? と思って他の方のプレイ動画見たら、フィクサーに引き渡す形のものもあって、あー・・・・・・ってなりました。
その後のプレイに影響あるかなぁ。
ちなみに、廃屋マンションで出会ったふたりとは、話し合いして生存ルートをとりました。

ゲームとしては、とっても面白いです。
ただ、私のメンタルになぜかあっていないので、長時間プレイするとへとへとになる。
「DAYS GONE」も似たようなゲームですが、何度もプレイしているあちらは、自然の中をバイクで走るのでそういう疲れはないです。
自然って偉大だ。

もともと、方向感覚がおかしい私。
初期のバイオハザードは、すさまじくしっかりマップが頭にはいっていたのですが、最近のマップは今自分がどこにいるか全然わからなくなる。
シージですら、え?ここどこ?になる。
どうやら私、場所を絵ずらで記憶するタイプらしく、違う方向から視野にはいるとわからなくなるらしいです。
よってこのゲームも迷子大発生。
縦横に広がるマップなので、ここどこ?どころの騒ぎじゃないレベルで迷子になっています。

女性キャラでやってると、なんかジュディとリバーがしょっちゅう熱烈なメール送ってくるんですけども。
大丈夫か?お前?とか、恥ずかしい事書きやがって何やってんねん、とか思いながら読んでいます。
恋愛指数激低ので、全然ときめかない(笑)
っていうか、いっかいエロい事したくらいでこんなにメロメロになってていいの? とか思っちゃってるんですが。
とくにリバー。
「お前の事ばかり考えてる」とか言われて、ドン引きしてしまった(笑)

こうやって追加コンテンツがくるのはありがたいし、うれしいです。
それなりのお値段だって事は、それなりのボリュームがあるという事でもあると思うし、しばらくは楽しめそうな気がします。
とはいえ、疲れるんだよなぁ、困ったなぁ。

君に一生ついていく ~ザ・クリエイター/創造者



楽しみにしていました。
最近では珍しいオリジナルSF映画、さらに単発。そしてあのムネアツ「ローグワン」の監督。
いやもうなにこれ! 大好きだよ、この世界観! やってくれたな、ちきしょー! でした。

AIが進化した世界、所詮は機械、俺たちがそれを動かしてなんぼなんだよ!って西洋側(概ね今回はアメリカ)、それに対して、AIと共に生きていく事を選択した東洋側が戦争を繰り広げる中、伝説の天才AI科学者ニルワーナが造ったという最終兵器を巡ってあらたなる戦いは始まります。
出産間近な妻マヤと暮らすジョシュアは、実は潜入捜査官でした。
ニルワーナと最終兵器のありかを探る彼でしたが、軍は彼に通告なく突然攻撃を開始、ジョシュアはマヤに正体を知られ、そのまま彼女は軍の攻撃で命をおとします。
帰国した彼を、軍は再度現地に送り込み、最終兵器”アルファ・オー”の行方を追わせます。

まず、西洋と東洋の顕著な感覚の違い、ここまで描いたものはたぶんなかったんじゃないかと。
アジア人は基本、物にも自然界のものにも、そこに魂と心があるという基本理念、この映画には描かれています。
AIにも人格、魂があるという考えに基づいて描かれているので、この映画に登場するAIたちはひじょうに人間的です。
神を信じています。
チベット仏教の僧侶なAIが、手をあわせて米兵を迎えたシーン(そしてあっという間に破壊される)、私、泣きましたよ。
マシンを特的してそれを攻撃目標にする爆撃システム、逃げようとしたAIの兵士が、隠れようとしたところに人間の親子がいたのを見て、あわてて距離を取って爆破されるシーンでも泣きました。
この世界、AIに愛情もって育てられた子供がいて、AIと暮らす家族が普通にいます。

逆に西洋世界、「共に戦えて光栄でした!」ってマシン音で言いながら敵陣に特攻する爆弾ロボットがいます。
いやぁ、すっげぇアメリカ的。
英語の台詞ではちゃんと、AIに対してはITと言ってるんですね。
彼ら、彼女ら、ではない。それ、なんです。物に対する単語。
明らかに西洋と東洋の違いが描かれています。

さらに、ベトナム戦争を彷彿とさせる攻撃シーン。っていうか、明らかに意識して作られていると思います。
私、家にやまほどベトナム戦争関係の本があって、そちらのものについてはレポートもやまほど読んでいるし、写真集もレアなものからごっそりあるんですが、映画の中に描かれているシーン、ベトナム戦争でも実際あったものばかり。
アメリカで作られている映画で、アメリカを敵に描いている映画って、もしかして初めてではなかろうか。

この監督、「ローグワン」でも無茶苦茶ムネアツだったんですが、今回はもう我々オタクのツボ、とくに往年のSFを愛した人間のツボを連打して押してくる。
この映画の映像、本当に本当にガチで素晴らしいです。
使われたカメラは50万ほどでヨドバシとかで買えるものだそうで、しかも低予算であの映像。
マジかよ、くらい美しいですよ。

ちなみに全体としては、他でも言われていた方がいましたが、ストーレンハーグの世界観に近い映像でした。
こちらの本、私、全部買って持ってます(笑)



大絶賛の声が多い中、だめ映画と評しておられる方もそれなりにいらっしゃいました。
設定やツメの甘さの指摘が多かったんですが、あの映画でそれ言っちゃったら、アベンジャーズもスターウォーズも完全崩壊しちゃうから(笑)

ラスト、たった30秒しかもたないとあるものが、奇跡をもたらします。
神様って時々こういうことをするよね。。。って思いました。

いやぁ、この監督の映画、全部見ていますが全部好き、大好き。
この映画見て、もう君に一生ついていくよ!と思いました。
ちなみにそう思っている監督は、ノーラン、デルトロ、ミラーです。

とりあえずオタクな人はこの映画、見たほうがいいと思うヨ。



スコセッシにねじふせられる ~キラー・オブ・ザ・フラワームーン



206分という長い上映時間、試写会を見た人たちの感想が、判で押したみたいに「あっという間だった」と書いてあって、またまた~、試写会だからそうやって書いてくれって言われたんでしょう、まったくもーやめてよねー、と思っていたら、本当にあっという間でした。
いや、ほんと、びっくりした。

実話に基づいた話で、オクラホマ州のインディアン居留地区で石油が出るようになり、その土地で暮らしていたオーセージ族がその利権を得て、莫大な金を手にいれます。
彼らはアメリカ有数の富豪となり、白人の使用人を雇い、贅沢な暮らしをしていましたが、次々と謎の死を遂げていきます。
しかし、捜査はろくにされません。
映画では60人と言われていますが、実際には数百人の犠牲者が出ているそうです。

物語は、その地で牧場主として成功している伯父を頼ってやってきたアーネストが、オーセージ族の娘と結婚。
表ではインディアンとの友好的な関係を築いている伯父キングは、実はオーセージ族の人々を次々と殺害し、その利権を手にいれていました。
アーネストは伯父に言われるがまま、妻モリ―の姉妹たちやその夫、関係者を次々死に追いやり、そして妻モリ―にも薬と称して毒を与えていきます。
しかし、うまくいっているようにみえたその一連の犯罪は、ある日やってきた政府から派遣されてきた特別捜査官たちの手によって、次々と暴かれていきます。

伯父のキングが語る正義ってのは、言葉巧みではありますが、自分に都合のよいたわごとです。
しかし、表では本当に思いやりのある良い人なので、疑う人はいません。
主人公のアーネストも、妻と子供を愛して大事にしていますが、妻の姉や妹夫婦の殺害を依頼したり、毒とわかっていて妻にそれを投薬したりしていますし、結婚したばかりの頃は強盗もしていました。
このふたりの持つ両極端な善と悪がひとりの人間の中に混在しているというのが、本当にわけがわかんないんですが、それに違和感をまったくもたせないのがスコセッシのすごいところ。
さらに妻のモリ―、家族や一族の人々をことごとく殺されているのに、その首謀のひとりだった夫を最後まで愛しているという、私にはさっぱりわけわかんない考え方なんですが、そこんとこもしっかり人間を描いているので、凄まじい説得力がありました。
なんといいますか、アーネストは本当に愚かで馬鹿で、無教養な人で、すぐに誰かの口車に乗せられる、そこらのちんぴらなんですが、レオナルド・ディカプリオがそれを見事に演じちゃってるので、そういう人の内にある善良さとか愛情とかがしっかり見えちゃうのがなんともはやです。

オーセージ族の女性たち、なんか次々と男乗り換えて結婚してるんですが(妻を亡くして2週間後の男と結婚とか)、当時としてはそういう時代だったのかなと思いました。
少しは人品見ろよ、姉妹殺されても愛してるとかわけわかんねぇわ!っていいうのは、あくまでも現代の私の考えかと。

206分、無駄なし、隙間なし、すみからすみまでみっちり詰まった映画で、一瞬たりとも気をそらす事なし。
スコセッシ、すげぇわ・・・・・・と見終わった後、しみじみ思いました。
見ごたえがあるとかそういうレベルをはるかに超えて、マジすげぇの見ちゃったって感じです。

この事件は、FBIがつくられるされるきっかけになったそうで、この映画の中にもフーヴァーの名前が出てきました。

自分は善良な人間だって、アーネストも叔父さんも言ってるんですよね。
たぶん彼ら、本気でそう思ってるんでしょう。
たくさんの人を無惨に殺しまくっているけれど、それは仕方がない事なのさ、そんな感じ。
妻の関係者や肉親を殺した後、愛してるって妻を抱きしめる。
そんな事が普通にできちゃう人たちなわけです。
彼らの中で、それは何らおかしなところはないし矛盾もない。
ある意味、そこらのホラーよりよっぽど怖いです。

ちなみに、叔父さんを演じたのはロバート・デ・ニーロ。
叔父さんの弁護士役に、ブレンダン・フレイザーが出ていました。

206分の長さに見るのを躊躇しているのだとしたら、大丈夫なんでぜひとも見てください。
アップルの映画なので、本来なら配信だけになっちゃった可能性もあったと思うんですが、劇場公開してくれて超感謝です。

ノスタルジーにひたる ~編めば編むほどわたしはわたしになっていった



編み物をやっている人では知らない人はいないという編み物作家 三國万里子さんのエッセイ本です。
無茶苦茶売れているらしい。

編み物に関する話はほとんどなくて、三國さんの家族やこれまでの人生について書かれた本でした。
いわゆる ”思い出” の本。
三國さん、フリーター(古着屋、ゲーセンの店員から東北の旅館の中居)からご縁が繋がって編み物が仕事になった方で、そのあたりの事にも触れられています。
今のこの世の中にうまく溶け込めず、子供時代からその違和感と疎外感を抱いてずっと生きてきて、そして今に至る。
妹さんがあのお菓子料理で有名ななかしましほさんとは知りませんでした。
すごいわ、クリエイターな姉妹。

学校にも社会にもなじめず、その事で親ともいろいろあったというのは私もそうなんですが、私の場合、ベクトルが三國さんとまったく違う方向に爆走しておりまして。
私の場合、オタク街道まっしぐらにつっぱしり、今に至っております。
糸を紡ぐように歩いてこられた三國さんに対し、戦車でそこら中迷惑かけながらなぎ倒すようにしてきた私・・・・・・・本読んでいて、なんか自分のタイプと全然違っていて、おお!!なんと繊細で女性らしい!と思いました。
私には、彼女のような、家族や故郷に対するノスタルジーはまったくありませんで。
そもそも、思い出にひたるという事がほとんどない。
覚えているけれど、でもなんというか、この本にあるように、自分の中で語りだすという事はまったくありません。
なので、三國さんがこの本に綴られている事、綴ろうとする想いや気持ち、不思議な気持ちで読んでいました。
世の中の多くの人は、おのれの過去を振り返り、こうやってノスタルジーにひたるのであろうか。
それはよくあることで、普通のことで、当たり前のことなのだろうか。
だとしたら私、ちょっとなんかだいぶ違ってるな、と思いました。
私にはノスタルジーがない。

日々、家で編み物をされているという三國さん。
好きな事、得意な事が結果的に仕事になった方ですが、そこまでに至る道は、まさに糸を紡ぐような日々。
写真にある、パテックフィリップのアンティークの時計、うさぎのアンティークの指輪、人形などなど。
三國さんが紡ぐ世界の一端がかいま見えます。

ノスタルジー一片もない私が編むのは、一番細い糸、一番細い編み棒で、ただただ編み続けるものばかり。
自分はどういう世界を紡いでいるのだろうか、とふと、この本を読んで思いました。



少女マンガの歴史の中で

最近、有名な少女マンガ家本人が書いた、自身の歴史や経験についての本が次々と出版されています。

有名なのは、竹宮恵子と萩尾望都、それぞれの本ですが、この2冊においては、双極を成すふたりの天才の軋轢と才能バイトルがそれぞれの立場から書かれていて、かなり話題になりました。
こちらは24年組と称される、一時代を担った少女マンガ家のおふたりの話。

   

高階良子は、年齢的には竹宮・萩尾おふたかたより上で、貸本時代から活躍されていた方です。
大人気を博した「地獄でメスがひかる」は1972年の作品で、調べてみたら、竹宮恵子の「空がすき」の第二部連載がスタート、萩尾望都の「ポーの一族」の連載開始と同じ年でした。
でも、高階良子が24年組と並び評される事はほぼありません。
でも、独自の路線(いわゆるゴシックホラー的なもの、江戸川乱歩原作の漫画化など)で一世を風靡しています。

こちらの本は、作者本人の母との壮絶な確執を赤裸々に告白した本で、それはもう本当に凄まじい虐待の日々を語られていますが、その傍ら、当時の少女マンガ家との関係も描かれています。
名前こそ微妙に変えていますが、少女マンガに詳しい人なら、なんとなく、あーこの人は・・・とわかる。
竹宮・萩尾、彼女たちをとりまく他の少女マンガ家たちの間にあった才能のぶつかりあいは、この本には描かれていません。
マウントの取り合い、ヘッドゲーム、編集とのつきあいの難しさ、足のひっぱりあい。
マンガや創作への情熱とは別の、人間同士の泥臭いものが描かれていました。

ちなみに、世代的には竹宮・萩尾関係者とあまり変わらないのですが、あちらとこちらのグループでの関係や関連はまったくなかったようです。
作者と親しく描かれていたのは、いがらしゆみこでした。



松苗あけみの本は、どういう経緯でマンガ家になったか、そしてその後どう描き続けているかという内容でした。
もともと明るい作風の方なので、どろどろしたものはありません。
そして彼女は前者とは違い、アシスタント経験から始まっています。

ちなみに、こちらはまた上の3人とはまったく違うグループに所属しています。
こちらのグループは一条ゆかり、りぼんの連載で一時代を作った人です。
1972年にはすでにフランスを舞台にした超絶おしゃれで大人なマンガをがんがん描いていて、第一線の超売れっ子マンガ家でした。
考えたら彼女、萩尾望都と同年齢ですが、並び称されたのを見た事がない。
ちなみにこのグループには、内田善美、有吉京子などがいます。
こちらのグループには、マウンティングも軋轢も足の引っ張り合いも、とりあえずは描かれていません。
内容からみても、なんかそういうのは本当になかった気がします。



そんでもって、個人的に大ファンな文月今日子が本を出しました。
こちらはまた、前の人たちと深い関わりはなかったようで、本の中にも名前は出てきません。
友人として登場するのはおおやちき。
下関にお住まいとの事なので、東京在住のマンガ家とは、個人的に深い交流を持つのは難しかったのかもしれません。
ただ、すごく興味深かったのは、ここに書いたすべてのマンガ家が影響を受けた人として名前をあげている水野英子と、直接関わりがあり、それを明言しているのは文月今日子だけです。



文月今日子と同じく、オンリーワン路線できている同世代の少女マンガ家は他に、青池保子、名香智子、美内すずえなどもいます。
(他にもたくさんいるけど、今思い出せない)
こちらのグループにいる人たちはみな、ずっと独自の世界観をもって今に至るマンガ家が多いような気がします。
関わっていた媒体によって人間関係が違ってくるのかなぁ?って思ったりしたんだけれど、どうなんだろうか。
関わりのあった人たちの名前を見ると、なるほどなぁと思う部分もあり、なかなか興味深いです。


お薦めアイテム